ひみつのアトリエ

この村に生息する本学教員は皆個性豊かな表現者であり研究者です。彼らにとって大切な「ひみつのアトリエ」を紹介します。普段なかなか見ることのできない先生方の素顔、意外な一面が見られるかもしれません。また、みなさんにとって何かしらのヒントが見つかるかもしれませんね。
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河野綾

情報デザインコース


 「アトリエ」というよりは「仕事場」という響きが自分には馴染む気がする。「ひみつの仕事場」…できればひみつにしておきたいと思う心が邪魔してなかなか文章がまとまらない。仕事場は大学業務であれば大学研究室内の自分のデスク、グラフィックデザインの仕事は自宅の一室をもらっている。本当はオシャレ事務所を構えたいところだが必要性の判断がつかずここまで来た。そんな状況なので大したエピソードもなく心苦しい。
 自宅の仕事場はプリンタやスキャナといったPC周辺機器、制作上必要な道具や材料、資料などを放り込んでいるのだが、収集してきた他愛ない印刷物にだんだんと占拠されるようになった。印刷物収集癖は小さな頃から始まり将来の進路にも大きな影響を与えた。これまでは1枚ずつ丁寧にファイリングしてきたが、年々整理する時間がとれぬまま部屋の一角に堆く積み上げられ、いつまで増えるのだろうか、いつかやめる日がくるのだろうかと不安と寂しさに苛まれる。特に人生の折り返し地点を過ぎてからは終活=断捨離を強く意識してしまい、自分の目を覚ますためこの印刷物たちにいくらの家賃が発生しているのかと計算したこともある。そんなこんなで人生の終え方は考えても、創造的なことが考えにくい空間になってしまった。少し控えめにしてはいるものの、当然、今も増え続けている。
 結果的に草を食べ尽くしたヤギのようにMacを抱えてリビングへと移動、もとの仕事部屋はプリンター部屋になった。グラフィックデザインの仕事はクロッキー帳と筆記用具、Mac、それらが使える0.5畳程度のスペースとインターネットがあればひとまずは進めることができる。無線ヘッドフォンを装着すれば煩わしさもなく脳内は好きな音楽で満たされ、ディスプレイの向こうには世界が広がる。家族が隣でテレビを観ていても気にならないどころか、むしろ集中力が増し「どこでも仕事ができるなあ」とぐうたらな確信をもった。昔、写真家の知人宅で洗面所を借りたとき、チラッと見えた浴室内にストーブらしきものがあり、このミスマッチにギョッとしたことがある。疑いの目で尋ねてみると、フィルム現像と乾燥を浴室でおこなっているとのこと、なるほど、全く考えたことはなかったが確かにほどよく暗室である。自宅アトリエ話は色々な人間くさいひみつが隠されているかもしれない。
 以前住んでいたところも自宅兼仕事場であった。町はずれに位置していたが、近くに深夜1時まで営業しているファミリーレストランがあった。当時は徹夜も多く頭をつかう作業を自宅でしていると寝落ちしてしまいそうで、仕事帰りに資料を読んだり構想を練ったり、ファミレスを第二の仕事場として活用させてもらった。長居は申し訳ないと思いつつ、せめて食事をして深夜料金も払い迷惑がかからないように平日深夜の閑散とした時間帯を選ぶ。息抜きに外を眺めたくて窓際の席に落ち着く。雪の降る日は光も音も吸い込み闇に落としているような様子が、深夜のファミレスを真空にぽっかりと浮かんだ宇宙船のようにも感じさせた。本を読んでいる人、悩みを相談しあう学生、「先生」と呼ばれていた泥酔の男性、愛想のいい女性店員、母親に怒られながら勉強している中学生…こんな時間にみんな何をしているのだろうと、宇宙船ファミレス号にたまたま乗り合わせただけのつながりが不思議と心地よかった。思えば昔から、自分の部屋には行かず茶の間で宿題や課題制作をしていた。家族それぞれが自分の用事に没頭し時々干渉しあいながら生まれる空間、そのコミュニケーションの感覚が自分にとって快適な環境のルーツなのかもしれない。
 このコラムの執筆担当となった2018年12月、先の先生の投稿内容とも重なる偶然だが、私も新たな仕事場に向けて準備中である。正しくは身内の店となるが、半年以上かけている遅々とした開店準備に大家さんをはじめご近所の皆様から心配と励ましの声をいただく。店の内装プランや業務に関わっていると、学生時代に試した中途半端な制作経験や材料知識などが使え、時を超えてまさかここで役立つとは…と得した気持ちになった。学んだことをここぞという時に思い出せば必ず活かされるものである。
 とっくにできているはずの店のグラフィックはこれから構想を練るつもり。学習や課題制作に追われる皆さんの気持ちを十分に理解しながら、紺屋の白袴、とりあえず看板もメニューも手書きで開店して、店の隅でひっそりと店名ロゴから考えることになるだろう。この褒められたものではない状況もきっとどこかで役に立つはずである。