ひみつのアトリエ

この村に生息する本学教員は皆個性豊かな表現者であり研究者です。彼らにとって大切な「ひみつのアトリエ」を紹介します。普段なかなか見ることのできない先生方の素顔、意外な一面が見られるかもしれません。また、みなさんにとって何かしらのヒントが見つかるかもしれませんね。
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山河尊志

洋画コース


 「ひみつのアトリエ」というと何かすごい秘密が潜んでいるように聞こえますが、アトリエや書斎という言葉の響きが、多くの名作を生んだ場所だから謎めいているのでしょうか。
 学生時代、大きな共同制作室がなんとも落ち着かず気にもとめませんでしたが、いざ大学を去り自分のアパートで制作するとなると、結構狭小な空間なことに気付き、大きなアトリエを持つことに憧れたものです。特に出品となり100号を超えるサイズや、個展のため数十枚描かなければならない時は、倉庫代わりになる空間もなく困り果てた記憶があります。これは私に限ったことではなく、都市部で生活していれば誰しも同じ思いに遭遇しているのでしょう。

 大学院進学の折に大学移転があり、描きためた作品を一旦引き取らねばならず、とりあえず四畳半のアパートを一室借りましたが、半分以上が作品と荷物で埋まり、シンクに提出用の100号を立てて描いたことを思い出します。思えばこれが私の最初のアトリエです。
 大学院修了後も作品数も増えたため、とてもそこでは収まりきらず、六畳と三畳に小さなキッチンが付いたアパートへ引っ越しましたが、ここも六畳がほぼ作品と荷物で埋まり、生活と描くスペースは三畳一間。その後3DKの公団へとグレードアップしましたが、依然として、生活空間と荷物を除けば四畳半が関の山でした。
 数メートルの絵を描く際には、休み期間中は短大の倉庫代わりの部屋を借り、授業期間中はダイニングと部屋の間仕切りを取り、パネルを斜めにして制作していました。一番制作数が多かったこの時期、こんな過ごし方をしていたのを懐かしく思い出します。
 丁度その頃、教え子でもあった芸大の大学院生たちから「アトリエに関する質問」と称し、先輩方の工夫を調査するアンケートが届きました。まるで、ちゃんとしたアトリエさえあれば良い作品ができるかのような錯覚をしているようにも感じましたが、基本は制作意欲さえあれば、それぞれが工夫するものだとも思います。
 とは言いつつ、「広いアトリエがあれば、もっと良い作品が描けるかもしれない。」と考えていたのは当時の私自身でしたが、ほぼ20年近くこのような制作を続けていました。
しかし、今考えると、広いアトリエを渇望していたこの時期が一番充実していたようにも思えます。

 15年ほど前、間借りからやっと自宅を持ち、倉庫兼ですが24畳の念願のアトリエを持ちました。ここで24面の襖絵や20面の襖絵を仕上げていきましたが、作品数が増えるに従い手狭となり、別に倉庫兼アトリエのため古い住宅を一軒借りていたこともあります。
 アトリエなしの時代からすると贅沢な話ですが、実際自宅のアトリエと倉庫との往復は結構大変で、旧作を出品せねばならない時は積み重ねた作品をヒイヒイ言いながら探し疲れたものでした。アトリエと倉庫は私のようなモノグサには一所が良いようです。
 その経験からアトリエは14畳と狭くなりましたが、現在は倉庫付の家に住んでいます。
昔を考えればとても便利で勿体ない話です。
 ただ、アトリエといっても画材や描きかけの絵やドローイング、仕事の書類やら長年の蓄積物に囲まれ、いざ制作するときは狭いアパート時代とそれほど変わりません。
それでも精一杯片付け制作スペースを拡げると、却ってなんとなく落ち着かぬ感を呈するのは、長年狭隘な空間に慣れてきたからなのでしょうか。

 かのマグリッドは、立派なアトリエがあるにも関わらず、いつも奥さんのそばで、母の記憶が残る台所で制作をしていた、ということを読んだ記憶があります。
 そういえば私の父も広い座敷や書斎ではなく、四畳半の茶の間で物書きや書を揮毫していましたし、我が恩師も狭い一室で生活し、寝る時は絵を天井に収納し、大作を見る時は畑に出したり寝ころがってみていた、と自らの苦心工夫を語っておられました。
 そう考えると「ひみつのアトリエ」とは物理的な広さを持つ空間ではなく、それぞれのあふれ出る創作意欲から生まれる工夫なのかもしれないと思ったりもするのです。