所長挨拶

人間のあらゆる活動の根底には、意識するか否かにかかわらず、「哲学」が存在します。ここで言う哲学とは人文学における専門分野のことではなく、この宇宙においてそもそも自分とは何か、人間とは何かを理解しようとする営みのことです。

芸術は時代や地域、社会状況によって様々な姿で現れますが、芸術の制作・研究の根底にも哲学があります。最新情報をいち早くキャッチし、目まぐるしく変化するトレンドに乗って成功を目指せばいい、という態度も一種の「哲学」ではあるでしょう。けれどもそれは最悪の哲学であり、すぐに賞味期限が切れてゴミになってしまいます。

私たちが必要としているのは、本当の意味で持続可能(サステイナブル)な哲学です。特定の目的に役立つ思想、時代が変われば有効性を失うような思想には用はありません。そして、そうした哲学の前に立ち現れるのが、「文明」という大きなテーマです。

文明という概念には、自分をそうでないものから区別する働きが含まれています。人間を自然から、また文明化された状態をそうでない(未開な)状態から。「文明開化」という言葉から分かるように、文明とは「開かれる」ものなのです。暗い森が開かれると明るい広場が生まれ、人々がそこに集うことができます。と同時に、閉じた自然を開くには力が要ります。その力は暴力という形で人間に襲いかかることもあります。

いま私たちが生きている文明は、科学技術によって決定的に支配されています。人類の過去の文明は、かならずしもそうではありませんでした。だから現代文明の姿を見るためには、過去の文明を理解する必要があります。また世界には、文化や歴史、宗教を異にする様々な文明があり、互いに衝突して破壊的な結果をもたらすこともあります。ここでも自分自身の属する文明の姿を見るには、他の文明を理解する必要があるのです。

文明哲学研究所は、こうした広い意味での哲学研究を目的としています。当たり前に見える現実を別の角度から考え直したり、目の前の対象を長い時間や広い視野の中に置いてみたり、何よりも哲学的に「考える」ことの楽しさを皆さんと共有したいと思っています。「哲学」という字面が持ついかめしさを気にせず、当研究所が提供する講座やイベントにどうかリラックスした気持ちでご参加いただければ幸いです。

文明哲学研究所所長 吉岡洋

吉岡 洋(よしおか ひろし)
1956年京都生。情報科学芸術大学院大学(IAMAS)教授、京都大学教授を経て、現在京都芸術大学文明哲学研究所所長。
主な著書に『情報と生命』(新曜社)『〈思想〉の現在形』(講談社)他、美学芸術学、情報文化論に関わる著作・翻訳など多数。批評誌『ダイアテキスト』(京都芸術センター、2000-2003)編集長、「京都ビエンナーレ2003」「岐阜おおがきビエンナーレ2006」総合ディレクター。映像インスタレーション「BEACON」制作メンバー。
2023年度からは一般向けの講座「哲学とアートのための12の対話」(https://xxy.kosugiando.art/)を行ってきた。近刊には『AIを美学する──人工知能はなぜ「不気味」なのか』(平凡社新書、2025年2月)がある。