古川祭(氣多若宮神社例祭)の変容
和の伝統文化コース 吉野浩
同窓会賞
【作品への思い】
北アルプス連峰に囲まれる日本の典型的中山間地、岐阜県飛驒市古川町には氣多若宮神社が鎮座し、その例祭、古川祭が執行されている。
古川祭は320年以上の歴史を有するが、1970年代に例祭の全容が調査され、古川祭の本質が考察された。伝統やしきたりは時代とともに変容するが、例祭の執行内容も例外ではない。
前回調査から半世紀を経た古川祭を調査し、例祭の執行内容の変化と令和の時代における古川祭の意義や本質の考察を試みた。
現地調査では、世界遺産指定による観光化の流れもみられた。しかし、氏子の心に去来するものは、祭りは氏子のもので、氏子は祭りを通じて喜びを享受し、祭りは氏子が楽しむべきものであるという認識であった。
人口減少にめげず、古き伝統を継承し、祭りを守ろうとする氏子が祭りにかけた想いは、特殊神事「起し太鼓」にも込められ、地域の絆や人間関係が希薄な令和の時代にあって、前回の調査で薗田稔氏が指摘した「家郷」という価値観のもと、古川祭は氏子にとって精神的な支柱であり続けていると思わざるを得なかった。
古川祭が途絶えることなく、春を待ちわびる古川町の夜空に起し太鼓が高らかに響きわたり続けることを願わずにはいられなかった。
【作品の要約】
岐阜県飛驒市古川町には氣多若宮神社が鎮座し、320年以上の歴史を有する例祭、古川祭が執行されている。
古川祭は薗田稔を代表とする國學院大學日本文化研究所により昭和四十七年から昭和五十二年にかけて調査研究が行われた。
薗田稔は古川祭を「神社の行事」、「町組の行事」、「起し太鼓の行事」に分けて、行事内容・役割分担・氏子の動員等を調査して古川祭の全貌を明らかした。本研究でも上記の区分を踏襲し、現地調査、聞き書きなどを通じて、新型コロナウイルス終息後の古川祭の実態を明らかにし、祭礼の本質的な意義を考察した。
現地調査を行うと下記の点で変化が見られた。
・例祭執行日が四月十九日と翌二十日となり、例祭期間の一日短縮
・神社本殿、奉幣祭での豊栄の舞を追加
・神輿巡行の随行人数の半減
・神輿巡行中の祝詞奏上箇所が当番会所に集約され、祝詞奏上箇所の激減
・神輿巡行距離の大幅な短縮
・祭屋台の曳揃えを行う夜祭の執行時間の変更
・起し太鼓の執行場所と時間の変更
下記の事項は、令和の時代においても変化はなく、古川祭で伝統が継承されていた。
・例祭中の神社役員の服務規程(一文字笠、白足袋、白緒草履)
・奉幣祭における献饌、撤饌で女子学生が采女として参加するしきたり
・例祭中いたるところで雅楽や神楽太鼓の演奏
古川祭を執行する氏子域や氏子組織などには変更がなく、昭和四十七年から昭和五十二年の執行体制は令和の時代でも維持されていた。上述の変化は氏子域における人口減少が最大の要因であると考えられ、この五十年間で氏子域の人口は約二割減少し、約五千五百人となり、農業に従事する第一次産業従事者が約三割から二パーセントにまで減少している。神輿巡行で出役する氏子数の半減に加え、祭屋台の曳行や祭屋台上での楽器の演奏は男子学生に限られていたが、女子学生も屋台の上で演奏を行うように変化している。さらに、飛騨地域全体を俯瞰すると神職の数も激減しており、神職や宮司の負担も増している現実も調査から浮き彫りになった。
例祭中の調査で明らかにした事実や時代背景をもとに、古川祭の本質的な意義について考察を行った。
「神社の行事」では、旧来どおり奉幣祭などで采女が献饌と撤饌を行い、雅楽を演奏できる氏子減少により例祭中に録音された雅楽を流す神社もあるなか、古川祭では例祭中氏子により雅楽の生演奏が行われ、神輿巡行の規模は縮小するも伝統の継承は維持されていると考えられる。
「町組の行事」では、祭屋台の曳き揃えを呼び物にした夜祭が四月二十日の夜、例祭の締め括りと見做される還御祭後に執行されることに違和感を覚える氏子も存在した。祭屋台を観光化の目玉として活用したい意図も透けて見えたが、『日本の祭り』において、柳田國男は祭から祭礼への変わり目を「信仰をともにせざる人々、言はただ審美的の立場から、この行事を観望する者が現はれたこと」と論じたが、「町組の行事」は祭から祭礼への変わり目としての傾向を強めているとも考えられる。
「起し太鼓の行事」は神事とは思えぬ特徴も多く、その起源も不明確のまま残った。聞き取りでは、太鼓の打ち止めの際に唱和される「めでた」に込められた思いは神社本殿における奉幣祭や神輿巡行の祝詞奏上での神様への感謝及び祈りと同一であるとの想いや指摘が相次いだ。御祭神への感謝や祈りが「起し太鼓の行事」に込められているとすれば、「起し太鼓の行事」は神を送る還御祭前に行われ、氣多若宮神社例祭規則に起し太鼓に関する条項をもあり、「特殊」が付けば、神事のひとつに変容したとも考えてもよいのではないだろうか。
氣多若宮神社の氏子域の人々は幼少期に「町組の行事」において、青年期に「起し太鼓の行事」において役を務め、役員として推挙され「神社の行事」への参加が要請され、祭は氏子が成長する過程で大きな役割を担っている。薗田稔は家郷社会論を展開し、「家郷」を社会の成員が共有する統合概念として重要視したが、現在も古川町では、氏子の例祭や関連行事の準備や稽古を通じて、この「家郷」の意識が維持醸成されている。
氣多若宮神社の氏子にとって、古川祭は祭りという「ハレ」の機会に地域での一体感や地域への愛着を醸成してゆく行事で、氏子を束ね、氏子域の絆を育む貴重な行事であると考えられる。
吉野浩
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