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文芸コース 鈴木 祐未【学科賞】

 聖歌隊の女の子たちが「なぜ私は讃美歌を歌うのか」ということを考えながら、ほんの少しだけ成長するお話です。書くうちに小説の中の人たちと一緒に私も成長させられたように感じ、書くことの不思議さを改めて味わうことができました。歌は自分の体を使って演奏する音楽ですが、自分という楽器を使って演奏しているのは何か別の存在なのだという世界観でレッスンの風景は描きました。自分の声がいい音がどうかは自分には分からず、できることは正確な方法で自分の体を鳴らすことのみ。正しい方法で働きかけてはじめて音楽は鳴る。そういう課題に主人公たちは取り組んでいます。現代の価値観では自分で考えて行動することが良いとされているので、自分の価値基準が参考にならないことは大変な困難な問題です。しかし、自分の視点だけでは何も見えなくなった時、他の人の視点や人間を超えた存在の視点が、やっと意識できるようになる。自分には見えていないけれど、見えていないものを代わりに見てくれている視点があると気づくことは自分の限界を越える端緒にもなります。そうか、私は一人ではなかった。その気づきが喜びであり、賛美なのだと書きながら知ることができました。


東京都

全地よ主に向かって喜びの叫びをあげよ

≪要約≫
〈作品のねらい〉
 高校生の聖歌隊での活動を描くことで、「賛美とは何か」を考察することがこの作品のねらいです。
 現代社会を生きる人々は、物事を自分の意思によって決定したり、価値判断することを重んじる傾向にあります。ですが、その人の意思のみが全てをコントロールできるわけではありません。不本意に感じる現実ある世界ですら、神が「最善」として計画した恵みなのだと捉える考え方が一神教の世界にはあるようです。一人の人間ができることは限られています。受け入れ難いものを受け入れるためには、自分の視点のみでの良し悪しの判断に固執すべきでないのです。望ましい結果をもたらすためには、やるべきことをひたすら続けるしかありません。
 「私」という人間は無力だと認めることは敗北ではなく、他の人や、見えない何かを信頼することにつながっています。それが「賛美」なのだということを主人公たちは歌うことを通して学んでいきます。無力な自分を許してもよいという点にこそ救いがあり、自分は自分であって良いのだという喜びがあります。その歓喜の歌こそが賛美歌なのだということを描いていきます。

〈作品の抜粋〉
 聖歌隊に所属していながら礼拝中に注意される生徒はひどく珍しい。そうでなくても、学年が上がるにつれて礼拝でのマナーが悪くなる生徒たちに先生たちは手を焼いていた。
 キリスト教系の女子校に通っているからといって、みんながキリスト教を信じているわけではない。先生や親の押し付けのように感じる子もいて、彼女たちはわざと居眠りをしたり、大きな声で私語をしたりして反抗心を表現した。私もクリスチャンホームで育ったわけではないし、神様を信じているわけでもない。だから、態度にこそ出しはしないけれど、反発する子の気持ちはちょっと分かる気がする。それにしても、礼拝中に不真面目な態度をとる大槻には、ひどく違和感があった。私の目には彼女が他の生徒に合わせて故意にそういう態度をとっているようにしか見えないのだ。純度の高い氷のように冷たく澄んだソプラノで主旋律を響かせる彼女の声と、クラスメイトと接する時の大槻のイメージはあまりにそぐわなかった。この不自然さに気づいているのは、おそらく彼女の歌声を間近で聴いてきた私だけだと思う。大槻はクラスメイトの前での顔と、聖歌隊での顔を使い分けているのだ。キャラの使い分けは、そう珍しいことではない。器用な社交家になると、色んなキャラを使い分け、仲良しグループを自由に行き来できるらしい。もし仲間はずれになったとしても、別のグループに足場を残しておけば完全な孤立を避けることもできる。ただ、それには周囲の空気に合わせて振る舞う細やかな神経を要する。私に真似する自信はない。それにしても、大槻にはそうした社交上の小細工の必要なんて全くなさそうに思える。聖歌隊に真面目に打ち込む姿を知られたら、友達に嫌われるとでも思っているのだろうか。いつでも大槻の親友になりたがっている子たちが大槻の意外な一面を知ったからといって、あからさまに背を向けてしまうとも思えない。むしろ大槻が物事に真摯であることを好ましく思うのが自然なのではないか。友達とか、親友というのはきっとそういうものだろう。大槻は大人びているくせに意外と分かっていないところがある。人は他人のことにはよく気がつくのに、自分のことは意外と見えていないということはよくあることらしい。そして、私もきっと偉そうなことは言えない。自分でもとらえ切れてない何かが心の中にあるのを感じる。それは自分のなかだけに留めておけない何かだ。誰かに知ってほしい気持ちはある一方で、簡単に理解されたくはないような。かたちにならないもの。そうは感じるものの、それをどう表現すべきものなのかは正直わからない。そして、このかたちにならないものを何とかして頭の中から現実の中に引っ張り出さない限り、私は何者にもなれないんじゃないかという気がして怖い。礼拝中、気がつくと自分のことばかり考えている。神様のことなど全く考えていない。ただ音声を発していないというだけで、おしゃべりして叱られた大槻と私は少しも変わらない。私は自分とおしゃべりばかりしている。

淡いピンクの花が好きで、よく飾ります。ひらくとき、ふんわりと甘い香りがして、ふと穏やかな気持ちになれます。身近な自然や人々の優しさに気づくことは、物語を書くことに似ています。物語はいつも寄り添うように、私たちのそばにあるのですね。

鈴木 祐未【学科賞】

文芸コース

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