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芸術学コース 浅沼 英里奈【同窓会賞】

日本特有の襖絵について、その室を飾るという特性から、どういった室内演出を意図しているのか興味がありました。中でも天球院の襖絵「籬に草花図」は、四周を連続した図で、しかも籬で囲っているため、なんらかの状況を表現しているのではないかと思い、それを探ってみました。作家がその作画意図を書き残している訳ではないので、決定的な回答はないなか、空想話にならないように気をつけました。


兵庫県

妙心寺天球院襖絵「籬に草花図」に見る空間演出について

【要約】
 襖絵というのは日本独自に発展した絵画である。壁面を装飾していただけではなく、その室の空間演出ということも行っていた。例えば桃山期の城郭が金碧障壁画で飾られたのは、城主の威光を最大限に示すためであった。妙心寺天球院は、近世初期方丈建築のなかで、建築及び襖絵含めた障壁画が、ほぼ完全な当初の姿を今に遺す貴重な資料である。しかしながら、先行研究においては筆者問題の論争が多くを占め、空間演出など作画意図についてはほぼ考察されていない。天球院襖絵のなかでも金碧障壁画は四方連続した図様で、襖が持つ“室を囲む”という特徴を生かした作画となっているため、囲まれた空間をどういった意図で演出しようとしているのは興味深いところである。「籬に草花図」は、籬が四方を囲んで、更に囲むということを強調しているため、何を囲っているのか、囲うことでどういった空間演出を行おうとしているのかを探っていく。
 考察の過程では、まず妙心寺天球院の概略を述べ、方丈建築についても確認する。これは障壁画が建築の一部であるため、方丈の由来を見ることに意義があると考えたからだ。そして方丈建築の構造に沿って天球院の各室の障壁画を確認する。
 次に、妙心寺天球院の先行研究について確認する。作者について確証となる資料が残っていないため、先行研究の多くは筆者問題に割かれてきた。寺伝では狩野山楽となっているが、山楽の養子狩野山雪という鑑定がなされてから、筆写問題が活発化し、いまだに決定打には欠けている。本稿では筆者を明らかにすることが目的ではないので、山楽・山雪の概要を見た後に、簡単に筆者問題の経緯をまとめるのに留める。
 最後に本題である「籬に草花図」の作画意図について考察する。まず各図様についての確認を行った後、「籬に草花図」が囲んでいるのは草庵茶室ではないかという仮説と、草庵ではないかという二つの仮説にのっとって考察を進める。
 結論としては、王朝文化を根底にした観念的な草庵を表現しているのではないかと推測する。草庵茶室でない理由としては、茶室は外界との遮断を基本としているのに対して「籬に草花図」においては途中で籬はなくなり遠景が見える点と、茶室に付随する庭にあたる露地において、原則として花を植栽することがないのに対し、「籬に草花図」では花が咲き乱れている点による。特に後者に関しては、露地が茶の湯に向かう精神統一の場として、常緑樹の類しか植栽せず、それが現在まで続いていることを鑑みると、勢いよく蔓を伸ばして咲く朝顔や鉄線・風車が描かれているのは茶室にそぐわないと考える。
 二つ目の仮説である草庵については、わび住まいの草庵のはずなのに籬が立派であること、金碧画であることがそぐわないとも考えられたが、観念的な草庵と考えれば仮説が成り立つと考える。まず草庵である根拠としては、籬の形状が一般的な草庵の地理的条件に合っていること、西行・鴨長明・吉田兼好と続く遁世文化と草花は親和性が高いことがあげられる。特に後者において、精神統一のために花を排除した草庵茶室による茶の湯とは異なり、むしろ花のうつろいが遁世者の持つ無常観と合致し、草庵文化の美意識に結び付いたのは特筆すべきである。ただし草庵文化が花開いた中世と、天球院襖絵が制作された近世とでは年月に隔たりがある。そこで江戸初期においても草庵文化は伝えられたのかを確認したところ、江戸時代に入ってから『徒然草』の注釈書が発刊されるようになったことが分かった。そこに描かれた兼好像は、まさに江戸時代に考えられた草庵の遁世者像に他ならず、ほとんどの兼好図に籬、草花、遠山が描かれていた。また最初の『徒然草』注釈書『徒然草寿命院抄』に後の“もののあはれ”に通じる指摘があり、そこから草庵茶室で追求されたわび・さびとは違う系譜が見られた。“もののあはれ”は王朝文化の特徴の一つであることから、雅やかであると同時に無常観をも持つ王朝文化を、金碧とはかない命の花を使って表現したのではないかと考察をもって結論とした。

浅沼 英里奈【同窓会賞】

芸術学コース

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