文芸コース 三富葉子【同窓会賞】
波風の立たぬ日々の中、こと子さんのハートを揺さぶったのは包み込むような声をした十五歳の少年だった。七人組ボーイ ズグループ・シャインの最年少メンバー、アキトである。シャインと彼らのファンダム・サニーは、こと子さんの人生後半に突如登場したスペシャルゲストだ。推し活がもたらす悲喜こもごもな“ギフト”によって、こと子さんは“憧れの場所”へ飛び込んで行く。私にとってはこの作品がそのような存在である。
こと子さんの、いいね
【要約】
●作品のねらい
主人公のこと子さんは七十五歳。夫の弥一さんに先立たれ、一人暮らしだ。こと子さんは弥一さんにわだかまりを抱えている。生前、弥一さんは職場の若い女性に恋をしていたようなのだ。そんなこと子さんが、七人組ボーイズグループ・シャインのファンになる。なかでも、最年少十五歳のアキトを推す。
こと子さんは毎日、ユーチューブでシャインのデビュー曲を視聴し、コメント欄を通じてサニー(シャインのファンネーム)へ親近感を募らせる。コメント欄はこと子さんにとって特別な場所になっていくのだった。
推し活は人生を豊かにする。反面、負の感情に陥ることもある。シャイン内での格差や衣装問題。アンチの存在やファンダム内での不協和音。想定外の出来事にこと子さんは戸惑い、憤り、涙する。
物語中盤、疎遠だった一人娘の千里との関係に変化が訪れる。千里もサニーだとわかり二人の距離は縮まるのだが、皮肉なことに千里がもたらす新たな世界は、こと子さんにサニーとしての自信を失わせてしまうのだった。
かつては弥一さんのせいにして、今は年齢のせいにして、選択肢を狭めていたこと子さんが人生初の推し活によって、ほんの少し自分の殻を破っていく姿を描く。
●作品の抜粋
今夜、シャインが歌番組に出演する。初のゴールデンタイムである。
〈 ついにシャインが見つかっちゃうね♡ 〉
〈 もうすぐですよ。ドキドキしてきた 〉
〈 テレビの前で正座してる 〉
ユーチューブのコメント欄は今夜の歌番組で持ちきりだ。まだシャインの知名度は低い。彼らのパフォーマンスが多くの人の心をつかむとサニーたちは信じている。
こと子さんもテレビの前で待機する。あと数分で番組が始まる。今頃、アキトも緊張しているだろうか。
番組が始まった。元アイドルの司会者が晴れやかに登場し、本日の出演者をカメラが捉えていく。
シャインがトップバッターを飾るようだ。サイドステージでスタンバイしていたシャインが映し出されたとたん、こと子さんは目を疑った。イントロが流れ出すが、もはや歌唱どころではない。
「この馬鹿が!」
前傾姿勢でこと子さんが吠える。
「大事な、大事なチャンスだったのに!」
わなわなと震えが止まらない。
アキトはいつものアキトではなかった。眉尻までしっかり描いたアイブロウに鮮やかなルージュ。髪型もトレードマークのマッシュではなくセンターで分け、おでこを露出している。
晴れの舞台とあって、衣装もいつものカジュアルな雰囲気ではない。それぞれにデザインの異なるカラフルなスーツを着ているのだが、アキトのスーツは薄緑で肩幅が異常に広く、奴凧のようである。ソラは柔らかそうな布地のタイトな赤いスーツだ。上着の丈が短くて、スタイルの良さが際立つ。アキトにソラの衣装を着せたかったと、こと子さんは悔しくてならない。
「お前たちのことなんて誰が応援するものか。この大馬鹿野郎!」
こと子さんが液晶画面にツバを吐いた。
くだらない。好きにすればいい。歌の途中でテレビを消して、こと子さんは寝支度を始める。アキトにはがっかりした。心底、呆れた。とんだ見込み違いだった。未練がましく独り言が止まらない。アキトを担当したスタイリストが憎い。所属事務所も、ほかのメンバーも許せない。くそだ。くそったれだ。
一階の客間が今は寝室となっている。かつては二階で寝ていたのだが、階段の上り下りがしんどくなって移ったのだ。色褪せた掛け軸がぶら下がった床の間は、飲料水やトイレットペーパーなどの保管場所へと変わり果て、窓辺には、「非常持出袋」と赤字で書いてある銀色のリュックサックがひとつ。その隣に履き古したスニーカーが一足、新聞紙の上に置いてある。
押入れの上段には普段着や下着などが積み上げられ、今やたんす代わりだ。下段の布団と布団の間には、長年貯めたへそくりが巾着袋に入れて隠してある。
壁に寄せてベットが一台。明かりを消したペンダントライトから細い紐が垂れている。ベットサイドの照明が儚く灯り、真上を向いて寝ていること子さんの素顔を照らす。何度かき消しても、奴凧のような衣装を着た厚化粧のアキトが脳裏に現れる。知らず間に首筋を涙が伝い、狂ってしまったのだろうかとまぶたに力を込める。こと子さんは情けなさと怒りにもみくちゃになりながら、夜が明けるのを待った。
このままではアキトの将来を台無しにされてしまう。明日、事務所に抗議文を送ろう。そう誓って文面を反芻しているうちにやっと水たまりのような眠りに落ちた。
翌朝、ひらめいた。もしかしたら、同じようにモヤモヤしているサニーがいるのではないかと。
コメント欄は昨夜の音楽番組の感想で賑わっていた。そんな中、こと子さんは同志を見つけた。
〈 アキトの化粧が濃かった 泣。衣装も肩パットがゴツかった 泣 〉
こと子さんは溜飲がさがる思いだった。
なかでも、黒蜜さんという方は素晴らしい。特に最後の一行が愛にあふれている。
三富葉子【同窓会賞】
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