歴史遺産コース 脇谷 照江【同窓会賞】
≪要約≫
要約
徳島県の東部に位置する小松島市には、豊臣秀吉の木像を祭神として祀る豊国神社がある。この木像は、死後に神として祀られることを望んだ秀吉が生前に百体造らせたもののうちの一つであるとされている。
秀吉の死の翌年、慶長四年(一五九九)四月一七日「豊国大明神」の神号が下賜されることとなり、京都豊国社が創建された。豊国社は、豊臣恩顧の大名などによって各地に分祀されていった。その代表格であった蜂須賀家政(蓬庵)、至鎮父子が、同年五月十五日、豊臣家重臣の片桐且元を介し豊臣秀頼から拝領したのが小松島市に現存する秀吉木像である。父子は、当初、この木像を徳島城内で祀っていたが、慶長一九年(一六一四)八月十六日、家政の隠居所があった現在の小松島市中田町に木像を祭神として阿波豊国社を建立した。
翌年の大坂の陣で豊臣家が滅亡すると、徳川幕府は京都豊国社に対して破却の沙汰を下した。これにより各地の豊国分祀も廃社の運命をたどったと考えられてきたが、阿波豊国社は、徳川の世になっても破却されず、現在も小松島には、秀吉木像だけでなく、創建時の棟札や礎石が現存し、江戸時代寄進の石造物が多数残され、祭祀が江戸時代を通して途絶えなかったことを伝えている。
秀吉の神格化に関する研究は、豊国社成立までの経緯や政治的背景を検証したものが中心で、江戸時代には祭祀は廃絶されていたというのが通説だった。数少ない江戸時代における豊国祭祀研究も京都本社か各地の分祀を総括的に検証したもので、勧請先での実態を扱ったものはほぼみられない。豊国祭祀が建前上、公にできなかったため、他の存続している分祀では関連資料が少ないためである。一方、阿波では、創建から現在までの経緯をたどる史料に比較的恵まれた状況にある。
本稿では、これらの史料に拠りながら阿波豊国社の歴史的変遷をたどることで、江戸時代における豊国分祀が、徳川家、蜂須賀家、地元の民衆にいかに認識され、時代とともに、いかに変化していったのか具体的に検証してみたい。
第一章では、阿波豊国社の歴史的変遷を追った。検証に際しては、阿波藩の正史である『阿淡年表秘録』、藩撰地誌の『阿波志』、『蜂須賀家文書』等の同時代史料のほか、明治大正時代の郷土史料『阿波名勝案内』『勝浦郡志』、現在創建時の豊国社棟札を所蔵している堀越寺に伝わる文書等の史資料を用いた。
その結果、京都豊国社の破却後も、阿波では豊国祭祀がその担い手を変えながら江戸時代を通じて存続していたことがわかった。
蜂須賀蓬庵が秀吉木像を御神体として豊国社を建立した翌年に豊臣家が滅亡したにもかかわらず、阿波藩では寛永一六年(一六三九)まで秀吉の祭祀を担う豊林寺に社領を安堵している。その後、幕府を憚り、豊国社は崩れ次第とされたが、承応年間(一六五二〜五五)に、祭祀の担い手は藩の御用を務めていた地元の庄屋に託された。秀吉一〇〇回忌にあたる元禄一一年(一六九八)、庄屋の子孫が近隣の宝蔵寺に御神体を預け、その祭祀は寺に引き継がれた。寛政六年(一七九四)には寺が構えていた仮社が再建され、明治と昭和の修築を経て現在に至っている。
第二章では、なぜ阿波藩における秀吉祭祀が江戸時代を通して存続し得たのかについて考察した。
理由のひとつには、幕府の秀吉祭祀への警戒が時代の流れと共に薄れていったこともあるが、大きな要因は、祭祀の主体が時代に合わせて入れ替わりながら、途絶えることなく繋がっていったことであると考えた。
豊臣残党への幕府の警戒感が残る寛永九年(一六三二)、熊本藩加藤家改易の理由の一条には、豊国祭祀が挙げられていた。このような時期に祭祀を続けていた阿波藩だが、改易されることはなかった。実は、幕府は阿波豊国社の存在を把握していながら、それを黙認していた可能性が高いことが、寛永四年(一六二七)に阿波に潜入した幕府隠密の報告書によって判明した。豊臣家に心を寄せるものに対する徳川家の警戒感が強い時期には、政治や儀礼の場面で将軍家から特別な待遇を与えられるほど幕府との関係が密だった蓬庵の存在が大きかったのである。加藤家と蜂須賀家の違いは、徳川との関係性の違いだったのかもしれない。
蓬庵の死後、次第に表立った祭祀を控えるようになった藩は、蓬庵が懇意にしていた庄屋に豊国社の管理を委ね、扶持を与えていた。このことから、祭祀の存続を蜂須賀家と庄屋の両者が担っていたことがわかった。その後、御神体が庄屋から近隣の寺へ託され、祭祀の担い手が地域に檀家を持つ寺院に移ると、藩撰地誌『阿波志』でも「豊太閤像を安ず」と堂々と認めているように、秀吉祭祀が半ば公の事実として地域の民衆に知られるところとなった。また、阿波では、農村舞台の普及によって文化の中心から離れた場所にまで人形浄瑠璃が普及していたことが江戸後期の秀吉人気と相まって、さらに広く領民の信仰を集めたのである。
本論では、阿波での秀吉信仰の実態については、間接的な推論に終わった。また、他の豊国分祀と阿波との関連性などのより深い考察は、今後の課題としたい。
阿波豊国神社と蜂須賀家
-豊臣秀頼拝領の秀吉木像が辿った道-
徳島県
豊国神社境内
脇谷 照江【同窓会賞】
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