本文へ移動

ルネ・マグリットにおける 絵画と広告の親和性

“引用”という視点から

芸術学コース 米田清美

同窓会賞

ルネ・マグリットの絵画は、なぜ近代から現代に至るまで、広告やグラフィックデザインの分野で繰り返し引用されてきたのだろうか。

広告制作に携わってきた私は、マグリットの作品を引用したと思われる広告を目にした経験を持つ。本研究はそのような体験を背景に、マグリットが広告制作に関わっていた事実を前提としつつ、絵画作品と広告作品の双方を比較し、両者の関係性を検証することを目的としている。
また、生涯にわたり「広告は嫌い」と語っていた彼の言葉には、画家でありながら広告に携わった者としての葛藤や韜晦が含まれているのではないかという疑問も研究の動機の一つである。

検証を通してマグリットの絵画と広告には、「二重化」や「無記号化」が広告の構造と重なり合うことが見えてきた。こうした絵画と広告の親和性は、主役を観る側に置くという、マグリット自身の哲学の表明でもあったと考えられる。

残念ながら、マグリット自身が広告をどのように捉えていたのかは、明確には分からない。

しかしながら、その捉え切れなさや、彼に内在する思考そのものが広告やデザイン分野に、今日まで影響を与え続けている理由の一端といえるのではないだろうかと私は考える。



「卒業成果物」要約

 本稿では、ルネ・マグリット(René Magritte,1898–1967)における絵画と広告の親和性を、引用という視点から考察した。マグリット絵画は20世紀の広告・グラフィックデザイン界に広く引用され続けてきた。加えて、筆者は広告制作の現場で働く中で、今もなお広告の領域においてマグリット作品が参照される場面に触れてきた。こうした事実を踏まえ、本研究は、広告の中に現れるマグリット的な構造を通した絵画と広告の関わりについて研究する。
本研究の狙いは、マグリットの絵画と広告の分析を通してその関係性を考察し、その親和性について考究すること、そして、広告に携わったマグリットの思考に近づくことである。

 第1章では、マグリットの先行研究を整理し、彼の作品の特性を提示した。ジョルジュ・ロック(Georges Roque)は、マグリット作品が同時代の画家以上に広告へ引用されてきた事実に注目し、画家自身の広告制作経験の影響を指摘した。他方、フダ・オスマンはシュルレアリスム的思考の近代広告への浸透を、利根川由奈は日本のグラフィックデザイン史における受容を示した。マグリット絵画の特性については、ロックの研究によれば、「二重化」、「絵画と広告の逆説的関係性」、「無記号化と再記号化」を挙げられる。特に、カーテン、キーユ、絵の中の絵といった装置は、見る行為そのものを再構成する仕掛けとして機能し、絵画と広告の構造が互いを照合する作用があると考えられる。

 第2章では、第1章でのマグリット絵画の構造的特徴を基に、マグリット自身が手がけた広告作品を検証した。サミュエル毛皮店やノリーヌの広告には、絵画的構想と広告的構成が交錯する独自の試みが見られる。そこでは、絵画の内部で展開されていた「二重化」や画中画の装置が、広告という現実的文脈の中で再構成されている。また、彼は広告制作を通じて絵画構造の応用可能性を探り、観る者の認識を揺さぶる視覚的手法を模索していたと考えられる。さらに最晩年の《空の鳥》は、《大家族》の構造を自己引用した「絵画と広告の逆説的関係」の作品であり、絵画と広告がきわめて近接する象徴的な事例として位置づけられる。

 第3章では、他のデザイナーによる三点の引用広告を検証した。まず、絵の中の絵を
モチーフとした「見る」という行為が、観る者の思惑を通して可視化される「二重化」表現を、《囚われの美女》とクレディ・アグリコル「農業信用金庫のための広告」とで検証した。次いで、マグリットの逆説的スタイルを活用した表現を、《イメージの裏切り/これはパイプではない》とアリアンツの広告キャンペーンとで検証した。最後に、マグリット絵画の「無記号化」がデザイナーの手によって「再記号化」された実証を、《ピレネーの城》と日本の広告、サッポロビールのための広告とで検証した。これら三つの検証によって、マグリットの絵画が広告の文脈でどのように再構成され、どこに親和性と差異が生じるのかを具体的に示すことができた。
 また、マグリットの絵画は引用されやすい一方で、その装置の核心までは再現されない場合も多い。この点に、マグリット的引用の強度と限界が見て取れる。

 第4章では、マグリット自身の言葉や書簡に基づき、彼の芸術観と広告観を照らし合わせた。マグリットは「描く芸術は思考をする芸術である」と言い、観る者の思考を喚起する装置として絵画を位
置づけた。他方で、彼はしばしば「広告嫌い」とも述べ、広告という制度に対して慎重な距離を保った。この発言には韜晦と本音が交錯し、画家という立場を守ろうとする意志が透けて見える。筆者はこの態度に、マグリットが生涯を通じて絵画と広告のあいだに保ち続けた均衡を見る。
 さらに、「マグリットはいかなる存在であったか」をめぐる筆者独自の三つの見解として、第一に「画家であることの必然性」、第二に「デザイナー的側面を備えた画家」、第三に「画家でもデザイナーでもない存在」を提示した。筆者は、「画家であることの必然性」の見解に帰着した。

 おわりに
戦後の広告文化の発展と視覚表現の多様化を背景に、マグリット作品が今日まで引用され続けている理由を再考した。マグリットにおける絵画と広告の親和性は、彼の「描く芸術は思考をする芸術である」という哲学、観る側中心の匿名性、そして広告への複雑な態度に支えられている。こうした姿勢や構造が、広告・デザイン分野において、マグリットが今日まで広く引用され続けている理由の一端をなすと考える。最晩年の《空の鳥》はその集大成であり、広告が今後も人の感情に働きかける限り、マグリットは詩的で象徴的な存在として注目され続けるだろう。

米田清美

芸術学コース

このコースのその他作品