歴史遺産コース 平野 薫
豊臣秀吉は、天正十九年(1591)、京都都市改造の総仕上げとして「御土居」を築造した。総延長は、約22.5kmで、東は概ね鴨川の西側沿い、西は概ね紙屋川の東側沿い、南は東寺を含む九条、八条辺り、北は鷹峯から上賀茂までを結ぶ。構造的には、土塁と堀で形成された巨大な惣構で、1~5ヶ月程度で完成したとされる。
本論文では、御土居北辺がなぜこのような位置にあり、なぜこのような経路を辿っているのか、について考察した。御土居の東辺、西辺には川が流れており、南辺はかつての都市境界辺りと、一定の意味を見出すことは可能である。しかし、北辺については、上御霊や妙覚寺以北は大徳寺辺りを除いてほぼ「野畠」であり、ここに北辺の経路が引かれた明確な意図が伺えないことが探求の動機である。
御土居北辺の意味を考えるに当たって、大徳寺の位置および北辺の傾いた経路に着目した。そして、大徳寺の存在故にそれより北に経路を設定し、短期間で築造しなければならないという制約のなか、すでに古代に確立していた直線路の構築手法を用い、かつ地形的・区域的制約を考慮して最適な経路が決定された、と結論付けた。
豊臣秀吉が築いた京都御土居の北辺の意味
京都府
平野 薫
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