本文へ移動

歴史遺産コース 戌角 幸治

 地震が多発する昨今でも、「大きな地震がきたら高台へ」ということを自分の事と思っていない人がいる。
 江戸時代に関西を南海トラフ地震とその後の津波が襲った。嘉永七年の安政南海地震である。しかしその百四十八年前の宝永四年に同じ場所で安政より強い地震があった。この宝永地震を語り継がなかったために同じ場所で二度までも同じ行動をして、貴重な人命を落としてしまうという悔やみきれないことになった。紀州、阿波、土佐などでは地域の人たちが石碑などを作り後世の人たちに語り伝えたのに、大坂ではそれがなかった。
 宝永地震で堀や川に船で逃げた人たちが一万人以上亡くなられたというのに、その後の安政地震の時にも多くに人たちが堀や川へ逃げて亡くなられた。大坂の近隣地域では集落の中心に寺社がありその近くに津波の石碑が建っている。寺社に村落の人が集まる機会に石碑に書かれていることを読み住民に注意喚起していた。しかし大坂には石碑もなく住民にその事実を伝えることもなかった。ただ安政地震の後に大勢の犠牲者の出た大正橋の袂に「大地震両川口津浪記の碑」が建てられ、それを中心にその地域の人たちは毎年お祭りをして住民に津波の恐さを伝えている。


安政大地震の被災状況から学ぶ ー特に津浪についてー

大阪府

戌角 幸治

歴史遺産コース

このコースのその他作品