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歴史遺産コース 前田 ありさ

 京焼の一つである粟田焼は、江戸期に始まり明治期に欧米への輸出によって隆盛を極めた後、昭和中頃には姿を消してしまいます。現在ではかつての陶家・登り窯が存在しないことで幻のやきものとも言われています。粟田焼消滅の理由は明確にされていないものの、一般的には欧米でのジャポニズムブームの終焉や需要の変化に対応できなかったこと、粟田窯内での生産過剰・粗製濫造による価格競争などが指摘されています。
 本稿ではこれらを検証しつつ、新たな視点として京都粟田口という土地・地域が粟田焼の活動にどのように影響を及ぼしたのか、特に未だ明らかにされていない衰退・消滅の要因について古地図や行政文書から考察を行いました。そして明治の殖産興業の舞台となった粟田口の急激な近代化が、伝統工芸である粟田焼の消滅に少なからず影響を与えた可能性を示唆する結果となりました。

 最後に、指導して下さった先生方、史料・行政文書探しにご尽力頂いた歴彩館、京都市情報公開コーナーおよび用地課の皆様に、この場を借り感謝申し上げます。


東京都

粟田焼の隆盛と衰退
ー京都粟田口という地理的な視点からー

前田 ありさ

歴史遺産コース

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