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歴史遺産コース 大村 浩一

 明治五年(1872)明治維新三大改革の一つである「学制」が公布された。制度はフランスに学び、内容についてはアメリカに倣ったものである。新しい日本を担う子供たちの育成には、開化的先進的で、理想的な制度と考えられていた。しかし7年後には廃止され、その後も三度「教育令」が公布されるなど、なかなか教育制度は定まらず、試行錯誤の時間が流れた。
 そんな中、私の住む富山県は、当初就学率は23.32%(明治六年)で全国(28.13%)を下回っていたのが、明治十九年には49.02%と全国(46.33%)を上回り、着実に教育の裾野は広がっていった。はたしてそこにはどんな要因があったのだろうか。
 それについて、まず幕藩時代から明治初頭にかけての国や富山県の教育状況について明らかにした。そして、寺子屋や私塾など教育環境の充実と、庶民の意識の醸成に着目するとともに、先駆的で教育の拡大に尽力する市井の人々、脈々とつながる算数(数学)教育の継承、家庭薬配置から薬業教育への発展という点についてその状況をつまびらかにし、考えをまとめた。
 特に富山県教育を開き、創り出してきた「人」に焦点をあてて探究しようとしたものである。


明治期初頭の近代教育の確立ー富山県に関する一考察-

富山県

大村 浩一

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