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(大学院)芸術学分野 鈴木 淳子

前田青邨の白描画
—近代白描画への挑戦と模索—

1. 制作研究の概要
前田青邨(1185-1977年)は、歴史画を中心に風景、花鳥、人物画など幅広い作風で知られた近代日本画家であり、鮮やかな色彩による歴史画がこれまで高く評価されてきた。また、彩色画と並行して水墨画・白描画の作品も多く制作し、作品に見られる闊達な線描は青邨独自のものとして注目されている。本研究では、このような多様な表現傾向をもつ青邨について、特に白描画に焦点をあて、大正期から昭和戦前期までの制作状況や表現の特徴について分析を行った。近代において評価が低かった白描画に着手した要因や、同時期に抱えていたスランプの背景、欧州留学やその後の制作状況などを考察し、白描画制作が青邨にとってどのような意味を持つのかを検証した。

2. 制作研究の背景・意図
青邨の作品については、これまで彩色画を中心に研究が進められ、白描画への注目は低かったといえる。白描画の先駆者とされる下村観山や吉川霊華についての研究は進んでいるものの、近代白描画への検討は十分ではなく、現在日本美術院を中心とした白描画制作の状況についての研究が進められているところである。青邨については個別の作品研究はあるが、白描画に特化した研究はこれまでなく、包括的な議論はなされてこなかった。このような課題を受けて、本研究では青邨の白描画制作の具体的な取り組みを考察し、作品における特徴や制作背景を探るとともに、これまでの彩色画の研究からは見えてこなかった白描画制作の状況を明らかにしようと考えた。特に、スランプとされる大正後期の作品については十分な検討がこれまでなく、青邨の具体的な取り組みがわかっていない。この間、多くの白描画を青邨は連続して描いており、スランプ脱出につながる重要な試みが行われたと予想する。この時期の取り組みを検証し、青邨のその後の画業にとって白描画制作がどのような意味を持つのかを明らかにしたいと考えた。

3. 制作研究の位置づけ
青邨は大正期から白描表現を試み、アメリカ開催の展覧会に出品した白描画が好評だったことにより本格的な制作を開始した。大正11-12年にはヨーロッパ留学を果たし西洋絵画から多くの刺激を受けた。昭和2年に再興日本美術院展覧会に出品した《羅馬使節》(早稲田大学會津八一記念博物館所蔵)は欧州留学の成果とされ、鮮やかな色彩表現に注目が集まるとともに、大正8年から続く青邨のスランプを払拭した転機の作品としても位置づけられている。
本研究では、上述の大正8年から《羅馬使節》発表の昭和2年までを青邨の模索期と捉え、この期間の作品について分析を行った。この間の作品はこれまで評価が低く注目されなかったが、青邨はこの時期に多くの白描画を連続して描いており、線描の研究や構図の工夫など様々な模索を行っていることがわかった。これらの考察から、青邨は白描画制作によって日本画への自信を取り戻したと推察でき、白描画制作がスランプを乗り越える契機になったと考えられた。従来の考察では《羅馬使節》が重視されてきたが、この作品と同時に発表された白描絵巻の《西遊記》(MOA美術館所蔵)のほうが、むしろ模索期に取り組んだ集大成とし重視すべき作品であり、青邨にとって転機となる作品であると考えられた。《西遊記》以降、青邨は模索期に獲得した表現をその後の作品にも活かしており、大正期の白描画制作が昭和期においても引き継がれている。したがって、大正期より取り組んだ白描画制作は、青邨の画業において中心的な基軸となり、日本画制作そのものを方向付ける重要な役割をもつことを本研究によって明らかにすることができた。

4. 自己評価
彩色画とは区別されてきた青邨の白描画を考察することで、これまで注目されなかった大正後期における青邨の取組みが明らかになり、この時期に模索した表現がその後の制作にもつながることがわかった。白描画制作が青邨に日本画への自信を与え、スランプを切り抜ける契機となったことは重要であり、従来の研究とは異なる《西遊記》への評価が得られたことは大きいといえる。
今後の課題としては、青邨の戦後の白描画についても考察を進め、制作の中心となっていく白描の肖像画や、それらと並行して取り組んだ風俗画など、戦後新たに展開する白描作品が戦前の制作とどのようにつながっていくのか検討を加えたい。また青邨に刺激を与えたヨーロッパ留学についてもさらなる検討が必要であり、特に滞欧中に取り組んだ伝顧愷之《女史箴図巻》の模写は青邨の制作に影響を与えたと考えられる。今回の研究では十分な考察が進められなかったため、この作品が同時代の画家らに与えた影響も含めて今後の課題としたい。

鈴木 淳子

(大学院)芸術学分野

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