和の伝統文化コース 山下 亜加音【学長賞】
2009年からいけばなの草月流、2017年からは珠寳先生の下でたて花を学び、
いけばなの実践を続けてきました。
また、本学で学ぶ中で、挿花の実作と併行して、
いけばな文化の歴史を学問的に研究していきたいという思いが生まれました。
日本の花道史上、初めて花道の思想を明確に表したとされるのは、
室町時代後期の池坊専応による花伝書『専応口伝』序文の
「野山水辺をのづからなる姿を居上にあらはす」という表現です。
卒業研究では、いけばな文化の初期に当たる室町時代から江戸時代初期の花伝書、
五山の禅僧の漢詩、絵巻物、日記等の史料を元に、
この「野山水辺をのづからなる姿」の挿花思想とそれが生まれてきた背景を検討しました。
そして、これまで中世挿花文化の源流として注目されてきた依代や仏像荘厳の供華以外に、
盆栽や作庭も、挿花文化と深い関わりを持っていたのではないか、
そこには「庭から軒先・縁側の盆栽、そして室内の挿花へ」という、
大自然の表現をより縮小化して手元に近づけようとする流れがあったのではないかと考察しました。
今後も仕事のかたわら、いけばなの実践と研究の両方を、
ライフワークとして続けていければと考えています。
「野山水辺をのづからなる姿」の挿花思想
-草花瓶・砂之物と盆栽・作庭の関係から-
東京都
≪要約≫
室町時代後期の池坊専応による花伝書『専応口伝』の序文は、「野山水辺をのづからなる姿」を表現することが挿花の目的であるとの宣言から始まる。これは日本の花道史上、花道の思想を初めて明確に表したものとされ、最も古い様式であるたて花やそれを発展させた立華を代表する思想とされてきた。たて花・立華は、依代や仏像荘厳の供華を源流として成立したとされているが、依代や供華からは『専応口伝』の自然描写的・縮景的な挿花思想は導かれない。しかし、この挿花思想が生まれた背景や、依代・供華以外の源流の可能性について、十分な検討がされてこなかった。また、供華の系譜とは異なる挿花である草花瓶・砂之物と盆栽・作庭との間に深い関係があり、縮景的なたて花観が生まれた背後に盆栽的な砂之物があり得るとの指摘もあるが、詳細な検討はされてこなかった。本稿は、中世挿花文化の源流に、依代・供華の他に盆栽・作庭との関わりがあった可能性と、「野山水辺をのづからなる姿を居上にあらは」すたて花観が生まれた背景について考察するものである。
先ず第一章では、日本の挿花文化における『専応口伝』序文の位置づけを検討するために、立華大成までの歴史を概観した上で、『専応口伝』写本の序文やそれに先立つ池坊の花伝書の記述を比較検証した。その結果、「野山水辺をのづからなる姿」とは眼前の自然風景ではなく、大自然の縮景であることを確認した上で、この考え方自体は専応以前の池坊の系譜で既に受け継がれていたが、それが池坊と他の流儀を分ける重要な点であると自覚されたのが専応の時代だったと指摘した。
第二章では、室町時代後期の挿花の様式的展開を、供華の系譜を引く同朋衆の三具足の花以外の系譜に着目して検討するため、室町末期までの花伝書や公家家司の日記『山科家礼記』の記述を整理した。その結果、初期池坊や公家社会では三具足の花とは異なる系譜が主流であり、その中に自然描写の考え方があったことを指摘した。次に、池坊に関連する花伝書を精査し、文明十九年(一四八六)に池坊の花の立て方が季節や自然描写を重んじる「古池坊」から釣り合い重視の「当世」流に転換したこと、この転換が三具足の花の影響を受けたものであることを指摘した。その上で、次いで現れた『専応口伝』を自然描写重視への回帰と位置づけ、さらに、『専応口伝』における三具足の花の池坊への統合と自然描写の抽象性の深化を指摘した。これらの分析から、具象的な花が中心だった池坊が同朋衆の花も取り込んで勢力を拡大した、三具足の花を真と位置づけて以降も池坊の中核には縮景的たて花観があり、かぶたて等の風景描写の花が行・草に位置づけられていたが、次第に三具足の花が発展して立華に大成する中で、かぶたてや草花瓶の花の一部が砂之物として様式化され、草の立華となったと論じた。
第三章では、依代・供華以外に挿花に影響を与えた可能性のあるものとして盆栽・作庭に着目し、その構成理念を考察するため、平安時代中期の『作庭記』や鎌倉時代以降の五山の漢詩、及び絵巻物中の盆栽の絵を収集・分析した。その結果、たて花の名手たちの登場に先立ち、盆栽及び作庭に縮景の思想があったことが明らかとなった。特に盆栽は、室町時代には僧侶、将軍・武家、貴族に広く愛玩され、また、理想化された大自然の景を表現するものと捉えられていたことを確認した。
第四章では、挿花と盆栽・作庭との関係、及びそれと「野山水辺をのづからなる姿」の思想との関連性について、多角的検討を加えた。まず花伝書・随筆の記載から、専応らが、作庭と挿花が共に大自然の縮図を表すことを目的としていると認識していたこと、また江戸時代初期には立華が作庭から発展したと認識されていたことを指摘した。次に、かぶたて・砂之物について、飾られる場所の盆栽との類似性を指摘した上で、その砂は花を地面から生えているように見せる目的で使われたと論じ、かぶたて・砂之物が盆栽をたて花化して生まれた可能性を提示した。これを検証すべく、盆栽と室町後期の挿花の形態を比較分析し、かぶたて・砂之物と盆栽の全体の形態が酷似していることに加え、「しん」の形状に着目し、三具足の花では「しん」が直ぐであることが重要であったが、その他のたて花、特に砂之物の系統では、むしろ盆栽同様にS字湾曲したものを評価する文化もあったことを指摘した。最後に日記の分析から、たて花と盆栽の担い手の密接な関係を明らかにした。
以上の検討の結果、たて花の中に、供華から発展した三具足の花とは別に、盆栽や作庭と関係の深い系譜があることを明らかにした。それは、庭から軒先・縁側の盆栽、そして室内の挿花へという縮小化の流れの中で生まれ、大自然の景色をより手元に近づけたいという人々の思いの表れであったと考えられる。そこに通底する「野山水辺をのづからなる姿」の思想は、三具足の花の系譜との差異化の必要性の中で専応により一層強調され、三具足の花も取り込みながら抽象性を増しつつ確立された。
本稿では従来花道史で注目されていなかった依代・供華以外の源流に迫るとともに、たて花・立華を代表する「野山水辺をのづからなる姿」の思想の背景について一考察を提示できたと考える。これを本稿の成果としたい。
山下 亜加音【学長賞】
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