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The Clients

文芸コース 織田千寿

同窓会賞

作品への想い
 この作品は「生き延びるために何を差し出すか」という問いから生まれました。
 2000年代のリーマンショック直前、オバマが大統領に選ばれる直前のニューヨークで、日本人女性が自分の身体と人種的特徴を戦略的に生活の糧として利用する。それは搾取なのか、主体的な選択なのか。私はそのどちらとも断定したくありませんでした。
 人種や移民といった題材を選んだのは、これらが「選ぶ側」と「選ばれる側」の境界を曖昧にするからです。マキはクライアントに選ばれる存在でありながら、同時に自分の戦略でクライアントを選んでいる。支配と被支配は固定されず、常に反転する可能性を持っています。
 本作は連作短編集の第一話を想定しています。この先、マキはクライアントたちとの関係を通じて変化していきます。鉄壁だった強さが揺らぎ、崩れ、やがて別の形で再生する。その過程で、変容を受け入れることもまた強さであると描きたいと考えています。

概要
 本作は、リーマンショック直前のニューヨークを舞台に、逞しく生きる日本人女性マキの視点から、人種、階級、ジェンダー、セクシュアリティといったダイバーシティを描いた連作短編集の第一話を想定した作品である。
 物語の中心にあるのは、「黄色い肌」という人種的特徴がフェティシズムとして商品化される現実と、それを自覚的に利用して生きる女性の姿である。マキは白人クライアントの「イエローフィーバー」を糧に生計を立てながら、同時に複雑な感情を抱いている。
 構成面では「氷山理論」を意識し、説明しすぎない文体に挑戦した。日常会話の下に潜む緊張や欲望を暗示的に描き、読者に解釈の余地を残すよう設計した。
 テーマは、グローバル化した現代都市における「サバイバルの戦略」と「選ぶ/選ばれる」を多層的に描いた。性産業という直接的な商品化だけでなく、人種的特徴、文化的アイデンティティ、恋愛関係のすべてが何らかの「交換」の対象となる現実を提示する。
 文体面では、レイモンド・カーヴァーのミニマリズムを参照しつつも、ニューヨークという多文化都市の風景描写を意識した。
 作品は結末で答えを提示しない。マキの選択は正しいのか?  すべては読者の解釈に委ねられる。

本文
The Clients

「女に生まれただけで、この国では損じゃない? しかもあんたは黄色い肌だし」
 わたし達はリビングルームで世間話をしていた。セッションを終えてクライアントを帰した後、スタジオを借りているお礼にもらったヴーヴ・クリコを空けてアナスタジアに勧めた。シャンパンは彼女の大好物だ。細かな泡がグラスの底からふわりと立ち上がる。彼女は窓から差す夕刻の日差しに向かってグラスを透かした。栗色の髪も一緒に透けてキラキラ光った。
「まあね。でも女であるのと黄色い肌のおかげで食べていけてるからオーケーかな」
「あたしは付き合うなら断然ブラックだけど、クライアントはホワイトばっかり。ブラックの子はホワイトにはあんまり靡いてくれないし。ボーイフレンド見つけるのも大変」
「わたしもブラックのクライアントは居ないわ。イエローフィーバーのホワイトばっかり」
「マキはボーイフレンドがイエローでしょ? やっぱり同じ人種が良いわけ?」
「肌の色はどうでも良いけど、やっぱりエデュケーションがある人がいいなぁ」
「ふーん、じゃあホワイトか」
「そうとは限らないよ。オバマとかデンゼル・ワシントンだったら寝てもいいと思う」
「へえ、あの辺なんだ。セクシーだよね。オバマも支持を集めてるし、彼がプレジデントになったらこの国も変わるかもね」
「うん……」
 相槌を打ったが、そんなに簡単に変わるのだろうか。女性としてトップに這い上がったヒラリーでさえ、ガラスの天井と口にするくらいだ。性別と肌の色。そして職業。強い日差しがアナスタジアのグリーンアイズに入り込み、彼女は猫のように瞳孔を小さくした。わたしは息を深く吸い込んだ。ドリーミーな意見をあっさり言えるアナスタジアが少し羨ましかった。しばらく無言でいると、彼女は瞳を見開いて乾杯するようにグラスをこちらへ向けた。
「マキはジャパニーズだから人気あるし、キンバクっていう特技もあるじゃない? チャイニーズやコリアン達よりラッキーだよ。そうだ! 来週仲の良いクライアントがくるから二人女王様やらない? あたしにもキンバク教えてよ」
「もちろん」
「サンキュー! じゃあ来週」
 あっという間にシャンパンのボトルが空になったので、二百ドルを渡して彼女のアパートメントを後にした。麻縄や蝋燭でずっしりした小型のサムソナイトを引きずり、数ブロック離れたタイムズスクエアへ向かう。デジタルカメラを手に写真を撮っているカップルやブロードウェイのチケット目当てに長い行列を作る親子連れ。ヨーロッパ人のバックパッカー。ニューヨークを楽しみ尽くそうと世界中から人が訪れる。Tシャツにスキニーデニムでスーツケースを引き摺るわたしも傍目には観光客だろう。誰も気に留めることはない。ビルボードには笑顔のオバマとCHANGEのスローガンが繰り返し流れていた。

織田千寿

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