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た は む れ

文芸コース 高森 慶子

ひとり親の父から見放されたような少女が、父の実家で芽生えた「大人とコドモ」の初恋から成長して「叔父と姪」の禁断の恋愛を叶え、その後の営み(本作ではこの年月は描いていない)の末に相手を喪い、生と死の狭間で精神世界の幻想に囚われるまでの一人称の短編小説である。
「唯一無二」の存在の喪失後、遺された一方が生きる希望(ハッピーエンド)とも後追い(バッドエンド)ともつかず、決着しないまま終幕となる。私自身激しい恋愛体験は今や望むべくもないが、終活するような年代になって伴侶との年齢差を考えた時、心の拠り所を喪った心中はいかばかりだろうかとの想いが主題の下地となった。
我を失うほどの繋がりの濃密さを表現するには、特異な関係性が分かりやすく、よって血筋と孤独を背景にした。今と違って何一つ便利な環境が存在しない昭和の片田舎で、「飼育=調教」などのサディズム要素は相手への依存の手段となるが、官能世界の奥の無垢まで表現しきれたかというと書き足りなさがある。
彼女の恋は成就した。しかし永遠にひとつで繋がっていたいという最も純粋で究極の願いは現実的には潰えたように見える。
執筆中、「生は有限であり死は無限」とどこか哲学のような真理が難解すぎて、人が生きて死ぬ意味はどこにあるのかという迷妄に私自身が今も囚われている。

高森 慶子

文芸コース

人生終盤になって、仕事と育児の現役卒業を前にして思ったのは、「果たしてこれで自分の人生に満足していいのか」ということであった。二十代後半まで数年ほど文芸の同人活動に参画していたが、最初の妊娠と同時に退会して筆を折り、当時の仲間とは疎遠となってしまった。そうして3年前心機一転して本学に入学し、学生生活と創作の両方を、何周回か遅れて再始動することとなった。
今のようなマーケットもない時代、「まるで性行為のような、ラストで明かされる献血シーン」は超短編かつパロディだったが、当時の私は仲間うちで「官能作家」と呼ばれていた(笑)。
相論で大人向けと読み手を恥ずかしがらせたような自作だが、卒作の中でもかなりニッチな題材である。しかし芸術大学生の創作物としてどうかと自分に問えば、かのダビデ像だとてあれを芸術ではないとは言えまいと言い聞かせ、自分流を貫きたいと思えたこの頃である。

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