本文へ移動

爆弾池Ⅱ

(大学院)洋画分野 田坪 裕美子 (廣川裕美子)

爆弾池Ⅱ
91.0×116.7cm
キャンバス/アクリル、アルミニウム箔、胡粉、アキーラ、モデリングペースト、メディウム、写真

私が初めて爆弾池を目にしたのは、日本画家、川端龍子の記念館でした。そこには、龍子の作品《爆弾散華》に由来する池が残されています。
現在では緑に覆われ、静けさと生命感に満ちた池を前に、私は「爆撃の跡を見つめる」という行為の重さを感じました。
調べてみると、日本だけでなくヨーロッパやアジアにも、爆弾池があります。それらの池は、記念碑もないまま、静かに戦争の傷痕を大地にとどめているのです。大阪の淀川河川敷にも複数残っていて、私が子供の頃にザリガニ釣りをした小さな池も、実は空襲跡だったのかもしれません。また、衛星写真で見るウクライナの草原の無数の爆撃跡も、雪や雨が降ることで爆弾池となることを知りました。
過去から現在、身近な体験から世界へと広がるこのモチーフの普遍性に気づき、私は爆弾池を描くことを決めました。
作品は白のみを用い、アルミニウム箔の上に描いています。白色に、沈黙や祈り、死の象徴としての意味を見出したからです。
下地には、空襲の遺体写真を用いました。池の部分に貼り、箔によってほぼ覆い隠しています。死者を箔の光に沈めることで、祈りをこめました。
彫刻刀で作ったマチエールで、画面に戦争による荒廃や痛みを刻みました。
大きな花は、ほぼ実寸大のアガパンサスです。球状の花は美しいですが、爆弾が炸裂する瞬間にも見えます。その印象を重ね、一部は爆発するかのように描きました。水面に倒れ込む花は、死者に駆け寄るかのような哀しみを湛え、散る花びらは涙を象徴しています。また、池に浮かぶ羽根は、戦火で失われた命を静かに伝えています。
作品は、0号と1号の細い筆を使いました。古典技法のハッチングのように線を重ねたことで、下の箔が微かに透け、繊細な表情が生まれました。
撮影は、自然光です。朝の光を受けると、銀色の箔はまばゆく輝き、爆弾池や花々は光に溶け込むようです。箔は光によって刻々と表情を変えます。その変化は、記憶や祈りが、時とともに移ろうことを示しています。
やがて夕陽を浴びると、箔は白金のような柔らかい光を放ち、白で描いた部分とのコントラストがいっそう際立ちます。まるで西方極楽浄土からの光が射し込むかのように、安寧の爆弾池が照らし出されました。その光景のなかに、私の祈りとともに、戦争の傷跡や死者たちの声が静かに立ちのぼるのを感じ、その余韻をとどめるために、この卒業展には夕陽に照らされた写真を選びました。

爆弾池Ⅰ
91.0×116.7cm
キャンバス/アクリル、アルミニウム箔、胡粉、アキーラ、モデリングペースト、メディウム、写真
爆弾池Ⅲ
91.0×116.7cm
キャンバス/アクリル、アルミニウム箔、胡粉、アキーラ、モデリングペースト、メディウム、写真

田坪 裕美子 廣川裕美子

(大学院)洋画分野

CONTACT

私は、社会問題、とりわけ戦争を主題に絵を描いています。その原点は、2001年、ワシントンD.C.で美大生だったときに遭遇した911同時多発テロ事件です。大学はホワイトハウスの隣にあり、ハイジャック機の進路がわずかに違っていれば、私も巻き込まれていたかもしれません。この出来事は、「表現は何のためにあるのか」という問いを私に突きつけました。
事件後、他の学生たちと校内の壁に描いたドローイングは、悲しみや恐怖の吐露であると同時に、祈りの場でもありました。私はそこで、表現が祈りとなる瞬間を、初めて実感しました。この体験が、私の制作の出発点となっています。
さらに、長崎で原爆雲を目にした父の語りも、私の制作を内側から支えています。体験した出来事と受け継いだ記憶に静かに向き合いながら、私は絵画を通して、沈黙のなかに祈りを宿す表現を探り、現代社会に応答し続けていきたいと考えています。

このコースのその他作品