
テーマ選定では、自分が好きで美術館などで見てきた絵画作品ではなく、大学の芸術学科に入学した意義を見出せるようなテーマにしたいと考え、興味を持っていたルネサンス美術から、「美しい」と思ったティツィアーノの作品を選択し、最終的には授業で先生にご相談の上、《うさぎの聖母》に決めました。
論文を進めていく段階で、ルネサンスという時代、イタリアと北方地域との交流、画家同志の交流と影響、パトロンとの関係、画家が作品に込めた想い、宗教的モチーフなど、論文を書く前には想像もつかなかった広い世界があることを知りました。ルネサンスに生まれた《うさぎの聖母》は、ルネサンスという時代が凝縮された作品であるという新たな発見を、項目ごとに出来るだけ丁寧に資料に基づいて纏めることに注力し、何とか論文を完成させることが出来ました。
どうして良いか全く分かりませんでしたが、論文研究Ⅰ、Ⅱの授業や個別相談で論文制作の方針を教えて頂き、卒論を書き始めてからは、面談や添削で大変丁寧なご指導を頂いたこと、ご指摘頂いた様々な参考資料を全てチェックしたことが論文作成に大変役に立ちました。先生方のご指導に心より感謝申し上げます。
芸術学科 - 芸術学コース
内山 順子【学科賞】
東京都
ティツィアーノ《うさぎの聖母》
―「聖会話」図像における革新性についての考察―
【要約】
〔目的と考察方法〕
ティツィアーノの《うさぎの聖母》は、大きなうさぎ、「謙譲の聖母」、豪華な衣裳でイエスを抱いている聖カタリナ、羊飼い、宗教的モチーフなど、一般の「聖会話」図像にはみられない特異性がある。「聖家族」との関連性も指摘されており、特異性の意味と「聖家族」との関連性を検証し、ティツィアーノが「聖会話」図像にもたらした革新性を明らかにすることを目的としている。
「注文主の話題や隠喩を描く」、「特定のメッセージを含む」というルネサンス絵画の特徴に着眼し、ティツィアーノの画業、ヴェネツィアの地理的、歴史的条件、「聖会話」図像の歴史、トスカーナやローマ、北方絵画の影響、パトロンとの関係を検証のキーとして総合的に考察する。
〔画業からの考察〕
画業初期には、ジョヴァンニ・ベッリーニの色彩画法やジョルジョーネの詩的な風景描写と優雅な女性像を習得する。ヴェネツィアはドイツなどの北方や東方などの交流が盛んで、デューラーもヴェネツィアに滞在し、《うさぎの聖母》の構図の着想に繋がるような、《三羽のうさぎのいる聖家族》などの作品が持ち込まれたことが推察される。ティツィアーノは、デューラーの絵画を通してネーデルランドの写実描写を学ぶが、トスカーナやローマの芸術も熱心に研究し、ミケランジェロやラファエロの作品からの応用を図りながら独自の画風を築き、重要なパトロンを次々と獲得した。
〔図像的特徴の考察〕
《うさぎの聖母》には、大きな白いうさぎと聖カタリナという二つの重要な図像がある。うさぎは豊穣、子孫繁栄、又、純潔の象徴として多くの作品に描かれた。《うさぎの聖母》ではもう一羽のうさぎと生産性を表す力強いタチアオイの描写からも、豊穣、子孫繁栄を表していると考えられる。聖カタリナは高貴で教養のある理想的な女性として、「聖カタリナの神秘の結婚」のテーマで多くの作品に描かれている。《うさぎの聖母》の聖カタリナも豪華な花嫁のような装いから花嫁を表していると考えられる。
〔「聖会話」と「聖家族」図像についての考察〕
「聖会話」図像は、15世紀半ば以降、ジョヴァンニ・ベッリーニがヴェネツィアで人気の図像として確立した。ティツィアーノの「聖会話」図像を辿ると、ジョルジョーネ風の作品から、ミケランジェロやデューラーの構図や図像を応用するなど、人物像や構図など様々な革新を図ってきたことがわかる。
「聖家族」の図像は、「謙譲の聖母」が描かれた家族の和やかな雰囲気の図像で、結婚や出産の祝福として制作された。「聖家族」の図像の一つとされる「エジプト逃避途中の休息」の図像では、バスケットのモチーフなどから安らぎのイメージが作られている。
〔パトロンと制作目的についての考察〕
《うさぎの聖母》の注文主であるフェデリコ二世・ゴンザーガは、北イタリアの名門貴族で芸術に造詣の深いマントヴァの君主である。しかし、利己的な性格からマルゲリータとの結婚までに愛人や結婚解消など罪深い行動が多かった。《うさぎの聖母》は制作年からマントヴァ公の祝婚画と考えられるが、マントヴァ公の結婚までのマイナス要素を払拭するという「イエスによる罪の救済」と「祝婚と子孫繁栄」という二つのコンセプトを作品に盛り込むことが必要とされた。
〔革新性についての考察〕
図像的革新性について:二つのコンセプトを反映するために、デューラーの作品から大きな白いうさぎのインパクトのある構図を応用し、ミケランジェロやラファエロの「聖家族」の図像から「謙譲の聖母」の安らぎのイメージを施し、聖カタリナに花嫁を投影させた「聖カタリナの神秘の結婚」の図像を融合させた。聖ヨセフを聖母子から少し離して描くというフランドル絵画の特徴的構図を応用して、少し離れた所から花嫁を見守る羊飼いの姿でマントヴァ公を登場させた。更に、宗教的モチーフを美しい田園風景に溶け込ませる等の様々な工夫が施された結果、特異性のある「聖会話」図像が誕生したことが明らかになった。
芸術的革新性について:北イタリアの名門貴族の高い芸術志向を反映し、トスカーナやローマの作品からの応用、北方絵画の写実描写、レオナルド・ダ・ヴィンチのスフマート技法、など当時最高レベルの絵画材料を、ヴェネツィアの高価な顔料と最高の色彩画法で見事に融合させている点に、ティツィアーノの芸術的革新性が表れていることが明らかになった。その背景には、重要なパトロン獲得、トスカーナやローマの芸術家に対する強いライヴァル意識があったことも浮き彫りになった。