歴史遺産コース 岡 登志雄【学科賞】
数多の研究がありながらいまだに未解明点の多い「古九谷様式」の研究にとっかかりを見出すため、
あまり注目されていない従属文様(器の主題ではなく、周囲や裏面に描かれる文様)の
牡丹唐草をテーマに据え、蔓、花、葉に分けて約百点のトレースを行うことで、
特徴をあぶり出すことにトライしました。
元・明の青花や近世初期の肥前磁器と古九谷様式を比べた結果、
古九谷に二つのタイプの牡丹唐草があることを発見しました。
またそれらは中国からの影響を受け誕生し、
近世初期の国内外のニーズによって姿を変えていったことがわかります。
唐草は古代エジプトやギリシャで発祥してからイスラム世界、中国を経て日本に到来し、
再び、西洋に逆輸入されました。
そのことを詳らかにするための第一歩として、
文様の特徴を解き明かすトレース作業の実行がこのレポートの最大のポイントです。
古九谷様式における文様構成の基礎的研究
-染付牡丹唐草文をめぐって-
東京都
「古九谷」が焼かれた可能性のある二つの窯、石川県加賀市の九谷古窯跡遺跡(上)と
佐賀県有田町の山辺田遺跡(下)。
「古九谷伊万里説」を文様の観点から考察する本研究の出発点となった場所である。
≪要約≫
濃厚な色絵表現など非常に明快な特徴を持ち美術的評価が高いものの、文献的資料に乏しく古くからその出自が謎とされてきた古九谷様式は、これまでその産地をめぐってさまざまな議論が交わされてきた。
近時の研究では、発掘調査に基づく分類と素地の化学分析により、いわゆる「古九谷」とされてきたものは一六四〇−五〇年代に肥前有田のいくつかの窯で焼かれたとするのが定説となった。一方、九谷でも色絵磁器が焼かれていたことも明らかとなり、有田・九谷双方の地で焼かれたものの特徴を明らかにすることが次なる課題となっている。
本研究は、古九谷様式についてこれまであまり触れられることのなかった従属文様、中でも裏面や主文様の周囲に描かれた染付牡丹唐草文様の文様構成について、基礎的な論考を行ったものである。
ともすれば、印象論や芸術評論に傾きがちな文様研究において出来るだけ客観的な議論ができるものにするため、百年以上前に唐草文様の起源を解き明かしたオーストリアの美術史家アロイス・リーグルの『美術様式論―装飾史の基本問題―』における方法論に倣い、伝世品八十四点・発掘資料十六点の計百点に描かれた牡丹唐草の写真を花・蔓・葉のパーツに分解しそのトレース作業を行なった。元・明の青花(日本の染付を中国では青花と呼ぶ)や十七世紀前半の初期伊万里・後半の柿右衛門・鍋島・後期古伊万里と、古九谷様式の染付牡丹唐草の文様構成の比較を行なうとともに、発掘調査結果に基づく先行研究を参考に、できるだけモノに即した論考を行うことを心がけた。その結果から次の様なことが想定されることとなった。
(1)古九谷様式伝世品十六点のトレースから、その染付牡丹唐草は、すっと伸びた蔓と三角形の葉が絵画的に描かれたType Aと、渦を強調した太い蔓とハート型の子葉が規格的に組み合わされたType Bの二種類に分かれることが想定された。
(2)リーグルによれば古代エジプトで生まれギリシャの唐草に描かれたパルメット(棗椰子)の花の側面形がイスラム世界で「サラセン三角葉」となったという。それはやがて元末明初の景徳鎮の青花磁器に描かれる様になるが、その技術を導入し古九谷様式の大皿を焼いた有田の山辺田窯では、大皿を飾る唐草文様として、Type Aを導入したことが想定された。
(3)江戸時代初め将軍家が各大名の江戸藩邸に御成を行なっていた頃、藩の安寧のため将軍家や他の大名家をもてなす前田家や諸大名にとっての必要な道具立てとして、古九谷の大皿が用いられた。豪壮でインパクトの強いType Aは観賞用として求められたのではないかと考えられる。
(4)佐賀県立九州陶磁文化館の柴田コレクションを中心にトレースした結果から、十六世紀前半の古九谷様式登場前の初期伊万里においては太い線の蔓と三角形の葉のType Aは存在しないが、古九谷様式が作られた十七世紀中頃のものにはType A, Type Bの両方が見られる。十七世紀後半以降になると様々な蔓、葉の形が存在する様になる。
(5)発掘調査の結果、古九谷様式は山辺田窯以外に有田皿山の内山地区の楠木谷窯、岩谷川内窯(猿川窯)などで焼かれたことがわかっている。輸出を背景に量産化を目指した鍋島藩の窯場再編政策により、楠木谷窯は柿右衛門窯へ、岩谷川内窯は鍋島藩窯に移転し、大皿の一品製作を得意とした山辺田窯は廃窯となり、古九谷様式は生産を終了したと評価されている。
(6)十七世紀後半になり国内においても磁器が日常の器として使われるようになると、器のサイズが小さくなって組み物が増えた。その頃生まれた鍋島にはType Aが存在しないことがトレースの結果から想定された。これは、Type Bのような規格化された文様の方が同じ文様構成を組み物として生産するのに容易だったためではないかと筆者は考える。
(7)元末明初の文様を受け継いだType Aの蔓と三角葉は、中国磁器の代替品として輸出を目指した柿右衛門や後期古伊万里に受け継がれたことがトレースの結果から想定された。また東大本郷の前田邸跡からは、十七世紀後半に柿右衛門の染付皿が発掘されており、その牡丹唐草は、Type Aを受け継いだ三角形の葉を示し前田家の唐物好みを示すものと評価できる。
以上のことから、染付牡丹唐草の蔓、葉の文様構成は、元・明青花から古九谷様式に導入されたと評価できる。その後、江戸初期の大皿で最盛期を迎え、Type A, Type Bの二種に分かれながら柿右衛門、鍋島、古伊万里へと伝承されたと考えられる。このことは古九谷様式が肥前における文様の画期として出現し、肥前磁器に継承されたことを裏付ける可能性を示すのではないかというのが本論稿の結論である。
岡 登志雄【学科賞】
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