令和どこも苦地蔵
イラストレーションコース 富樫久美子 (いのきち)
紙芝居型ショートアニメーション mp4形式 3分51秒
まだ平成の頃、「どこも苦地蔵」に会いに行った。鎌倉の瑞泉寺に立つ一体の地蔵菩薩立像。鎌倉時代中期から鎮座場所も転々としてきた古仏だ。小さなお堂で、堂の上部が暗くて表情もはっきり見えず、感動に打たれたわけでもない。しかしこれが私と「どこも苦地蔵」の付き合いの始まりだった。
地蔵菩薩が堂守の僧侶の夢に出てきて「どこもく、どこもく」と言ったという。たったそれだけの話なのに、現地の人々によって細々と、しかし消えることなく言い伝えられてきたということに興味を覚えたのである。
「どこも苦」は現代で主流のJ-POP的な姿勢、「夢を諦めないで」「DREAMS COME TRUE」「諦めたらそこで試合終了だよ」の真逆であろう。最初から憧れや努力の価値を認めない、夢も革命も否定するような「結局死んだら同じ」みたいな人生観は、諦観というより怠惰と謗られ、または人間の可能性に対する冒涜だとされるかもしれない。
十年以上前だが、二日間のシナリオ教室に参加したことがある。最終課題はオリジナル作品のあらすじを発表するというもので、苦し紛れにどこも苦地蔵を題材にした。タイトルは『平成どこも苦地蔵』。テーマは現代の老々介護。クククたち小地蔵もすでに登場している。先生は面白がってくれて、私を「どこもくさん」と呼んだ。そして、「早く作品にしないと、私がもらっちゃうわよ」とおっしゃった。私は調子に乗ってシナリオを2本描いた。1本は公募で3次選考まで行った。2本目はそれ以下だった。そして生活の変化に紛れてなんとなく離れた。
しかし困難で行き詰まるとぼんやり「どこも苦地蔵」を思った。慰められた。逃避かも知れない。でもどうしても惹かれる。
令和になり、特に世界的なコロナ流行、ロシアや中東の大きな戦争。人々の貧しさや苦しみや不安は増大している。力のある国が弱い国の領土を奪おうとする世界に戻りつつある。
「どこも苦」だから耐えておれ、なんてもう誰が言えるか。しかし意外にも、幸福と不幸について、この作品を完成させようと小地蔵たちをジタバタさせる過程で考えることが多かった。小地蔵たちは結構一生懸命なのに、結局何もできず、誰のためにもなっていない。でも「お地蔵さん」とはもともとそういうものじゃなかったろうか。願って、かなわなくて、でも今日の無事を感謝する。やっぱり守ってくれているのかもしれない。
「どこも苦地蔵」を知ったのは、あるHP(今は確認できず)に載っていた「中外日報(発行年不詳)」の記事だった。この「由来(短縮前)」も保管していた記事に基づく。それ以外の設定はすべて作者の創作である。
本作のメインキャラクターは三体の小地蔵。ご本尊からふわっと現れてきた謎の三体。名前もあるが、今回の作品中お互いの名を呼ぶシーンは皆無で名前が不要となった。せめて設定を紹介させて欲しい。
作品中トリッキーな装置となっている「おみくじ」。「高い」「凶が多い」「当たる」が三大特徴。そんなおみくじを買う人なんているのかと思うのももっともだが、実は年に十人くらいは客がいたと考える(私は)。
いまさらだが『令和…』のタイトルはおかしい。シナリオは現代が舞台だったが今回はほぼ江戸時代。令和部分は見学程度で、大谷君や高市さんを描いただけ。街の風景は令和というより平成か昭和…。
住むところを追われて大八車に家族と家財道具を乗せて行く「重い荷物で行く男」。この家族と、踊り子になる女の子と、父親を背負って歩く青年、お救い小屋の男が別人かつながっているかの判断は見る者に任せたい。
楽曲について。不思議なことにメロディーはいつの間にか頭にあった。歌詞は冒頭徳川家康入ってる自覚はあったがあとは自然に増えた。人生初のオリジナル曲。使ったのはmusescore3。
YouTubeにての作品提出です。最後までご視聴頂ければ幸いです。
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