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茶の湯における掛物表装の裂地構成とその美的・階層的意義

―織豊期から江戸時代中期の茶会記を手がかりにー

和の伝統文化コース 杉村由里

学長賞

 【作品への思い】
 茶の湯の掛物は、茶室の空間の格や趣向を決定づける最も重要な道具である。しかし、その周囲を囲む裂地や表装については、本紙への注目に比べて体系的な考察は必ずしも十分ではなかった。
 茶の湯の掛物に接するたびに、私は本紙の内容以上に、その周囲の裂地の地色や文様、組み合わせによって作品の印象が大きく変わることに強く惹かれた。なぜ裂地は一種類ではなく、上下・中廻し・一文字・風帯と分かれ、異なる裂地が組み合わされるのか。さらに、その裂地の組み合わせがどのような意図や美意識に基づいて選ばれたのかという問いが、本研究の出発点である。
 織豊期から江戸時代中期の茶会記を資料とし、掛軸表装に用いられた裂地の地色・文様・技法および構成を整理・分析し、茶人や階層による選択基準や美意識の違いを考察した。裂地は単なる装飾ではなく、亭主の趣味や権威、思想を視覚化する表象装置であり、茶の湯における美意識と社会的機能を映し出す視覚的な言語であった。
 本研究は、裂地を手がかりに茶の湯の美意識を再考する試みでもある。裂地の組み合わせに託された意味を読み解く過程は、掛物を見る眼差しそのものを変える体験でもあり、茶の湯文化の奥行きを改めて実感する機会となった。

【作品の要約】

【背景と先行研究の課題】
 茶の湯において掛物は「第一の道具」とされ、その表装を構成する裂地は、地色・文様・技法に至るまで茶人の美意識や格式観を可視化する重要な要素であった。しかし近代以降の研究は、本紙への関心に比して表装意匠への注目が限定的であり、裂地選定の実態を複数史料間で比較する体系的分析は十分とはいえない。
 吉岡明美氏は舶載裂を中心に裂地の種類・文様・技法を整理し、髙田智仁氏は近衛家熙の記録をもとに公家の表具観を明らかにしたが、いずれも理念的分類に重点が置かれ、階層別・時代別に茶会記を横断して裂地選定の実例を比較する研究は展開されてこなかった。

【研究目的と方法】
 本研究は、『天王寺屋会記(自会記)』を主軸に、『天王寺屋会記(他会記)』『松屋会記』『宗湛日記』『槐記』を併用し、さらに『山上宗二記』を補助史料として参照しつつ、掛物表装に用いられた裂地の地色・文様・技法および構成を「絵画」「墨跡」「色紙」という三ジャンルに分類して総合的に分析した。
 特に商人茶人・公家茶人・権力者という異なる階層に着目し、五史料を横断して裂地選定の傾向を比較することで、階層ごとに異なる美意識とその歴史的展開を明らかにする点に独自性がある。また、織豊期から江戸時代中期にかけての社会的・経済的変化が裂地選定に与えた影響についても検討した。

【天王寺屋における裂地の整理と分析(絵画・墨跡・色紙)】
 『天王寺屋会記(自会記)』には宗達・宗及二代による1390回の茶会が記録され、そのうち688回に表装の記載が残り、絵画450例、墨跡173例、色紙81例に分類される。
 絵画では、上下・中廻しに萌黄・白・紺などの落ち着いた地色を配する例が多く、一文字・風帯には丹・香・紅がしばしば用いられ、金襴や龍・唐草文様によって格式を示す傾向がみられた。
 墨跡では、茶・アサキなどの渋い地色を基調とし、一文字・風帯に紺・紫・萌黄を配する例が多く、金紗など技法を控えめにすることで高雅な趣を保つ構成が主であった。こうした点から、絵画と墨跡では裂地の選定基準が明確に使い分けられていたことが指摘できる。
 色紙では定家色紙が多数を占め、宗凡期には同一の本紙に対し裂地構成を替えて掛け出す事例が見られ、裂地が季節感や趣向調整の装置として機能していたことが確認される。

【階層別比較と表装意匠の検討(商人・公家・権力者)】
 天王寺屋・近衛家熙・信長・秀吉を比較すると、裂地選定には階層差と時代意識の違いが明瞭に認められる。
 商人茶人(天王寺屋)は、絵画には中間色と金襴を配して荘厳性を高め、墨跡には渋色と控えめな文様裂を用いるなど、茶会の趣向や客層に応じて柔軟かつ即応的に裂地を選んでいた。
 公家茶人(近衛家熙)は、筆者の身分や由緒を第一義とし、定家詠草「泊瀬山」や鶉切に縫紗・白地金襴・紫地印金を配し、宸翰には蜀紅錦を用いるなど、礼式性と規範性を基盤とした表装意匠を構成した。家熙の裂地選定は、筆者の格式に即した厳密な判断であり、茶書的規範にも呼応する体系的な基準に支えられていた。
 権力者(信長・秀吉)の茶会では、玉澗筆「平沙落雁」「洞庭秋月」「青楓」、牧谿筆「船子絵」、生島虚堂・紅屋虚堂・大文字屋家伝来の虚堂墨跡などの名物掛物に、萌黄・丹・紫などの地色に金襴や唐草文様の裂を組み合わせた高位裂が選定された。信長は沈静な色調によって宋元画の格式を荘厳化し、秀吉は鮮やかな色彩と文様裂の多用によって権力の象徴性を強調した。これらの裂地構成は、名物性を高めるのみならず、茶会全体の演出意図を統御する構成でもあった。

【総括:裂地が可視化する階層意識と時代的変化】
 本研究の成果を総合すると、商人茶人には柔軟性と即応性、公家茶人には礼式性と規範性、権力者には象徴性と権威性が前面化しており、裂地の地色・文様・技法には階層ごとの選定基準と、織豊期から江戸時代中期にかけての美意識の変化が反映されていた。裂地は単なる装飾ではなく、茶の湯における精神性・様式性・社会性を視覚化する表象装置であり、その配置と組み合わせの分析によって、茶の湯の歴史的展開と階層意識を立体的に把握し得ることを示した点に、本研究の意義がある。
 また、茶会記の裂地記録が断片的であるという制約を抱えつつも、複数史料の照合と数量的整理によって表装意匠の全体像を一定程度復元し得たことは、従来研究を補完する成果といえる。
 今後は、裂地名称と現存作の照合および技法・実物分析を進め、名物裂の受容と評価の過程を実証的に再構築することが課題となる。

杉村由里

和の伝統文化コース

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