芸術学コース 佐藤 和美【同窓会賞】
アンリ・マティスはずっと気になる画家でした。それは、自由な色彩と線、そして装飾的で平面的という印象の強い作品が多いけれど、それだけではない「何か」が豊かな世界を生み出しているように感じていたからです。そして、平面的な印象に反して、「窓」という遠近感を感じさせるモチーフが描かれた作品が多いことも不思議に思っていました。そのため、論文のテーマは、マティスの窓が描かれた作品に注目して、マティスがどのような表現を探求したのかを考察することに決めました。テーマは比較的早い段階で決まりましたが、どのように議論を展開するかは最後まで手探りの状態でした。しかし、西洋絵画史において「窓」というモチーフがどのような役割を果たしてきたかを整理し、マティスや他の画家の窓に注目した先行研究を読み進め、自分自身でもマティスの個々の作品を分析していく中で、マティスならではの工夫やこだわりが浮かび上がり、長年抱えていた、マティスの作品は何で気になるのだろうという問いに、自分なりの答えを見つけることができたように思います。論文完成まで丁寧にご指導くださいました先生方に心より感謝申し上げます。
東京都
「窓」から見るマティスの表現の探求についての考察
【要約】
西洋絵画において窓は、古くから取り上げられてきたモチーフの1つであり、多くの画家が描いてきた。しかし、ほとんどの画家が独立した作品で1つの主題やモチーフとして窓を取り上げているのに対し、アンリ・マティス(1869 -1954)は画歴を通じて様々なヴァリエーションにおいて窓を繰り返し描いてきた点が異なっている。マティスにとって窓は、物理的にも心理的にも内と外をつなぐ重要なモチーフであり、生涯を通じて取り組んだ三次元の世界を二次元の平面にどう表現するかという問題の探求において深くかかわるモチーフであった。そこで本研究では「窓」を切り口としてマティス作品を比較分析することで、時代様式による作品理解では見逃されていた、新たな気づきを得ることを目指すものである。具体的には《コリウールの窓》(1905)を中心的に取り上げ、マティスの他の作品や他の画家の作品とも比較することで、特にマティスの空間表現に注目して考察する。
西洋絵画史を振り返ると、モチーフとしての窓は主に3つの役割を果たしてきたと考えられる。第一がキリスト教美術や象徴主義の作品に見られるように窓が何らかの意味を荷う役割、第二が一点透視図法と結びついた視覚のイリュージョンにより閉鎖空間を開く役割、第三が窓の矩形という形を生かして幾何学的かつ装飾的な画面を構成する役割である。マティスも19 世紀末から20 世紀初めに現れた画家たちと同じく一点透視図法の問い直しという問題を共有しており、あえて一点透視図法と深く結びついた窓を取り上げることで独自の空間表現を模索したと考えられる。マティス作品の窓に注目した先行研においても、窓は二次元と三次元、内と外などの異なる2つの表現を同時に可能にするため、独自の表現を模索するマ
ティスにとって重要なモチーフであったことが指摘されている。
《コリウールの窓》は、フォーヴらしい鮮やかな色彩と激しい筆致が生み出す情緒的な印象の強い作品だが、詳細に見ていくと緻密で複雑な構造を持つ作品であることが分かる。窓は室内から正面に見た構図で大きく描かれ、壁が窓を、窓が中景を、バルコニーが風景を切り取る、枠の中に枠がある構図が奥行きを強調している。しかし、モチーフの関係に目を向けると、遠近法のルールを無視した大きさで描かれており遠近感が曖昧になる。風景が窓枠で囲われることで特別なイメージに昇華され、風景画のように見えることも空間の曖昧な感覚を強めている。本作品においてマティスは、西洋絵画史で培われてきた窓の役割を念頭におきながらも、奥行きの強調と否定を同時に行い、遠近法と窓の表象を再構築した。そして、色彩の対比と反復が促す観者の視線の運動、さらには窓枠とカンヴァスの枠が画家と観者の視線を一体化する運動が加わることで、絵の中の空間が額縁の境界を突き破って拡張し、観者がいる現実世界をも包摂するような独特の空間を生み出した。
ピエール・ボナール(1867-1947)とマーク・ロスコ(1903-1970)の窓が描かれた作品でも奥行きと平面性が共存する空間表現が見られた。しかし、マティス作品では常に現実とのつながりが感じられる物理的な空間であったのに対し、ボナールやロスコの作品では画家の内面や精神的な世界が強く感じられる空間であり、空間の広がりの方向性や絵の中の世界と現実世界の関係など、それぞれの画家が表現しようとした空間には大きな違いが見られた。
マティスの窓が描かれた一連の作品を考察することで、時代を通じて一貫して、絵画独自の空間表現を探求するマティスの挑戦を見て取ることがきた。こうした視点に立つと、モダニズムの文脈で注目されたマティス作品の抽象性や装飾性といった特徴は、あくまでもマティスが追求した絵画表現の一側面でしかないことが改めて認識される。マティスは抽象的で装飾的な印象の強い作品においても、平面性のみを追求するのではなく、立体的な空間を感じさせる表現を同時に行うことで、二次元と三次元が拮抗する新たな空間を生み出した。こうした空間表現は、壁画や切り紙絵、さらには晩年のヴァンス礼拝堂のように、「枠」を持たない作品にも通じているように思われる。これらの作品は平面性が強く感じられるものが多いが、現実の三次元空間の中に配置され、その一部となることで、観者がいる空間を二次元と三次元のどちらともつかない空間に変えている。ここにも、相反する表現を同時に行うことで独自の空間を作り出そ
うとするマティスの意図が感じられ、「窓」とはまた異なる視点からマティスの表現の探求を理解することにつながる可能性が秘められているように思われる。
佐藤 和美【同窓会賞】
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