情報デザイン学科

インタビュー

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2016年1月28日  インタビュー

【教員紹介】第8弾:根之木先生

「情報デザイン学科をもっともっと知ってもらいたい!」

ということではじまった、インタビュー企画の第8弾!!

 

今回は、芸術学部長と情報デザイン学科長を兼任する “デザイン教育のスペシャリスト”

根之木正明(ねのきまさあき)先生のご紹介です。

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主な授業:情Dコース1年次「観察・思考・発想力基礎」

主な授業:イラストコース3年次「総合演習」

 

東京芸術大学を卒業後、(株)電通でのアートディレクター職を経て、

現在はその経験を生かしたデザイン&アートの教育に心血を注がれている根之木先生。

情Dの学科長として、そして芸術学部長として、日々後進の育成に尽力されています。

 

今回は東京時代の思い出話だけではなく、

かなりプライベートなお話までじっくりとお伺いすることができました。

学生たちと根之木先生による、あたたかな雰囲気の会話をお楽しみください!

(根之木先生の詳細なプロフィールはこちらからご覧いただけます。)

 

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話し手|情報デザイン学科 教授 根之木 正明 先生

インタビュアー|情報デザインコース 2年生 瀧澤 亮 くん(写真 右)

          情報デザインコース 2年生 宮下 和 さん(写真 左)    

 

瀧澤(以下、瀧):早速ですが、僕は東京出身で、宮下さんは茨城出身なんです。根之木先生も東京にいらっしゃたんですよね。全員関東出身ということで、関東トークでもしませんか?

 

根之木(以下、根):「東京ではマクドナルドをマックって言いますよね」とか、関東トークってそういうこと?(笑)僕は関東を離れてもう22年経つんです。しかも東京に住んでいたのは高校を卒業してからの16年間だけで、生まれたのは”唐津焼き”で有名な佐賀県の唐津。すぐ近くに海があって良い所でした。佐賀平野には基本的に何もないから、熱気球の世界選手権大会が開催されたり。

 

(↓右手を九州に見立てる根之木先生) 

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宮下(以下、宮):祖母に「人はみんな16歳までに住んでいた場所の話し方(方言)で生きていくんだよ」って言われたことがあるんです。だから私はずっと茨城弁だし、瀧さんも東京弁ですよね。先生は授業中も標準語っぽいですが、唐津弁が出ることもあるんですか?

 

:どこかに染み付いているかもしれないけど、もうすぐには出ないですね。急に喋れと言われると嘘っぽくなってしまうかも。

 

:先生は九州と東京を経て京都に来られたということですが、京都のおすすめスポットはありますか?

 

詩仙堂は景色もきれいで人もそんなに多くないし、京造から近いからおすすめですよ。あと京都は食べ物屋さんが美味しいよね。東京と比べると安いし!小さいお店でもちょこっと坪庭があったり、空間を気にしているお店が多い。町家を改修したお店にはよく行きます。

 

:町家でイタリアンとか、そのギャップが良いですよね。最近は若い人向けの町屋アパートもあったり。

 

:でも、もし「住め」と言われたら僕は少し嫌ですが(笑) 以前に検討したこともあったんだけど、とにかく寒いし、風呂が外にあったという理由で却下しました・・・やっぱり床暖がないとね・・・(笑)

 

一同:現代っ子だ!!!(笑)

 

:佐賀での高校生活はいかがでしたか?

 

:一応共学だったんだけど、昔は男子校だったという高校でね。だから男が多くて、学校の集会で並ぶと前も後ろも男子ばっかり。最初から男子校に行くつもりだったらいいんだけど、せっかく共学に入ったのに男子クラスかぁ、って思ってました(笑)だけど高校生活は本当に面白かった。

 

:私はその逆で女子校だったんですけど、同性ばっかりだなーって、やっぱり思ってましたよ(笑)

 

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:周りに美術が好きな友人はいましたか?いつ頃から美術関係に進もうと思われたんですか?

 

:高校は普通科でしたが、美術部に入っていたので部活の友達とはよく美術の話をしていました。実は最初の1年くらいは、友達の誘いで入部したこともあってか、遊んでばかりで何もしてなかったんです。それが、2年生になる時に「後輩が入ってくるぞ。遊んでばかりじゃいけない!」って、しっかり活動するようになりました。2年生の終わりくらいに、美大に通っている先輩が教育実習で高校に来て、話を聞いていくうちに、美大という進路もアリかなと考えるようになりました。

 

:子どもの頃から絵が好きだったわけではなかったんですか?

 

:まあまあ好きではあったけど、成績はあまりよくなかったです。中学校のスケッチ大会で頑張って描いたのが入選して、自分でも驚いたくらい。その頃はまだ芸大に進もうなんて、これっぽっちも思わなかったですね。

 

:他に将来の夢はありましたか?

 

:実は子どもの頃の記憶があんまりないんですよ。幼稚園の記憶なんて全くない(笑) 両親によると、コミュニケーションをほとんどとらなかったらしくて。もしかすると幼稚園の先生は何か問題のある子供だと思ってたんじゃないかな。

 

:ほんとですか!?

 

:本当にそれくらい黙ってたみたいです。その頃の写真を自分で見ても「あーこれは黙ってる感じの子どもだな」と思います(笑) ちゃんとコミュニケーションをとるようになったのは、中学に入学してからですね。

 

:個性的な幼少期ですが、大学受験の時はどうして美術科ではなくデザイン科を志望されたんですか?

 

:どうしても”デザインの仕事”をしたかったからです。当時は、芸術を志す人はみんな東京芸大を受けた時代だから、受験倍率が35倍とか50倍とかでね。僕も東京で2年間浪人しました。そうやって、デザインがしたいがために苦労して入学したわけですが、結局大学ではデザインなんてほとんど教わらなかった(笑) 教えてもらえたのは会社に入ってから。

 

:昔の東京芸大のデザインの先生は美術作家さんが多かったと聞いてますが、忙しくて授業に来てくれなかったということですか?

 

:うん、週に一度くらいしか来てくれませんでした。そもそも当時の先生は恐れ多くて、遠目から見ると「カタギではないな・・・」という感じで(笑) 昔は、ですよ。今はちがうと思います(笑)

 

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:そんな芸大での一番の思い出はなんですか?

 

:とにかくたくさん制作したことです。3年生までは課題を、4年生では自主制作をしていました。情Dでは考えられないけど、3年生までは2−3週間に1つしか課題が出なかったので、1つの課題のためにたくさん資料を読んでリサーチしていました。課題の種類はいろいろで、早く終わらせようとするならほんの15分で片付いてしまうような ”水墨画の模写” なんていうのもあってね。10分で炭をすって、5分で描いて終わり。そんな学生もいたけど、僕は徹底的にやってました。デザイン科の先生のなかにはデザインの基本は造形だっていう方がいらっしゃって、いわゆるデザインらしいことはあんまり教わらなかった気がします。でも不思議と学生はデザイナーで就職するんですよ。僕は電通に入社したし、同級生も大手企業や広告会社に就職していました。いつの間にかちゃんと力がついてたんですね。まあ、でもね、そもそも何か教わったとしても、当時は先生の言っていることがほとんどわからなかったんだよ(笑)

 

:えー!? たまにしか会えないのに(笑)

 

:僕らが考えるよりも遥か上のことを話されるから。わからないから一応質問はするんだけど、返ってくるその答えもまたむずかしくてね。卒業してから気がついたのは「先生、僕たちに向けて話してください」じゃ、ダメだったんだということです。あの時、先生が話していた目線を理解して、そこに僕ら学生が近づかなくちゃいけなかったんだってこと。自分が学生である時にはなかなかわかりませんでしたけどね。

 

:根之木先生が僕たち学生に教える時も、「ここまで来て欲しいな」ってちょっと高くボールを放る感じですか?

 

:僕はしゃがんでじっくり待つ派ですね(笑) できるだけ上にあがってきて欲しいとは思うけど、それは僕がそういう教育を受けてきたからなんです。やっぱり人間は自分の経験に引っ張られがちだから、現代の学生と離れすぎないように気をつけているつもりです。

 

ひよこ

 

:個人的な悩みなんですが、いまの自分は課題の制作しかできてなくて。先生は自主制作でどんなものを作られていましたか?

 

:僕はずっと絵を描いていました。創ったものは”イラストレーション”ではなく”絵”と呼んでいました。イラストレーションとは仕事の中で活かされるものだと思っていたので、自分が描いた絵がイラストレーション足りうるかわからなかったんですね。いま考えるとイラストレーションと呼べたと思いますが。もうね、すごく楽しくて、最初は家にあるものを片っぱしから描いてました。テレビとかスリッパとか。そのあとは、大学の隣にあった上野動物園に行ってモチーフを探していました。大学で上野動物園仲間を作って、みんなで年間パスを買って何度も動物園に通った。生まれたばかりのアメリカバイソンも見ましたよ。

 

:へー!もちろん描かれたんですよね?

 

:いや、それは描かなかった(笑) あれ?いま思うと動物園に行ってもあまり絵を描いてなかったなぁ。巡回してただけだったかも(笑) だけど記憶にはとどめていたみたいで、卒業制作のタイトルは「動物園に行こう」でした。F50のキャンバス6点組で。きみたちが卒業する頃に見せてあげるよ。

 

:今は見せていただけないんですか?

 

:「こんなの描いてたんですか!」って馬鹿にされそうだから今は見せない(笑)

 

:いやいやいや馬鹿になんてしませんよ!(笑)

 

4枚組

 

:イラストレーションで受賞されたのはその頃ですか? 

 

:そう、4年生から大学院生にかけてです。JACA主催の”日本イラストレーション展”と、パルコ主催の”日本グラフィック展”という二つの大きなコンペで受賞しました。日本グラフィック展の方は毎年入賞上位者のイラストを使ってポスターをつくることになっていて。その年は僕に依頼することになったらしいんですが、まだ携帯電話なんてない時代だから、毎日大学に通い詰めていた僕となかなか連絡がつかなかったみたいで、結局大学づたいで連絡をくれたんです。「今日が打ち合わせの日だから来てください」って。その日は大学の研修旅行で、今まさにバスが出ようとするところだったんですよ。僕からすると突然のことだったんだけど、そういうイラストの仕事は初めてだったので、福田繁雄先生に「研修をパスしてパルコの打ち合わせに参加したい」と伝えたんです。すると福田先生が「俺が電話に出る」と。「私は福田繁雄だ。パルコの社長にちょっと伝言しておいて」と、担当の方に何やら交渉してくれて、結局打ち合わせの日程が変わったんです。おかげで研修にもパルコの仕事にも参加できて、どちらもすごく楽しかったですね。研修といっても、なかみはソフトボールとか飲み会だったんだけど(笑)

 

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:まさに鶴の一声ですね! そんな学生生活から、電通に入社されたキッカケを教えてください。

 

:1年生の頃からずっとアートディレクターになりたかったんです。大学4年間ずっと鉄の彫刻を作っていた工芸科の先輩がデザインなんて何も知らないはずなのに電通に入社したのを見て、それなら自分も入れるなと思って(笑) そんなだったもので、入社してからは本当に勉強の日々でいろいろ失敗もしました。ある時、クライアントの扱っている商品の写真を撮影したあと、頼まれてもいないのに”レタッチ”という修正の作業をしてしまったんです。まだ一番下っ端だったのに”ホウレンソウ(報・連・相)”をしないまま勝手に作業してしまったんですね。クライアントからは当然「頼んでもいないのに何やってんの?」と言われてしまい、チームを組んでいたアートディレクターや営業の方といっしょに謝りに行ったんです。僕としては平謝りするつもりでいたんだけど、上司たちが「根之木はクライアントのためによかれと思ってやったんだ! なのに何だその言い草は!」って相手の担当者に向かって怒り出したんですよ(笑) あまりのことに「何なんだこの人たちは!?」って、もうね、感動しました。どう考えてもこちらが間違ってたんですが(笑) そんな職場だったからか、嫌な人と出会ったことがなかったですね。職場のみんながきちっと同じ目標に向かっていたので、互いが向上し合える仲間になれたんだと思います。

ただ当時はバブル景気だったから、打ち合わせの時間が深夜の1時だったり、とにかく忙しかったですね。

 

:京造の先生になられた頃はもう電通を退社されていたんですか?

 

:京造に来る5年前には仕事を辞めていて、ずっと作品を制作してました。だけどその生活があまりにも単調で、ちょっと飽きてきちゃっていて。そんな時に、ある専門学校から先生にならないかという話があってね。他の専門学校からも声をかけてもらって、そうこうしているうちに、どんどん教育の現場が面白くなってきて、もっと深く教育に携わっていきたいなと考えていた矢先に、京造から誘っていただいたんです。「大学だと専門学校とはまたちがうことができるかも」なんて考えているうちに、いつの間にか京造の前理事長と握手なんかしちゃってて、「あぁ俺、握手してる」って(笑)

 

:先生になると握手をするんですね(笑) 先生という職業がもともと好きだったんですか?

  

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:向いていたんだとは思いますね。学生の時にもすいどーばた美術学院っていう大きな美術予備校の先生をしていたし、いま思うと僕はずっと”教える仕事”をしています。でも昔は厳しい先生だったんですよ。よく講評会とかで学生を泣かせちゃって、副手さんから「また泣かせたんですか?」なんて言われてた。「いやいや、あの子は涙もろい子なんだよ」って(笑) 今はあまり怒らなくなったけど、なかみは変わってないので、怒れって言われれば怒ります。

 

:怒る根之木先生が想像できないです。

 

:激情に駆られて怒る感じではないですけどね。たとえば「プレゼンの時には作品を説明するための何かを持ってきなさい」と言っておいたのに、ただ言い訳をするだけで何も持ってこないとか、そういうことを何度も繰り返すと、きつく叱っていました。それでもね、後から学生が謝りにくるんです。その流れで「先生、飲みにいきませんか?」なんて言ってくる。それで本当に飲みに行っちゃったりね。昔はそうやって、相談や制作で、学生も僕ら教員も遅くまで残っていると「いっしょにご飯でも食べに行こう」というようなこともよくあった。ある日、僕が王将に行くと、頼んでもいない瓶ビールが2本くるんですよ。「頼んでないけど?」って店員さんに聞くと、「あちらのお客様から」って。見ると、2年生の男子2人が笑ってるんですよ。翌日が講評会だったので「先生、明日はよろしく!」ということだったらしい(笑)

 

:おしゃれなバーみたいじゃないですか!その2年生めちゃめちゃ格好良いですね(笑) そんな学生たちから、逆に学ぶことはありますか

 

:「学ぶ」という姿勢です。僕らもずっと勉強をつづけなくてはいけないから「世の中にはもっと学ばなきゃいけないことがたくさんある」っていう意識を持ちつづけることは本当に大事だと思います。なので、僕が教える時も、たとえばある学生が何かをうまくできない場合、それをできるようにするための具体的な方法を直接教えるのではなくて、”できる方法”を主体的に学べるように指導したいと思っています。

 

:今の情報デザインの学生たちに「もの申す!」みたいなことは何かありませんか?

 

:「おもいっきりやれ!」ですね。そして一歩前に出る勇気をもってほしい。

 

1-2

 

:最後に、情D2年生メンズLINEからの質問です。ぜひ聞いて来てくれとのことで。根之木先生の好きな異性のタイプはどんな方ですか?

 

:それをブログにのせるの!? うーん・・・・・・、美人。

 

一同:素直!(笑)

 

:ちなみに瀧さんは?

 

:僕は・・・、過去に付き合った人が3人いるんですけど、みんなぽっちゃりしてました。

 

:えぇーー!?

(※ 瀧さんはマッチョです)

 

:僕自身は昔からスポーツをしてたんですけど、逆にスポーツを全く好きじゃない女性の方が合っていたみたいです。宮下さんは?

 

:私は・・・まず外国人が好きです。特にヨーロッパ系の顔の人が好きです。

 

:えぇーー!

 

:すごいなぁ、外国人かぁ(笑)

 

:そうですね、外国人がほんとに好きなので、あんまり日本人を見ていません。なんかすみません。

 

:せっかくの数少ない男子たちも眼中にないという・・・(笑)

 

:そんなことないです!なんかすみません!

 

:最後の話題が好みの異性の話というのはシュールですが、これでインタビューを終わりにしたいと思います! 根之木先生ありがとうございました!

 

一同:(笑) 

 

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記事/瀧澤 亮、宮下 和

写真/藤田 彗光(4年生)

 

《 根之木先生に聞いた!  20歳のときに読んでおきたかった本  3選 》

キルヒャーの世界図鑑

「キルヒャーの世界図鑑―よみがえる普遍の夢」 ジョスリン・ゴドウィン 著(工作舎 、1986年)

 

ニューロマンサー

「ニューロマンサー」 ウィリアム・ギブスン 著( 早川書房、1986年)

 

かっこいいスキヤキ

「かっこいいスキヤキ」 泉 昌之 著( 扶桑社、1998年)

 

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学科長へのインタビューということで少し緊張していた学生たちでしたが、

さまざまな時代・場所・立場を経験してこられた先生のエピソードトークで、

すっかりコリがほぐれたようです。

 

「面白くなるのであれば」と、私たちのリクエストに笑顔で答えてくださった

根之木先生の懐の深さに心から感じ入るインタビューとなりました!

 

この企画は、約ひと月に1回のペースで更新する予定です。

次回もぜひご期待ください。

 

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↓前回のインタビュー記事

【教員紹介】7 服部滋樹 先生

過去のインタビュー記事はこちらからご覧いただけます

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スタッフ:森川

 

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2015年12月29日  インタビュー

【教員紹介】第7弾:服部滋樹先生

「情報デザイン学科をもっともっと知ってもらいたい!」

ということではじまった、インタビュー企画の第7弾!!

 

今回は、”デザインで社会を変えるトップランナー”、服部滋樹(はっとりしげき)先生のご紹介です。

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主な授業:情Dコース2年次「コミュニケーションデザイン論」

主な授業:情Dコース3年次「構想計画—リアライズ—」

 

服部先生は、大阪を拠点に多岐にわたるクリエイティブ活動を展開する会社 graf *の代表を務めておられ、

近年では地域再生などの社会活動にもその能力を発揮されています。

graf *|家具、空間、グラフィック、プロダクトデザイン、アートから食に至るまで

   「暮らしのための構造」を考えてものづくりをするクリエイティブ集団。

既存のジャンル分けを明るい笑顔で飛び越えながら、

「暮らすこと」を軸に各方面で精力的な活動をされている服部先生。

今回は、情D学科でコミュニティデザインについて学ぶ学生が

服部先生のデザイナー観やgraf設立の経緯についてせまります。

学生自身の作品についてコメントをする場面など、他ではあまり見られない

”先生としての服部滋樹”もお楽しみください!

(服部先生の詳細なプロフィールはこちらからご覧いただけます。)

 

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話し手|情報デザイン学科 教授 服部 滋樹 先生

インタビュアー|情報デザインコース 3年生 小野 七海 さん

 

対談

 

小野(以下、小):私は滋賀県出身なんですが、服部さんは滋賀県で「むすぶ滋賀」というプロジェクトをされてますよね?大阪出身の服部さんがどうして滋賀県でお仕事を?

 

服部(以下、服):10年くらい前に滋賀県の農家の方とたまたま友達になって、そこに出入りするようになったのがきっかけですね。grafとしては8年前に畑をはじめたんです。「畑をやりたい!自分で育てたものを食べたい!」ってことで、じゃあやってみようとはなったものの、メンバーの誰も畑なんてしたことがなくて。畑についてあまりに何も知らないものだから、近所の人や農家の知り合いが「土を耕して半年くらいは肥やさな!」とか「もっと早く収穫せな!」とかアドバイスをくれたんです。何度もコミュニケーションをとって関係ができていく中で、逆に彼ら農業を営む側の問題も見えてきました。例えば若手の人たちは顔の見える人のために作物を育てたいって思うけど、彼らのお父さん世代は農協の人たちなんですよ。農協っていうのは言ってみれば ”問屋さん” で、作物を生産者から小売店に流していく役割です。問屋さんが流通の間に入ると、野菜を作る人と買う人が、お互いにどんな人なのかがわからなくなる。若手の人たちはそれをいやがっていて。そういう問題を見ていくうちに、雑誌のMeets Regionalとも一緒に畑をすることになって、雑誌の記事にもなりました。

 

:実は、田舎生まれ田舎育ちの私には、わざわざ苦労して畑を始める意図がわからないです(笑)

 

:わからないよねえ(笑) 野菜は八百屋さんから買うのが一番いいけど、今はそういうお店がなくなってしまい、大型スーパーとかになってるよね。物を買うときにコミュニケーションをとることがなかなかむずかしくて寂しい。僕の子供の頃は八百屋さんや肉屋さんがあって、肉屋さんのコロッケを40円で買いに行ったりしたんです。それが美味しいんですよ。魚屋さんに行って、ちくわを買ってザリガニ釣りにいったりとかね。でも最近は大阪の都市部に住んでるからそういうコミュニケーションがなくなってしまったので、「自分たちで育ててしまおう!」ってなるわけです。

 

:ずっと思ってたんですが、すごく忙しそうにお仕事されているのに、疲れている様子もあまり見せず、むしろいつも楽しそうな印象があります。服部さんが45歳に見えないのは、何かを育てていることが関係してるんですかね?

 

:いや、それは君たちのおかげですよ。エキスを吸わせてもらってるんでしょうね(笑) ナガオカケンメイさんにも「なんでずっと大学で教えてるの?」って聞かれたことがありますが、僕は学生と話すのが楽しくて。課題を出すってことがどれだけ自分のクリエーションへのフィードバックになってるのかがわかります。実は、学生時代は大学の先生に興味がなくてね。先生という存在をあまり信じてなかったんです。大学時代からずっと研究、研究、研究で、大学の中でしか生きたことがないのに、人にモノを教えてる奴なんてクソやと思ってました(笑) 先生なんて社会経験を重ねないとできないと思ってて。なので、29歳くらいに一度大学からのお誘いいただいた時は「今の仕事が楽しい」って理由で断りました。33、34歳くらいの時に「そろそろいいかな」って思うきっかけがあって先生のお仕事を受けて、それからもう11年くらい大学で教えています。今でも、やっぱり自分には社会経験があるからこそ、実際の社会に基づくことを教えられるんだという自信があります。

 

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:大学を卒業した直後はどんな活動をされていたんですか?

 

:僕が学部を卒業した頃が、ちょうどバブルがはじけた時期で、周りで就職活動をしてた友人たちもほぼ決まってなかったんです。二つ上の先輩なんかはバブル真っ盛りだったから楽に就職できていました。SONYやSHARPというような大手企業から内定をもらえたりね。企業はリクルーティングに必死でした。で、一つ上の先輩の時にバブルがはじけて一気に何もなくなって、とにかく凄い状況になった。それを目の前で見ていたから、社会に出た時に自活できる状況を自分で作らなければと思って。その頃からgrafのことを考え始めていました。でも当時はもうちょっと彫刻を勉強したくて、宝塚造形大から神戸大の教育学部彫刻学科に大学院の研究生として入りました。そこで1年半ほど制作をしてから、grafを立ち上げる決意をもって大学院をやめました。

 

:grafをつくったときのことをおしえてください。

 

:みんなで30万円ずつ持ち寄って、6人合わせて180万円を用意しました。バブルが崩壊した頃は誰もが自分のことに必死で、スポンサーなんていうのはなかった。ほかの誰かを支援する気になる人なんてあまりいなくてね。唯一そういう機運が高まったのは神戸の震災です。震災では神戸大時代の友人が何人も死んだし、住んでた寮もつぶれた。その時にいろいろ考えました。やっぱり自活しなきゃ生きていけないんだなって。

従来の日本はずっと縦型のピラミッド社会だったけど、バブルが崩壊して、そういう枠組み自体もくずれ落ちた気がして。縦型社会よりも横型社会を作りたいんです。縦型っていうのはつまり、生産者がいてメーカーがいてユーザーがいるものなんですが、そうするとメーカーが一番強くなってしまう。メーカーが安くていいものを作れって指示を出して、生産者が苦労して嫌になって中国に工場作って生産を始めると、技術も仕事も向こうに流れていく。大学時代からこの構造自体がダメだと思ってたんですが、やっぱり崩壊していきました。本当は、職人さんたちとかおじいさんたちっていうのが僕らの先生で、その人たちと共に生きる方法、一緒に長く生きていく仕組みを作ってかなきゃいけないんですよ。grafも会社っぽいけど会社っぽくなくて、名刺には肩書きを一切書いていないんです。いちおう僕が代表取締役社長やけど、20歳のスタッフであれ40歳のスタッフであれ、名刺には会社名と名前だけ。それがフラットな社会、会社のちょっとした主張です。

 

:服部さんは学生にも気さくで平等なイメージがありますが、人への接し方もそういう考えが関係しているのでしょうか?

 

:そのイメージは嬉しいですね。肩書きを気にしてる人って、世の中に結構いるじゃないですか。肩書きっていうハードルによって誰が得するのか?ってすごく思います。その人の置かれている立場は理解するけど、肩書きの話をされたところで ”あなた” とのコミュニケーションが円滑になるのかっていったらそうじゃない。立場からの言葉が聞きたいわけじゃなくて、むしろ “あなた” からの言葉が聞きたいわけです。立場とかにだまされたくない。

 

:実際にそういう場面を経験されてきたんですか?

 

:まあ20代の時にgrafを立ち上げてから、”アンチ社会”とか言ってたしね。そういうことを偉そうに言っていたのは、実のところ自分も弱い立場にいて、お金もないし、立場として肩書きがあるわけでもなかったからですよね。ただ、自分たちだけで積み上げてきたブランドの力とか、それを信頼するユーザーと仲間がいることが僕らの強みだったと思います。若い時は社会と戦う気分でいた時代もあった。昔の雑誌の記事なんか、カメラをにらみつけたり、すごい偉そうなポーズをしてたりします。ロン毛だったりね(笑)

 

:えー!(笑)

 

:昔のことだよ!時には年齢をごまかしたりもした(笑) 28歳当時に「僕35歳です」って年上の人たちに言ってみたり。20歳そこらでスタートしてたから、なめられたくないという思いがあったんですね。

 

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:今は変わりましたか?

 

:45歳になる寸前から、あらゆる人と話してるうちにだんだん変化していきました。たとえば、よく行くお好み焼き屋のおばちゃんが突然「つむじ見せてみ!」って、つむじで占ってくれたんですけど、「あー、服部くん35歳過ぎたら調子よくなるで。今まで苦労してきたやろけど頑張りや」とかね。そんないろんな話が、ものづくりを通して僕たちがやりたいことの構想づくりの力になってくれるんです。そういう経験が重なっていくうちに、先輩の世代もわるい奴らばかりじゃなくて、同じような意識を持った人たちがいるって気づきだしました。

「人間にはそれぞれの年代の役割がある。昔の武士もそうで、15歳で改名制度があり、そこでこれから生きていく自分の人生を決める。農家から武士になりたいと思ったらまず改名して、15歳から5年間で武士になるための知識を身につける。20歳になったらそこに実践を加える。20〜30歳は経験を積み上げる。30歳から仕事に変わる。30〜40は仕事を通して実践しろ、40〜50は同じ意識を持った人から学び、学ばせろ。50歳から先は教授しろ。」これも昔に言われた話なんですが、今の世も変わってないなって思います。今は15歳の若さで人生を選ぶことはなかなかないけど、社会に出てからの流れはほぼいっしょですよね。この話と同じように、20代、30代、40代でだんだん変わってきました。

 

:40代になった今はどうですか?

 

:30代の前半から「漆や陶芸等の産地を元気にしてほしい」っていう依頼が増えてきて、40代になってからは地域を活性化する仕事とか、社会や産業に直接関わる仕事が多いです。結局grafは、モノを生み出すまでのプロセスもデザインするし、モノ自体もデザインして、アウトプットされたものをどこに届けるかというところまでをもデザインする。これって過去の先輩デザイナー達はやってこなかったことだと思います。僕らの世代ではデザインって最初から最後まで立ち会わないとだめなんですよ。

 

:そのすべての過程のなかで、服部さんはどこが一番得意なんですか?

 

:僕はブランディングディレクターとして雇われるケースと、デザイナーとして雇われるケースがあって、自分では前者の方だと思います。ブランディングディレクターというのは、まずなんとなくビジョンを描いてからリサーチヒアリングを繰り返していくんだけど、「服部さんの思い描く“ここ”に向かっていきたい」って、みんなに思ってもらえるように伝えられることが一番最初に必要な能力。リサーチを進めていくと、欠けているグラフィックやプロダクト等が見えてくる。そうして必要なものをキャスティングしていく。僕は俯瞰すること、ディティールを描くこと、両方とも得意です。でも最近の優秀なデザイナーはディレクションも絶対にできますよ。

 

:でも、デザインを学んでいる私たちとしては、社会的な要素も含めてすべてデザインしようとするのはむずかしいです。3年生の他の領域 * では、情Dの過去の先輩たちが作ってきたものが参考例としてあるのに比べて、コミュニケーションデザインを専門的に学ぶC領域では過去になかったような課題が出るので、まず手本になる参考例を自分で探すところから始めないといけなくて。

領域 * |情報デザイン学科では、3年次から5つの「領域」に分かれて研究・制作に取り組みます

 

C領域

 

:それが大事なんですよ。実際に今の多くのデザイナーにとってもむずかしいことなんだけれど、それを学んで卒業できるのは君たちだけだと思いますよ。結局、いま社会に求められてるのは、問題発見能力が高いかどうかってことだからね。

 

:それは私も実感があります。課題をする時に、たとえモノがよく出来ていても、問題として掲げるテーマがよくなかったらそれまで。問題発見がちゃんとできていたら、モノが多少よくなくても頭に残る節があります。

 

:もちろん最終的にはモノがよくあるべきですよ。でもまず考えのきっかけ自体が問題発見からスタートしているというところが大事で、それをできるヤツが本当に求められてる。

 

:私たちのいま学んでることってたぶんどこでも活かせるんだろうなあとは思うんですけど、だからといって「この仕事!」っていう具体的な目標が見えているわけじゃないから、正直なところ、どこに向かったらいいかわからないという気持ちもあります。プロダクトでもグラフィックでもデザイナーは”考える能力”が優れていればいいはずで、今はその勉強をしているから”形を作る” とか ”仕事をするにあたっての具体的なリサーチ”は次の段階に入ってから学べばいいとは思います。いろんな人からもそう言われ、そうだなとは思うんですが、でもやっぱり、どこに向おうか考えると不安にはなります。

 

:でも君たちは課題を作るのにも、ものすごくリサーチしているから、ほかの人よりたくさん作品を見てるはずですよ。ものを見るっていうのは絶対に必要です。自分のなかに比較対象が生まれるから、そのフィードバックとして、自分がデザインできているかどうかもはっきりするし、その対象物を見て「あれはああだけど私はこう思う」っていうのがはっきりする。出来るモノのクオリティは見るモノで変わるはずです。

 

二人立

ー ここで話題は、小野さんが製作した作品「フィッシュアンドチップス」へ

服部先生の授業課題「周囲◯kmの問題発見とデザインによる解決」において、滋賀県出身の小野さんは、ブラックバスを使ったフィッシュアンドチップスを企画・制作しました。

滋賀県では琵琶湖に繁殖するブラックバスが在来種の魚を食べ減少させていることが問題視されていて、県では ”ブラックバス回収ボックス” を設置するなどの対策を取っています。現在は回収されたブラックバスの多くが焼却処分されているとのこと。

小野さんは、本来は食用としても輸入されたはずのブラックバスを美味しくいただこうと、加工食品としての商品化に乗り出しました。

第一弾は滋賀県のかまぼこ会社さんの協力のもと、ブラックバスを使ったかまぼことさつま揚げを作っていただき、地酒をつけたギフトセットを制作。

第二弾として、フィッシュアンドチップスを制作しました。

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:今回の制作で、モノゴトの流れが幅広い視点で見えました。ブラックバスが流通しない理由とか、今まで商品化できなかった理由など、県や漁業組合の人や他にもいろんな人に話を聞くことで、流通の流れや問題がなんとなくわかったんです。それで思ったのですが、そういった流れって、私たちの力で変えられるものなんでしょうか?

 

:あえて答えを出すのであれば、自分たちの手で変えなかったとしても、「ここに問題点があるよ」っていうことをちゃんと発信していかなきゃだめです。「そうか」って、うなずき合う瞬間に、モノゴトは変わり出すからさ。

 

:でも社会を変えるには小さすぎる一歩ですよね。

 

:もちろん小さな一歩やけど、でもまず問題を発見できてなかったら、回答っていうものに意味がなくなってしまうじゃない? この作品で言うと、単にブラックバスのフィッシュアンドチップス作りました、で終わったら意味がないわけで。この作品が出来るまでの説明がなかったら、これに価値があることも分からない。だから小野さんがフィッシュアンドチップスに取り組んだのはすごい意味があったと思います。プレゼンテーションする時に、流通の問題をはらんでるっていう説明を入れたり、この部分がやっぱり問題だっていうのをもっと強調した方が良かったですね。

 

:制作途中で学生としての限界を感じて、迷いが生じたところもあるんです。

 

:学生だけじゃなくて、あの問題に気づいて取り組んだ人なら、どんな人でも流通の問題にブチ当たったはずですよ。でも今回はプロセスがよかったし、最終的にフィッシュアンドチップスっていう誰もが知ってるフォーマットに落とし込むことで、いい仕組みをデザインできてたんじゃないかなって思いますよ。

 

:ありがとうございます。これからもよろしくお願いします!

 

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記事/小野 七海

写真/常 程(情Dコース 3年生)

 

《服部先生に聞いた!  20歳のときに読んでおきたかった本  3選 》

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「パスワード」 ジャン・ボードリヤール 著(NTT出版 、2003年)

 

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「地球・道具・考」 山口昌伴 著( 住まいの図書館出版局、1997年)

 

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「今和次郎 採集講義」 今和次郎 著( 青幻社、2011年)

 

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相手が誰であれ、変わらない態度で人の心をそっと刺激するように話す服部先生。

その人懐っこさの裏側では、学生の頃に感じた「この社会はおかしい」という問題意識や、

「自分たちがそれを変えていく」という情熱をずっと抱き続けていらっしゃいました。

 

”先生”としてだけではなく、”一足先に社会に挑む先輩”として、

これからも服部先生のご活躍が楽しみです!!!

 

この企画は、約ひと月に1回のペースで更新する予定です。

 

2015年の情Dブログはこれで最後になりますが、

次回インタビューもぜひご期待のうえ、皆様よいお年をお迎えください◎

 

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↓前回のインタビュー記事

【教員紹介】6 ヒロ杉山 先生

過去のインタビュー記事はこちらからご覧いただけます

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スタッフ:森川

 

 

 

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2015年11月1日  インタビュー

【教員紹介】第6弾:ヒロ杉山先生

「情報デザイン学科をもっともっと知ってもらいたい!」

ということではじまった、インタビュー企画の第6弾!!

 

今回は、”広告、グラフィックからアートまで、ジャンルを越えて活躍するビジュアルクリエイター”

ヒロ杉山 先生のご紹介です。

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主な授業:情Dコース3年次「総合演習—グラフィックス—」

主な授業:イラストコース3年次「総合演習—ヴィジュアライズ—」 

 

世界中のアートシーンで活躍するアーティストユニット

Enlightenment(エンライトメント)」を率いるヒロ杉山先生は、

ファインアートの世界において国内外の展覧会で作品を発表する一方、

フリーペーパーやアートブックの出版、広告や雑誌、CDジャケット、

PVやVJといった映像作品の制作などなど、

幅広い分野で非常に高い評価を受けておられます!

 

メディアやジャンルを問わず独創的な作品を創り続けるヒロ先生の

笑いに包まれたインタビューをどうぞご覧ください。

(ヒロ先生の詳細なプロフィールはこちらからご覧いただけます。)

 

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話し手|情報デザイン学科 客員教授 ヒロ 杉山 先生

インタビュアー|イラストレーションコース 3年生 向田 涼輔 くん(写真 左)

          イラストレーションコース 3年生 田伏 澪 さん(写真 右)         

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向田(以下、向):今日はよろしくお願いします。まず、広告業界に入られたきっかけを教えていただけますか?

 

ヒロ杉山(以下、ヒ):実はもともと歯医者になろうと思っていたんです。父が歯医者で、長男の僕が後を継ぐのが当たり前だと思っていたから。僕の通っていた日本大学付属高校は、1年生では理系と文系が一緒のクラスなんです。2年生で僕は理系へ、日大の芸術学部に行くと言ってた友達が文系へ進んだんですが、それでも仲良く遊んでいました。大学受験では、現役で日本大学の芸術学部や他大学の美術系に入学する友達が多かったんですが、僕は受験に失敗して浪人することになって。歯医者になるために予備校に通っていました。

 

田伏(以下、田):えー、そうなんですか!

 

:浪人生だから勉強しなきゃいけないのに、結局はその子達と遊んでいましたけどね(笑)  そのうち彼らが大学で学んでいることがすごく面白そうに見えてきて、浪人2年目の夏休みくらいから、なんか歯医者になるのが嫌になっちゃって、美術系に行きたいなと思っていたんです。だけど親にはなかなかそんなこと言えなくて。予備校を休んで、自由が丘でいつも1人でプラプラ時間を潰してたんです。そしたらたまたま親戚のお姉さんが歩いてきて、何やってんの?って話になって。

 

:怒られそう(笑)

 

:そう、普通は怒られるところなんだけど、お茶でもしましょうって誘ってくれたので、「実はもう医学部じゃなくて美術系の学校にいきたい」と、親には言えなかったことをバーッと話しました。そしたらお姉さんがその日のうちに親に電話してくれて、父が一言「好きなことやれば良いじゃん」と。

 

:おお!

 

:結局、浪人は2年で終えて、その年に4年生の専門学校に入りました。

 

:専門学校の入試の内容はどうでしたか?

 

:入試は簡単なデッサンと、あと論文みたいなものがありました。デッサンは未経験だったけど見よう見まねでしたね。

 

:すごい!

 

:絵を描くのは小さい頃から得意でしたか?

 

:小さい頃はそんなに好きだったわけでもないけど、浪人中に勉強のかたわらで絵を描いていて、そのうちだんだん絵を描く時間の比重が大きくなっていっちゃって。

 

:どんな子供だったんですか?

 

:一人で何かやっているような、すごく静かな子供でした。うちのおばあちゃんが三味線の小唄のお師匠さんで、お弟子さんの家にお稽古をつけに行くんですよ。それについて行って、一時間のお稽古の間、部屋の隅にずっと座っていられるような子でした。

 

:じゃあ先生も三味線を弾かれてたんですか?

 

:全然できません。もうおばあちゃんも死んじゃったし、今となるとやってみたいなという気はするけど。というかこのようかん、二人も食べないと僕が取っちゃうよ?

 

茶筅

:いただきます(笑)

 

:これ何ようかん?

 

:栗ようかんです。あんこがお好きだと聞いていましたが、いかがですか?

 

:美味しいです。栗も大好きです。

 

:では和んだところで、大学で教える以外のお仕事について詳しくお聞きできますか?

 

:もともとはイラストレーターの湯村輝彦さんのところでアルバイトをしていて、そのまま社員になり、7年弱ぐらいそこでお世話になった後、フリーになりました。その時はイラストレーターという肩書きで。デザインの仕事も受けてはいたんですけどね。そんなときにMacが出てきて。

 

:Macが。

 

:そう、マクドナルドの。

 

:ハンバーガーの。

 

:すみません、コンピューターの (笑)   で、 だんだんMacを使ったデザインが面白くなってきて。でも当時は3-400万もしたので、高くて買えなかったんです。

 

:えー!考えられないです!

 

:友達の知り合いの事務所まで行って借りてたんですけど、イラストとデザイン、両方平行して仕事が入ってくるようになってきました。そしたらニューヨークから東京に帰ってきたテイ・トウワ君に「自分のクラブイベントでヒロ君VJやってくれない?」って言われて。その当時は「VJってなんだ?」って感じだったんですが、「かっこいい映像を音楽に合わせて流してくれれば良いから」と言われたので、レンタルビデオ屋さんに行って、ビデオを10-20本借りてきて、かっこいい映画のかっこいいシーンだけをダビングしてつないで。そのときは本当は映像なんか作れなかったんですけどね。Macを買って本格的に映像を始めると、今度はPVの仕事が入ってきて。

 

スネオヘアーの!

 

:うん、スケッチショウのPVとか。デザイン、イラスト、CM、監督、いろんな仕事をやりすぎて、もう自分の職業が何だかわかんなくなってきました(笑)

 

:幅が広いですね。

 

:Macが出てきてからの人たちってみんなそうだと思うんですけど、昔は映像制作に必要な機材が1000万くらいかかったところが、今はMacがあれば映像も作れちゃうし、デザインもできるし、それこそ絵も作れちゃう。個人で出来ることの範囲が広がってきましたよね。

 

:では今後のお仕事の予定なども教えていただけますか?

 

E-Girls* っていうグループのアートディレクションを2年くらいずっとやっているので、そちらの仕事が多いです。ほかには三代目J soul Brothersさんのツアー用映像を作ったり、EXILEさんのメンバーが珈琲屋さんを出すのでロゴマークを作ったりとか。音楽関係の仕事が多いです。

 

:先生は有名人のポートレイトの作品** も多く作られていますが、実際に会われるんですか?

 

CD+DVD_12003-1024x1024* E-Girls          Radio-Head** PORTRAIT Radio-Head

 

:本人に会わずにデータだけもらって「作ってください」というのもあるけど、基本的には自分で写真を撮ってから制作します。

 

:写真を撮るだけではなくインタビューみたいにお話もされるんですか?

 

:そういうときもあります。前に『超能力者のポートレイト』っていうシリーズをやっていたときがあって、そのときは「なんでその人が能力に目覚めたか」「子供の頃どういう生活をしていたか」について1時間ほど暗いインタビューをした後に写真を撮って、作品にしましたね。

 

:なるほど、それが作品に関わってくるんですね。

 

:いや、そこまで関係ないんですけど(笑) まあでもその人に興味を持つということが大事なんで。他にはかたい仕事もありますよ。

 

:かたい仕事というと?

 

:住友林業っていう会社のプロモーション映像*** を作ったり。仕事全体では映像が4割、グラフィックが6割くらいかな。

 

*** ↓クリックすると、リンク先で動画がご覧頂けます

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:そのかたわらで展覧会なども企画されていますよね。

 

: アーティストによる手作りZINEの展覧会ZINE展は、今度は来年の6月に香港でも開催します。一般公募もあるからみんな出してくださいね。

 

:そのZINE展では企画だけでなく審査員もされていますが、去年もこの学科から何人か出展していましたよね?

 

:うん、でもちゃんと公平に審査をしてますよ(笑)

 

:疑ってないです(笑)

 

:でも中に1万円札はさんでおいてくれれば・・・

 

:や、闇が・・・(笑)

 

一同:(笑)

 

:聞けば聞くほど幅広くお仕事をされていますが、アイデアはいつもどのように出されてるんですか?

 

:常に10-15個くらいの仕事を平行して考えてなきゃいけないので、頭の中にはいつも10個くらいアイデアが浮遊している状態です。良いアイデアは寝る時やリラックスしている時に出て来やすいです。寝る直前に考えついちゃうと興奮しちゃってもう寝てられないから、そこから起きなきゃいけないんです。

 

:でもそうなるとせっかくの休日も仕事でつぶれちゃいませんか?

 

:実際に作業しなくとも常に頭の中に10個いるわけですよ。で、やっぱり考えちゃう。うちの奥さんによく言われるのが、「家にいるのにいないみたいだ」って。

 

:淋しい。

 

:奥さんとはデートされますか?

 

:常にします。

 

:常に!(笑)  ほかに何か趣味はありますか?

 

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:映画はよく観に行きますが、趣味というのはないんです。仕事が楽しすぎて。できれば仕事をしていたいから、趣味の時間を作るのがもったいないんです。

 

:好きなことが仕事でできるってすばらしいですね。

 

:クライアントに依頼された絵ではない場合もありますが、休みの日も基本的に絵を描いてますね。

 

:「絵を描く」ということについてですが、私たちイラストコース3年生の授業では、ぼんやりとしたテーマだけを与えてあとは自由に絵を描かせる感じでしたね?

 

:僕の持論では、イラストレーターになるにはやっぱり絵を描くしかない。とにかく量をたくさん描くこと。描き続けていると、僕が“毒素”と言っている、なにか余分なものが流れ出ていくんですよ。

 

:確かにすっきりしていく感じはありました。

 

:そうしていくと、ホントに自分の中で大事なものだけが残っていく。それが自分のスタイルになっていくんですよ。でも今回の授業でもやっぱり最初の方はみんなあまり描けなかったですね。

 

:そうなんです。確か最初の授業のテーマが『ザボルグと私』でしたよね。ザボルグなんて言葉はないんですよね(笑)

 

:何だよこれ・・・って感じだよね(笑)

 

:あのテーマは何だったんですか?(笑)

 

:即興です!みんなからすると「○○を描きなさい」って出された方が簡単なんだろうけど、今回の課題では意味のない音でイマジネーションすることが大事でした。やっぱり絵に限らず、クリエイターに一番大事なのはイマジネーションで、どれだけ他の人と違うことを考えられるか、妄想を働かせることができるか。ザボルグっていう意味のない単語を聞いて、どこまでイメージと妄想を創れるか。イメージができたら次は物質化できるか。別に立体でも平面でも良いんだけど、今の僕の授業ではそれを絵にする。この「脳で考えたことを、絵にする」という単純な二つのステップがクリエイティブの基本です。それができれば映像も作れるだろうし、何でもできる。

 

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:あの、小さい質問なんですけど…。

 

:わ、小さいね!

 

:まだ何も言ってないです(笑)

 

:すみません、聞く前に言っちゃった(笑)

 

:どうして男子は女子より描く絵の枚数が多かったんですか?

 

:体力が違うから。というよりは男子の方が言いやすいから(笑)

 

:それだけですか?1.5倍くらいありましたよ!(笑)  でもこの授業のおかげでたくさん作品を作ることができて、ほんとに楽しかったです。絵の具を使うという縛りだったのでテクニックも広がりました。

 

:授業の前と後で、学生への印象は変わりましたか?

 

:ガラッと変わりました。最初は久々に大量に描くことへの戸惑いもあるし、なにより上手く描こうとするんです。こんな感じで描けば認められるんじゃないか、というものをみんな描いてくるんですけど、「僕の授業ではそういうのはあまり関係ない。下手でも良いから頭の中のイメージを絵にすることが重要だ」と言いました。その趣旨を理解するとみんなあまり構えずに描けるようになる。絵自体もどんどん面白くなっていきましたね。リラックスしている時、人の目を気にしていない時に描く絵が、僕は一番良いと思っています。でも学校で描くと人がたくさんいて先生もいて、「評価される場所」っていう想いにとらわれがちですよね。それで良い絵なんて描けるわけがないんです。今回はみんなが時間をかけて徐々にリラックスして、最後はホントに自由に描いてましたね。僕もなに見ても「これ良いね」って言ってたし(笑)

 

:その評価は気になっていたんですよ。あれは本当だったんですか?(笑)

 

:だって描いた時点でもうOKだから(笑)  だから描かない人に対しては「どうして描かないの?」って厳しいことを言うけど、1枚でも2枚でも多く描いた人は、それだけ前へ進んだってことだから。100枚描いたら100歩前に進んでるんです。

 

:じゃあ女子よりは男子の方が進んでいるということに(笑)  先生の場合はビックネームの方達とお仕事をされているじゃないですか。規制がきびしそうなイメージがありますけど・・・。

 

:ああ、きびしいですね。

 

:そういうクライアントとどうやってお仕事をされてるんですか?

 

:むずかしいです。自分の精神力が強くないとそっちにのまれちゃう。

 

:自分の意見を言って却下されることも?

 

:多々あります。却下というか、1個のラフを求められた仕事に対して5個くらい案を出して、その中で自分が一番気に入っているラフが選ばれない確率というのが結構ありますね。「これが一番いいのにな」とも思うけど、やっぱりクライアントが一番のものを選ぶのがベストだから。そこで無理に「これが一番いいですよ」と戦いはしないです。ただ自分の作品の場合には誰にも文句は言わせないし、自分が納得するまでそれを作る。

 

学生

:なるほど。先生は情Dコースとイラストコースの両方で教えられているんですよね。

 

:それぞれのコースで、最終的に学生にはどうなってほしいですか?

 

:イラストコースの場合は、身構えずに自由に絵を描いてもらいたい。そのためにも授業で目いっぱい毒素を出して、次のステップに進んで欲しいです。情Dコースの場合は、長い時間をかけて計画的に一つの課題を作るという授業をしているので、作品をフィニッシュまで持っていくプロセスを大切にしてもらいたいです。そのためにすごい量の話し合いをしてアイデアをたくさん出して、ラフもいくつか作って、最終的にはそのうちの一つだけを仕上げにもっていく。一夜漬けで作るんじゃなくて、話し合いを大切にして、最終的には自分の言いたいことが伝えられるような作品が作れるようになればいいな、と思います。

 

:情Dコースは実際のデザインの現場みたいで、イラストコースはイラストをどう生み出すかの授業ですね。

 

:先生はこの大学以外でも教えているんですか?

 

:以前は東京の学校とか3つくらい掛け持ちしていたんだけど、今はここ以外は全部断ってます。

 

:情Dだけを続けている理由が何かあるんですか?

 

:学生の雰囲気とかいろいろあるんですけど、まず京都っていう場所が自分には合ってるみたいで。京都で新幹線を降りると、なんかテンションあがっちゃうんですよ。

 

:え、毎回テンションあがっているんですか(笑)

 

:うん毎回。磁場の問題かな(笑) もう1つテンションがあがる場所がNYなんです。

 

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:京都とニューヨークが同じ磁場!にわかには信じられませんが(笑)ヒロ先生は学校や学生に対してはどのようなスタンスを取られているんですか?

 

:僕は基本的に自分のことを教員とは思っていないです。だから学生と自分は同じクリエイターとして見ている。ただやっぱり学生とは経験が違うので、僕の経験してきたもので何か伝えられることがあれば伝えてあげたいなって。だから学校の中で「先生」って呼ばれるのが嫌で、名前のほうがホントは良い(笑)

 

:それで授業では一対一で会話するような形態をとられていたんですね。

 

:そうだね。あと、大人数に喋るのが苦手なのもあります。考え方の違いは人数と同じだけあるから、全体にざっくり話しちゃうと当てはまる意見と当てはまらない意見が出てきますよね。だから僕は一人一人と話した方がやりやすい。つかれますけどね(笑)

 

:そうですよね、時間もかかるし、その人をしっかりと見てないといけないし。先生の座右の銘はなんですか?

 

:え、むしろ、ある?(笑)

 

:僕はまだそんなに生きてないですから(笑)

 

:でもなんかあるでしょ?

 

:ただもう「なるようになる」ですかね。仕方ないこととかに自然に身を任せている感じで。

 

:僕もそういうところはありますよ。流れに流されるのが好きだから。あんまり逆らわないようにしてます。田伏さんは?

 

:何ですかね・・・「ちゃんと食べる」。

 

一同:(笑)

 

:ふたりとも将来は何になりたいんですか?

 

:僕はデザインとか映像とか幅広く作っていきたいです。

 

:今回のお話を聞いていたら何でもできるんじゃないかなと思いました。

 

:なんでもできますよ。今の時代では職業のカテゴリー分けがなくなっちゃったから、クリエイターっていう大きなカテゴリーにいてMacが使えれば。要はセンスとオリジナリティがあれば、なんでもできちゃう。

 

:センスってどうやったら伸びますかね。作品をたくさん見ること、ですか?

 

:量も大切だけど、やっぱり今はネット上で流れている膨大な情報を共有してるので、みんなが同じ情報をみている可能性があるわけです。そうじゃなくて「情報を掘り下げる」ことが大切だと思います。例えばある映画監督の有名な作品を1つ知っているのではなくて、過去の作品も全部見る。他の人が知らない所までたどり着くことですね。

 

:先生は流行に逆らうようにしているんですか?

 

:それは逆らっちゃだめですよ!我々の職業は流行を横目で見つつ、並走しているくらいが良いんですよ。世の中で流行っているものに影響されそうでされない距離感を保ちつつ、自分のオリジナリティを貫いていくのが大事です。でもその横目で見ている音楽ジャンルについての仕事が来たときは、死ぬほど聴かないといけないです。

 

:いつもは何を聴いているんですか?

 

:音楽がすごく好きなのでいろいろ聴きますね。毎晩iTunesで大体1-200曲くらい検索して、2曲づつ買ってます。

 

:では最後に、誰のPVが作りたいですか?

 

:・・・マドンナ、かな。

 

一同:(笑)

 

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《ヒロ先生に聞いた!  20歳のときに読んでおきたかった本  3選 》

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「風の歌を聴け」 村上春樹 著(講談社 、1979年)

 

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「1973年のピンボール」 村上春樹 著( 講談社、1980年)

 

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「羊をめぐる冒険」 村上春樹 著( 講談社、1982年)

 

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時代の最前線で常に新しいことに挑み続けているヒロ先生のお話には

作ることへの素直な喜びがあふれていました。

柔らかい雰囲気で丁寧に紡がれる言葉に、学生たちは『トップクリエイターのヒロ杉山』としてだけでなく、

『一人の作り手』として、尊敬の気持ちを新たにしたようです。

 

この企画は、約ひと月に1回のペースで更新する予定です。

次回もぜひご期待ください。

 

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↓前回のインタビュー記事

【教員紹介】5 かわこうせい 先生

過去のインタビュー記事はこちらからご覧いただけます

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スタッフ:森川

 

 

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2015年9月1日  インタビュー

【職員紹介】特別編:吉本和樹さん

「情報デザイン学科をもっともっと知ってもらいたい!」

ということではじまった、インタビュー企画の夏休み特別編!!

 

今回は、情報デザイン研究室スタッフの吉本和樹さんのご紹介です。

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京都造形大では、各学科の研究室ごとに”副手”というサポートスタッフが勤務しています。

副手のおもな仕事は、ふだんの授業や学科イベントの準備に加え、

学生生活のサポートやこの学科ブログの更新などなど…

他の大学では”助手”と呼ばれるポジションに近いかもしれません。

 

情報デザイン学科では6名の副手が勤務していますが、

吉本さんは唯一の男性スタッフでもあります。

広島県出身の吉本さんは、普段は写真を使った制作を行いながら、

仕事のときはいつも笑顔で場を和ませてくれる優しいお兄さん的存在です。

 

さらに、今回の学生インタビュアーで留学生の 常(じょう)くんも

いつも笑顔を絶やさず、制作に打ち込むナイスガイです!!

 

副手と学生、立場は違えど、故郷を離れて情Dで頑張る二人の会話をお楽しみください。 

(吉本さんの詳細なプロフィールはこちらからご覧いただけます。)

 

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話し手|情デザイン学科 副手 吉本和樹(写真 左)

インタビュアー|情報デザインコース 3年生 常程(写真 右)

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常(以下、J吉本さんは副手として働いて、今年で何年ですか?

 

吉本(以下、よ)9月でちょうど3年になります。僕も情Dの卒業生なんですけど、卒業してすぐに副手になったわけではありません。高校を卒業した後、まず2年間写真の専門学校に通って、3年次編入という形でこの大学に入学しました。2007年に卒業してからは友人と起業をしたり、いくつかのバイトを経て、2010年IAMAS情報科学芸術大学院大学に進学。その大学院を卒業して、2012年からDの副手として働き始めたんです。

 

J:副手になるまで、いろいろ経験されてたんですね。では今の仕事内容を教えていただけますか?副手のみなさんはずっと先生方のサポートや学生たちのフォローをしているように見えるんですが、それ以外にも僕たち学生の知らない仕事がたくさんあると思います。そのあたりも含めて、実際のお仕事を知りたいです!

 

:常くんが言ったみたいに、副手の仕事の基本は、先生たちの授業に合わせて準備をすることです。事前に準備物をそろえたり、教室を探したり。プラスアルファで、それぞれの副手の専門分野を活かした仕事もしています。ここがみんなからは見えにくい部分かな。僕は写真が専門だから、いつもカメラを持って歩いて、授業風景やみんなの展示、オープンキャンパスみたいなイベントとか、あるいは学科広報物に使われる写真も撮っています。

副手は教員ではないし、事務局の人でもないし、なんだか不思議な立場なんですよ。授業自体に毎回入るわけではないけど、黒子みたいに後ろにいる時があったりするでしょう?つねに授業がスムーズに進むよういろんな配慮をしています。家政婦みたいですね(笑)

 

J:学生たちにとっては最高の家政婦さんですが、なんだか大変そうですね。今まで副手の仕事をしてきて楽しかったですか?それとも…?笑

 

:楽しいときもあったし、大変なときもありました。でもトータルでは面白いですね。なかなかできない仕事だと思っています。写真とデザインは近しい分野ではあるんだけど、やっぱりデザインは自分の専門分野ではない。そういう意味でも、とても勉強になっています。大変なのは事務作業ですね。副手になるまでは、写真の仕事や色々なアルバイトの経験があったんですけど、事務の仕事はやったことがなくて。慣れるまで時間がかかったな・・・。僕はデスクに座っているよりも、展示の準備をしたり、何かを作ったり、みんなと一緒にどたばたする方が好きなんですよね。

 

J:なるほど。確かによく学校のいろんなところで吉本さんが忙しそうにしている姿を見かけます(笑)実をいうと、副手さんってなんか距離感をつかめない感じもあるんです。たとえば、先生は毎日授業でいろいろ教えてくださって、勉強やプライベートの相談にも乗ってくれる存在。じゃあ副手さんは?って。でも、だからこそなのかな。”おじちゃん”みたいに、いや、”お兄さん”みたいにすごく親しみのある感じで(笑)、いろんな話ができます。

 

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:先生と副手の関係は演者と黒子に近い気がします。演者である先生たちの後ろから、黒子である僕たちはいろんなことを配慮して動いている。学生たちとの関係はまた違います。例えば課題提出の締め切りといった、授業運営上、大切なことに関しては厳しくカチッと締めるんですけど、そうじゃない時にはやわらかく接したいなと思ってます。なんかフラフラしたおっさんでいたいなって。もうね、”よしもとおじちゃん”でいいんですよ(笑)

 

J:僕は”よしもとおじちゃん”好きですよ!(笑)副手という立場で学生と接するうえで、なにか学生に言いたいことはありますか?

 

:「早起きは三文の徳」。朝に制作をするのが結構いいんですよ。おすすめです。寝坊もなくなるし、授業にも遅れない(笑)

 

J:うまいこと言いますね!では、副手としての吉本さんを知ったので、プライベートの吉本さんについてお聞きします。まず、吉本さんの出身はどこですか?

 

:僕は広島県の竹原市出身です。

 

J:おぉー!!!僕は広島がすごく好きです。最初に日本に来たとき、語学勉強のために2年間住んでました。

 

:竹原には来たことある?

 

J:ありますよ!サイクリングが大好きだから、朝早く起きてロードバイクに乗って一日往復120キロぐらい走りました。ちょうど竹原国際芸術祭が開催されていた時期でした。

 

:すごい、よく行ったね!今日は僕の地元の写真を持ってきました。

 

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J:わぁ、きれい!懐かしいな。たしか竹原は「安芸の小京都」と呼ばれていますね。

 

:そうです。これは僕の小学校の時の通学路。古い道の両サイドは民家です。この周辺は文化施設がたくさんあるんです。昔の旧家を残してあって、電気は地下の電線を通っているから、電柱もない。景観を残してうまく観光地にしているんですよね。

 

J:すごくきれいな家ばかりですね。昔はお金持ちの家だったのかな。

 

:ここは塩を作る街だったんですよ。貿易で盛んだったからいろいろな商家であふれていて。常くんは何回ぐらい竹原に来たの?

 

J:サイクリングで行った1回だけです。竹原国際芸術祭を見に行ったら、芸術祭だけじゃなく竹原市という街自体もすごくいいと思ったのを覚えてます。たくさんの古い民家の中に現代アートの作品が並んでいて、現代と昔がうまく融合さてれていて、最高でした。そのあとに西方寺普明閣というお寺にも行きましたよ。お寺自体が山の上にあって、寺から竹原の街並みを一望できました。竹原の街の方からもその寺がよく見えて、すごくよかったです。

 

:そういう芸術祭はときどき開催されていて、僕の母は地元の図書館に勤めているから、芸術と関係あるイベントがあると教えてくれたりね。芸術と街づくりを絡めようとしているみたいです。常くんは留学生だけど、実家はどういうところなの?

 

J:中国の内モンゴル自治区のフフホト市という、内モンゴルの首府の都市です。よくモンゴル国と間違えられますけど、もともとは内モンゴル自治区もウイグル自治区も別の国で、今ではどちらも中国の一部です。自治区というのはつまり地方で自治を行っていて、多民族共存なんです。内モンゴルといったらよく田舎だと思われるけど、実際はすごく栄えている街ですよ。中国の都市発展速度ランキングでも10位に入ってます。

 

:日本では一般にモンゴルと言ったら、草原のイメージですよね。

 

J:草原ももちろん有名ですよ。夏になるとどこを眺めても草原が広がっていて、空も青くてとてもきれいです。でもそれだけではなくて、街並みもすごく立派なんです。実は中国北地方の人たちもそれを知らなくて、「あなたもしかして毎日馬に乗って学校へ通ってるの?」と聞かれたこともあります(笑)僕は街で生まれ育ったけど、実際に草原で生活している遊牧民族の人たちは、今でも馬を使っているみたいですけどね。

 

:へえー!すごいところから来たんだね!なんで日本に来ようと思ったの?

 

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J:やっぱり日本が好きというのが一番大きな理由ですね。

 

:日本のどこが好きなんですか?

 

J:国の雰囲気もやさしい人たちも、もう全体的に好きです。そもそも、子供の頃から日本のものづくり、アニメ、漫画やゲームに惹かれていました。自分はずっと絵を描きつづけてきたから、将来的に芸術やデザインをやりたいと思って、子供の頃に憧れた作品の本場である日本への留学を決めました。

 

:どんな漫画やゲームが好きなの?

 

J:最新のものよりちょっと昔のものが好きですね。「蟲師」「墓場鬼太郎」や「タイムボカン」とか。ゲームは本当に何でもします。テレビゲーム、アーケードゲームやPCゲーム、好き嫌いはなくて、あらゆるジャンルのゲームをやっています。いまデザインをやる上で、見たり遊んだりしてきたものは全部引き出しになってるなと思います。

 

:なるほど、そういう経緯があって日本を選んだんだね。常くんの面白い人柄の理由を垣間見た気がします(笑)

 

J:吉本さんの趣味はなんですか?

 

:趣味・・・、笑うことかな(笑)いつもしていることは写真だけど、趣味ではないしね。

 

J:写真といえば、今年の夏にギャルリ・オーブで「視点の先、視線の場所」という二人展をしましたよね。僕も見に行きました。吉本さんは縦1.5メートル、幅2メートルぐらいの迫力のある組み写真とか、写真を使ったインスタレーションを展示されていて、すごく印象的な空間でした。写真の撮影場所は全部広島の被曝地周辺なのに、モチーフは広島の典型的なものではなく、植物であったり、原爆ドームを撮っている人たちのうしろ姿であったり。よくあるイメージを直接的に扱うわけじゃないんですね。なんというか、広島を側面から見ている感じがしました。どういう意図だったんですか?

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:僕は高校卒業までずっと広島で生まれ育って、平和教育を結構たくさん受けてきたんです。そういう教育のせいなのか、広島ってなんだか独特な空気感があるんですよ。86日に毎年行われる広島平和記念式典のイベントとか、小学校でも平和集会があったり。常くんが広島市内で2年間暮らしただけでも、そういう独特な空気を感じたんじゃないかな。僕は市内から離れた街で育ったけど、それでもそういう空気感を意識せざるを得ない環境でした。

大人になって少し離れて広島っていう街を考えてみたときに、街全体がひとつのイメージに固着している気がしたんです。小学校のときに教育として押し付けられた「どうしてもこの見方しかしちゃいけない」っていうイメージに縛られているというか。そういうイメージにプレッシャーや違和感を覚えるようになった。街全体の雰囲気としてそういう風に感じさせる場所になっていると思うんですよね。

写真というメディアと出会ったときに、これなら客観的にモノゴトを捉えられると思ったんです。それで広島を撮ってみたんですけど、やっぱり客観的に撮れなくて、印象のなかにある「ヒロシマ」を撮ってしまう。今もいろいろと模索しながら、少しずつ視点を変えて広島を撮ってみています。

 

J:視点を変えてモノゴトを見ると、いつも見慣れているものの違う顔も見えてきますもんね。モノゴトを客観的に捉えるだけなら、文芸、絵画、立体、動画とか・・・表現方法はいろいろあると思いますけど、吉本さんはどうして写真を選んだんですか?

 

:もともと高校生の時には映画を撮りたくて、映画を勉強したいなと思ってたんです。でも絵は上手くないから、絵コンテを作るときに写真を使ってみた。当時は家に親父の古いフィルムカメラがあって、それを使ってましたが、ぜんぜん思いどおりに撮れなくて。試行錯誤しているうちに、面白い!と思い始めたのがきっかけでしたね。

なぜ写真をつづけているのかは、ふだん撮っている時にいつも考えているけど、明確な答えはまだ出てないんです。でも写真の切り取る時間が一瞬で「その時そこに行かないと撮れない」というのはいいなと思います。写真は静止画だけど、いろんな情報が入ってますよね。一枚の写真のなかにどれくらいの情報量を入れるか、とか、また被写体だけでなく、その写真自体の在り方、ピクセル数やピントの位置なんかも微妙な差異で意味性が変わってくる。そこには写真だから切り取ることができる、独特のモチーフの存在感があると思っています。

 

J:なるほど。少しわかる気がします。僕も最近Canon EOS 6Dを買っていろいろ撮ってるので、また作品を見て欲しいです!

 

:ぜひ!常くんは写真の授業もすごく真面目に受けてるもんね。楽しみにしています。

 

J:話はガラッと変わりますが、吉本さんが柔術をやっていると聞きました。

IMG_8532_3:僕はサッカーやバスケみたいな団体競技が苦手でね。高校のときから空手をやってたんだけど、腰を痛めてしまって、長い間できなかったんです。また格闘技をしたいなと思って、1年半程前からブラジリアン柔術を習っています。今はまだ白帯なんですが、黒帯を締められるようになるまで10年ぐらいかかると言われてますね。

 

J:帯は何色あるんですか?

 

:5色あって、1色上がるのに大体2年から3年かかります。

 

J:むずかしいんですね!僕もスポーツが大好きで、サッカーとか水泳と色々やっています。

 

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:常くんの筋肉、すごいもんね。足も長いし(笑)

 

J:これは僕が子供の頃に、僕の足が長くなって欲しいからって母が毎日ひっぱってくれて、今みたいになったんです。

 

:えっ?!!すごいね!僕も子供が生まれたらそうするわ!!!

 

J:うそですけど(笑)

 

:うそかよ!内モンゴルではそうなのかと思った(笑)

 

J:すみません(笑)でも今回はとっても楽しかったです。なかなか二人で話す機会がなかったですからね。

 

:そうですね。僕もゆっくり話ができて楽しかったです。

 

Jまた今度いろいろ教えてください!

 

:ぜひぜひ!

 

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記事/常 程

写真/藤田 彗光

 

《 吉本さんに聞いた!  20歳のときに読んでおきたかった本  3選 》

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「生物から見た世界」ユクスキュル 著(岩波書店、2005年)

 

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「秘密の知識」  David Hockney 著(青幻舎、2010年)

 

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「落語de枝雀」桂枝雀 著(筑摩書房、1987年)

 

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先生たちとはまた違う目線で学生を見守る吉本さんは、

ちょっと年上の愉快な先輩であり、頼れる親戚のお兄さんのようでもあります。

 

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吉本さんの他にも情D研究室では個性的なスタッフが働いています!

情D学生のみなさん、なにかあれば気軽に相談しに来てくださいね☆

 

この企画は、約ひと月に1回のペースで更新する予定です。

次回もぜひご期待ください!

 

◉ 過去のインタビュー記事はこちら↓

【教員紹介】1 見増勇介 先生(情Dブログ新企画!!!)

【教員紹介】2 都築潤 先生(前編)(後編)

【教員紹介】3 中田泉 先生

【教員紹介】4 伊藤直樹 先生

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2015年8月8日  インタビュー

【教員紹介】第4弾:伊藤直樹先生

「情報デザイン学科をもっともっと知ってもらいたい!」

ということではじまった、インタビュー企画の第四弾!!

 

今回は、”未来を切り拓く世界的クリエイター”、伊藤直樹先生のご紹介です。

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主な授業:情Dコース2年次「コミュニケーションデザイン論」

主な授業:情Dコース3年次「構想計画—エンターテイン—」

 

伊藤先生は国内外で非常に高い評価を得ているクリエイティブディレクターで、

海外の有名な賞の審査委員も務める、日本を代表するトップクリエイターです。

 

情Dの授業においても「情D学生のデジタル化を目指す!」という目標を掲げ、

他に先駆けて”NAVERまとめ”や”EVER NOTE”を使った授業を行うなど、

いつも学生達にデジタルの風を運んでくださいます。

 

 

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今回は【教員紹介  夏休み特別版】として、

本学が発行する機関紙「瓜生通信*1」での

伊藤先生特別インタビューの内容を中心にご紹介します。

*1 瓜生通信・・・京都造形芸術大学が発行している広報誌、年3回発行

瓜生通信65号|特集:伊藤直樹の未来地図

 

 

 

 

今回の瓜生通信では伊藤先生の特集のほか、

情報デザイン学科卒業生の醤油ソムリエール、黒島慶子さんの記事なども載っています!

興味を持たれた方は、ぜひ本誌をお手に取ってみてくださいね!!!

 

では

「クリエイティブについて」

「学生時代のこと」

「伊藤直樹の、 いま  と  これから」

についての、伊藤先生の熱いインタビューをお楽しみください!

(伊藤先生の詳細なプロフィールはこちらからご覧いただけます。)

 

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話し手|情報デザイン学科 教授 伊藤 直樹

 

”クリエイティブ”について                             

 

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— 伊藤直樹先生は「良質なクリエイティブ」とはどのようなものだと思いますか。

 

恐れを知らず、どれほどの情熱を注げているか。

そういう情熱って伝わってきますよね。どれくらい徹夜したか、頭が爆発するほど考えたか。それから、他人のアイディアを真似するのではなく、過去の作品に事例を学んだ上で新しい表現に挑戦することがクリエイティブであるといつも自分に言い聞かせています。

しかし、今までにないクリエイティブにチャレンジをするといっても、傍若無人にアイディアを押しつけるのは危険です。例えばTOYOTAだったら何十万人もの社員や、TOYOTAに興味や関心のある膨大な数の人びとが「いいね!」と言ってくれるかどうかをシミュレーションしながら仕事を進めます。自分がやりたい表現を押しつけるのではなく、目の前のクライアントやその先にいる消費者の顔色を良い意味でうかがうんです。企業のブランドを預かることにはとてつもない責任が伴います。莫大な予算のCMを打って、仮に反感を買って大炎上したら、上場企業だったら株価に跳ね返ります。場合によっては時価総額で一夜にして何十億円下落することもありえます。

例えば、不謹慎にとられかねないギリギリの表現だったとしても、それは人の感情を逆なでしない、人が怒らないラインを絶妙な加減で推し量らなくてはいけません。それができない人間は世の中にメッセージは投げられない。尖った表現ほど自分で手を切らないように細心の注意が必要です。

 

結構クリエイティブの世界では、アイディアばかりに注目されることが多いですが、こうしたクリエイティブにおける「ディフェンス能力」は僕らにとって重要な能力なんです。ディフェンス能力があるからこそ、アイディアという「オフェンス」の部分で遊べるわけです。僕、新しいアイディアが生まれたとき、まっさきに相談するのは弁護士なんですよ。法的に問題ないかを確認するために。僕は表現する上で幼稚性を大切にしています。僕、幼稚なんです。今でも週末に友達を集めて鬼ごっことかやってます。でもその幼稚性を否定してしまうと清らかさや無邪気さを失ってしまいます。大学の授業でも幼稚性は絶対に否定しません。「お前子供だなぁ」と思ったことは一度もない。そこには絶対に光るものがあるから。

 

 

— 伊藤先生は「クリエイティブディレクター」とは何者なのかを伝えるときにはどのように説明しますか。

 

難しいですよね。僕の最新の大きな仕事は成田空港の第3ターミナル*2ですが、クリエイティブディレクターがどんな役割を担ったのか、一般の方にはわかりにくいかもしれません。クリエイティブに限らず、ビジネスの世界では肩書きで役割が決まっているものですが、僕はそういう枠組みに収まりたくなくて、アートやデザイン、建築もやりたい。でも建築は一級建築士の免許がないとできない。ならば建築の専門家と組んで、自分のアイディアを実現する方法を模索すれば良いわけです。それなら、仕事に枠組みなんてなくなります。

*2 成田空港の第3ターミナル・・・2015年4月から営業を開始した成田空港のLCC専用第3旅客ターミナル。伊藤は誘導デザインなどのサイン計画を主に空間デザインやクリエイティブコンセプトの開発を務めた。

 

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学生時代のこと                                   

 

— ところで、学生時代に熱中したことはなんですか。

 

映画を観ること、つくること。それに本を読み漁ること。書店に1日1回は必ず行っていました。あらゆる情報を吸収するためにいろんなジャンルの本を読んでいました。特に印象的だった本は吉本隆明さんが書いた『共同幻想論』。いかに大衆が同一の幻想を抱きながら生きているかを論じたものです。共同幻想の最たるものはマス広告*3ですね。

ただ、この考え方は「インターネット以前」の考え方とも思います。現代はイメージをコントロールできない時代なんですよ。なぜならインターネットがあるので、企業の本当の姿はネット上の口コミで一瞬のうちに広まる。今から読むとすればそういう幻想を生み出すことが困難な時代においていかに広告を打つべきかを学べると思います。

*3 マス広告・・・4つの媒体(テレビ・ラジオ・新聞・雑誌)に掲載される広告。

 

 

— 学生時代に制作していた映画はどういったテーマだったのですか。

 

当時、哲学書や心理学の本に傾倒していたので、脳をテーマに混沌とした哲学的な映画を、当時四谷にあった実験映画専門の学校に通って制作していました。実験映画はストーリー性がないものが多いですが、ストーリー性のある映画も制作してみようと思い脚本を書いてみたもののうまく書けなかったです。京都造形芸術大学の学生たちが課題に取り組む姿勢と一緒で、つくっては壊しの連続でした。

 

 

— その後はなぜ広告代理店に就職したのですか。

 

当時は映像とインターネットの可能性に賭けたいと考えていたのですが、その両方に関わることができるのが広告業界でした。映像表現によるストーリーテリングができるのではと期待していたんです。しかし当時はなかなか自分の考えを言語化することができなかったので、本を読んだり文章を書いたりシナリオ講座に通うなどして訓練していました。それくらい自分の考えを言語化することは難しいことですが、大切です。

 

 

 

伊藤直樹の、 いま  と  これから                            

 

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— 休日をどのように過ごしていますか。

 

昔からスポーツが好きなので、休みの日もたいていスポーツをやっています。

震災以降は自分の暮らしにも自覚的でいようと思っていて、「暮らし×インターネット」についてよく考えますね。例えば「しゃもじにインターネットを付加したらどうなるのかなぁ」とか。

僕のあらゆるアイディアは「身体性」から生み出されています。ボールを投げて飛ばす腕の振りだったり、登山なら山をずっと降りていくときの身体の重みであったり、そういう身体感覚を忘れないように自分の身体の中に染み込ませておくんです。そうやって身体感覚を常に磨いておけば、脳へフィードバックされる情報量も格段に増えると思っています。

 

 

— 伊藤先生は今というよりも少し先の未来を見越していらっしゃるように思えます。

 

そうですね。今この瞬間もインターネットの可能性というのはどんどん伸びていて、僕はその可能性という形のないものをクリエイティブで形にしているだけなんです。別に予言者でもなんでもなくて、インターネットの持ってる特徴を駆使しているだけなんです。

近い将来の話をするなら、多くの仕事を、人工知能にとって代わられる可能性もあります。そうなれば、労働のあり方は劇的に変わっていきます。例えば法律が変わってロボットとの結婚が認められ婚姻届を市役所へ提出しに行く。そうしたら市役所の職員もロボットだったりなんていうことも充分あり得ますよ。

また、お金という媒体の概念も変わる可能性があります、指紋認証による決済が進化して、もしかしたらクレジットカードやキャッシュカードもなくなるかもしれない。ともかく現金を持たないという大きな思想に向かっていることは確かですね。しかしロボットを表現者として見た場合、予想もできないような優れたアイデアがロボットから生まれるかというと、いささか疑問です。これから何十年かは面白い人工知能などが出てくるかもしれないですが、僕のようなクリエイティブディレクターがロボットに取って代わられることはないと思います。人工知能が世の中に浸透した世界で、自分がどういうポジションで仕事をするかは、みなさん一人ひとりも考えなくてはいけません。

 

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伊藤先生に聞いた!  20歳のときに読んでおきたかった本  3選 》

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「共同幻想論」 吉本隆明 著( 角川文庫、1982年)

 

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「こっぷ」 谷川 俊太郎 著( 福音館書店、2008年)

 

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ブルーノ・ムナーリ かたちの不思議 1-3」 ブルーノ・ムナーリ 著( 平凡社、2010年)   

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

時代の最先端で活躍しながら、 いつも軽やかにジャンルや既成概念を飛び越えていく伊藤先生。

情報デザインの学生たちも、自分達の学んでいることをどんなモノゴトへ繋げていけるのか、

伊藤先生の授業を受けながら、たくさん考えてくださいね!!

 

この企画は、約ひと月に1回のペースで更新する予定です。

次回もぜひご期待ください。

 

出展|「瓜生通信65号 特集〈伊藤直樹の未来地図〉」より

本誌制作|

企画・編集   松本実波、笠井淳、加藤菜月、國府田有紀

企画・デザイン 溝邉尚紀

撮影      顧剣亭(p04,05,12,13) 高橋保世(表紙, p08,09)

※ 本文をブログに掲載するにあたり、

_「クリエイティブについて」「学生時代のこと」「伊藤直樹の、 いま  と  これから」 という3つの見出しと、

__恒例企画の 「伊藤先生に聞いた!  20歳のときに読んでおきたかった本  3選」を追加しています。

 

◉ 過去のインタビュー記事はこちら↓

【教員紹介】1 見増勇介 先生(情Dブログ新企画!!!)

【教員紹介】2 都築潤 先生(前編)(後編)

【教員紹介】3 中田泉 先生 

 

スタッフ:森川

 

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