2014年8月
2014年8月28日 イベント
こんにちは!歴史遺産学科副手です。
先日、前期の全5回歴史研究クラブ(BUKATSU)の最終回、『古写真~明治の日本の色を再現する』が行われました!!
写真の歴史、仕組みなど、実物を見ながら解説を受けます。
皆さん真剣です。
こちらは手彩色写真。
白黒の写真の上から、人の手で彩色されたものだそうです。
日本のお土産として、おもに海外の方に販売されたり、工芸品として世界各地に輸出されていたようです。
本学科卒業生で、本学大学院に進学し写真の保存について研究を行っている三原さんも説明をしてくれました。
表面を顕微鏡で観察します。
細かいキズや色も、写真の種類によって異なります。
写真の彩色に用いられた色材を、色ごとにスペクトル分析器でスペクトル(波長)を測ります。
当時、どのような材料で色が塗られていたのか、こうした機器を用いて紐解いてゆきます。
参加者の皆さん、写真の知識が豊富であったり、興味がおありで、とても盛り上がっていました。
私も、知識がないながらも興味深く聞かせてもらいました。
感光材料として銀板やガラス、紙などさまざまな素材が用いられていたことにも驚きました。
デジタル写真が主流となっている今、それらをどう保存していくか、今度も注目です。
さて、前期全5回の歴史研究クラブを終えましたが、それぞれの回がとても充実していました。
知っているようでいても、実際にものを見ると新たな気付きがあります。
その気付きを、受講者の皆さんに持ち帰っていただくことができたと思います。
この歴史研究クラブ(BUKATSU)、好評をいただき、後期も皆さんとお会いすることができるかもしれません。
続報をお待ちください!!
2014年8月21日 授業風景
こんにちは!
今回は、前回の続きで、学生の授業レポートです。
3回生の小川はる菜さんが、ゼミで見学をしに行った祇園祭についてレポートしてくれています。
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前回の続き、パート②
私が今回の山鉾見学で撮影した提灯を紹介します。
1)白楽天山
駒形提灯を構成する提灯の数は、縦4個×7列で28個です。中央上部の3個のみ赤色の提灯が使われており、八坂神社の神紋である「左三つ巴」と「五瓜に唐花」、「御神燈」の文字がみられます。
「白」の字を図案化したものも、一つひとつの提灯に描かれています。
山の前には、旧字体の「樂」を用いて山の名前を記した提灯が吊るされていました。
2)保昌山
「保」の字が描かれています。
3)岩戸山
駒形提灯を構成する提灯の数は37個です。両脇から中央にいくにつれて提灯の数が少なくなっており、後ろにある山の姿がよく見えました。赤色で左三つ巴紋を、黒色で五瓜に唐花紋を描き、交互に配しています。
4)油天神山
火袋の部分に糊の跡が透けて見えて、その部分が少し黄色っぽくなっていました。
5)四条傘鉾
「傘」の字を図案化したものが描かれており、他に薄墨色に赤色の線で囲った左三つ巴紋、薄墨色に黒色の線で囲った五瓜に唐花紋の提灯がみられました。
6)蟷螂山
カマキリが描かれています。左三つ巴の紋は他の山や鉾の提灯のものより、少し大きめに見えました。
「蟷螂おみくじ」が設置されたテントには、「蟷」の字が記された丸型の提灯が吊り下げられ、赤地に白色の文字のものと、白地に赤色の文字のものがありました。
7)郭巨山
駒形提灯を構成する提灯の数は31個で、郭巨山は「釜掘山」ともいわれるため、「釜」の字を図案化したものが描かれていました。
8)綾傘鉾
丸に「綾」の字が描かれていました。
9)月鉾
「月」の字が薄墨色に黒色の縁取り線で描かれており、4画目の横線が大きく突き出ているのが特徴的です。
10)菊水鉾
「菊水鉾」の字と「菊に流水」の紋が青色で描かれており、提灯に青色を用いていたのは、私が見た限りでは菊水鉾だけでした。
11)霰天神山
赤色で「星梅鉢紋」が描かれています。提灯の上部と下部にある重化(じゅうけ)の部分が金色で作られていました。
12)孟宗山
左三つ巴紋と五瓜に唐花紋に加えて、提灯の下部に山型文様が描かれていました。
13)大船鉾
山鉾町の名前が四条町であるため、「四」の字が提灯上部に記されています。
14)南観音山
山鉾町の名前である「百足屋町」の「百」の字を図案化したものが描かれています。
15)八幡山
山鉾町の入口に掛けられていた提灯で、中央に「八幡山」の文字向かって右の側面に五瓜に唐花紋、左の側面に左三つ巴紋が描かれていました。「八」の字は2羽の鳩をかたどったものでした。
火袋の部分が飴色に変わってきており、木製の提灯台とともに、長年使用されているようです。
16)役行者山
赤地の提灯には独特な字体で「役行者山」、「御神燈」と記されていました。白地の提灯には「輪宝紋」が赤色で描かれています。
17)橋弁慶山
山の名前が赤地の提灯に記されており、旧字体である「辨」が使われていました。
18)北観音山
駒形提灯を構成する提灯の数は45個で、どの山鉾よりも数が多いようです。山鉾町の名前である「六角町」にちなんで、六角形が描かれていました。
19)鯉山
山鉾町の入口にある提灯で、「鯉山」の文字は独特な書体で記され、向かって右の側面には青色で五瓜に唐花紋が、左の側面には赤色で左三つ巴紋が描かれていました。
20)布袋山(休み山)
山鉾町の入口に掛けられていた提灯で、町名である「姥柳(うばやなぎ)」の文字と、宝袋の紋が描かれていました。
長らく使っているものためか、火袋は飴色になっているし、紙を継ぎ足して補修をした跡もみられました。
おわりに
今回は2度の山鉾見学で、すべての山鉾を見ることができました。どの山鉾の提灯にも、八坂神社の神紋である「左三つ巴」の紋と「五瓜に唐花」の紋のどちらか、もしくはその両方が描かれていました。
山鉾の名前の頭文字を提灯にあしらったものが多くみられ、中には朱印と同じ紋を提灯に使用しているところもありました。
文字や文様の形や色、大きさといった提灯のデザインには、山鉾町ごとにこだわりが感じられ、ただ何となく眺めているだけではどの提灯も同じように見えますが、じっくりと見比べることで山鉾ごとに特色があるのだと気づくことができました。
提灯の中には真新しいものもあれば、だいぶ年季の入ったものもあり、何年ごとに新調するのか、また、新調する際にはデザインの変更を行うのかどうかも気になりました。
来年も祇園祭に足を運び、今年と来年の提灯を比較しながら見るようにしたいと思いました。
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小川さん、ありがとうございました!
夏休みに入りましたが、今後も学科のようすや学生の授業レポート等、更新していきます!!
2014年8月5日 授業風景
こんにちは、歴史遺産学科副手です。
今回は、ゼミの授業で祇園祭に行ってきた、3回生の小川はる菜さんのレポートをお伝えします。
ちょっと古い話題になりますが、ゼミで祇園祭の宵山の山鉾見学に行きました。
祇園祭では山鉾の周辺だけでなく、近隣の住宅の軒先や商店街のアーケードにまで提灯が飾られており、色々な提灯を見ることができました。
提灯に描かれた文様の形や色が、山鉾ごとに異なるのを面白いと思い、祇園祭で使用される提灯について調べたことの一部を紹介します。
祇園祭の提灯
山や鉾の前に飾られている、提灯がたくさん連なったものを「駒形提灯」といいます。
「駒形提灯」の名前の由来は、連なった提灯の形が将棋の駒の形に似て見えるから、など諸説あるそうです。
近年では、祇園祭の提灯の光源は白熱電球からLED電球への切り替えが進んでいます。今年は油天神山が光源をLED電球に切り替えたそうです。LED電球は電力消費量を抑えつつ、ろうそくの光の揺らぎや色合いを再現できるそうです。
祇園祭の提灯を製造している店は複数あり、その中でも「高橋提灯」と「奥川提灯店」が特に有名です。
今年は後祭が再開され大船鉾が巡行に復帰したため、例年よりも500個ほど多い約4000個の提灯を製作したそうです。
前祭用を7月10日ごろ、後祭用を18日ごろまでに仕上げるために、職人たちは連日深夜まで作業を続けたそうです。
(パート②に続く)
歴史遺産学科では、こうして学外で実際にものを見ることを大切にしています。
次回は、実際に小川さんが撮影してきた提灯を載せていきます。
ご期待ください!
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