アートプロデュース学科

肌に刻む身体:人はなぜ文身をするのか 田川とも子さん特別講義

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「北極圏からニュージーランドに至るまで、原住民が入れ墨の習慣を持っていなかったところはない」

 

というダーウィンの言葉もあるように、人類の文明発展の歴史がさまざまな民族による身体加工の営みの歴史と大きく関係しているという話からはじまり、入れ墨(文身)という一種の「傷」を「身体に刻む」ことの意味に見出される、世界との距離から確立された「自我と他者」についてご講義をいただきました。

どうしても、一線を画した世界のように思われる入れ墨ですが、最後には他者とのコミュニケーションの話へと繋がっていった事は驚きでした。

他者と自分との関係について考えることは、1回生がACOPで行っていることと同じです。今まさにACOPに取り組んでいる彼らにとっては特に、自らの実感と照らして感じられる部分が多かったのではないでしょうか。

曖昧で未知なものに分け入り「間」ができることで、そこに秩序と関係性が生まれる(=分かる)という、とても興味深く刺激的な内容でした。

 

 

 

▼以下、学生レポートより抜粋。

 

○異和や痛みによって自己と他者を分け、距離を理解していくというのは、なんとなく今学んでいるコミュニケーションに近いものにも思えて、非常に面白く感じました。他者と自分を関わりを持つことでしか“自分”というものを把握できないのではないかと思うことがあり、私は今も自我を確立しようとしているのかも、と考えてしまいました。

民族的身体加工がとても深い歴史を持っていて驚きましたが、その加工を施す過程にも意味があったはずなのに、現代はその加工の結果のみをみていて、同じとはいえないなと思いました。江戸時代の入れ墨刑が現代の悪いイメージの起源であったとしても、それは加工の意味もその人の本質も考えていないだけだなぁという気がしました。

 

 

○分けるという行為をするからこそ分かるという行為ができるのであり、自分と他者を分けて、分かるからこそそこに関係が生まれるというのは、何かを理解しようとする上で大切な考え方だと思った。

自分と他者を分けることで、分からないことが生まれ、分かろうとするためにそこに関係ができていくのではないかと思った。自分と他者を一体化してしまうとそういった気付きがなくなってしまうので、すれ違いが起こり、逆に理解できないのではないかと思った。

 

 

○自然になじむ人工的なもの、これはARTにも通じたものがある。身体加工といえば入れ墨や整形を思い浮かべるが、いわれてみたらファッションというのもそうだなと納得した。自他をわけて自分の立場を知り、個として独立する。体にその存在を刻むことは痛みを伴うが、成長は痛みを伴うものだなと感じた。

 

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