アートライティングコース 長谷川美祈【学科賞】
同居していた義母が2018年に亡くなった。義母の死は、遺された家族に大きな喪失感をもたらした。特に義父は外出も減り、一日中テレビの前に座っていることが多くなった。そんな日々が半年ほど続いたある日、義父が一枚の義母の写真を壁に貼った。その日から少しずつ義父も、私を含め家族も義母の死を受け入れ始めたように見えた。
写真は、義母に死がせまるなかでは、死の気配を感じさせ、死後には、喪失感をひとときでも埋め、また義母の不在を明確にもした。
義母の死から3年後、義父は義母が育てた胡蝶蘭の花が咲いた写真を撮り、仏壇のそばに貼った。義母の遺影写真に向き合うように貼られた「蘭の花の写真」を見て、ここに写真の本質があるのではないかと私は考えた。
写真の持つ力や本質についてはこれまでに多くの識者が論じてきている。大切な人の死という喪失を人は写真を通してどのように記憶し、抱えて生きていくのか。本作では、実際の写真を取り上げながら、写真と死にまつわるエピソードを綴ることで、写真の本質を私の視点から新たに再考することを試みた。
神奈川県
写真と死
【本文】
6月のある日、外出前の挨拶にと階段を降りて1階の義父が暮らす和室の仏壇を訪れた。窓から差し込む光がやわらかくふわっと和室を包み込んでいた。壁に見慣れない何かが貼ってあった。近づいていくにつれて写真だとわかる。
緑の支柱に支えられて鉢から15cmほど上に伸びた花茎は右に伸び、クリームがかった白い小さな胡蝶蘭が隙間なく6個、花をつけている。その下で左に伸びた花茎には8個ほどの花が押し合うように咲いている。つるりとした楕円形で厚みのある深い緑の葉が左右に3枚ずつ花の重みを支えるかのようにでろんと茂っている。後ろのすりガラスの窓から日がうっすらと差し、花びらが透けている。
この「蘭の花の写真」は、手でちぎったような透明の養生テープで仏壇横の壁に貼られていた。仏壇のおりんをチンと鳴らし、手を合わせて木製の写真立てに入った義母の遺影を見た。
2018年5月20日、日曜日の午前10時過ぎ、この和室で義母の遺影撮影が始まった。癌を患っていた義母に以前から撮影を頼まれていたが、先延ばしにしていた。義母は、お気に入りの白いノーカラージャケットを羽織り、細いゴールドのネックレスをつけていた。北西と南の窓から差す光が和室のベージュの壁をやわらかく照らしていた。この壁の前で撮影をしようと決める。
義父が「俺も撮ってよ」と、ジャケットをはおって来た。この一言が、遺影撮影という複雑な感情が漂う場に「笑い」を生んだ。「じゃあ俺も」「私も」と夫や娘も壁の前に立った。
いよいよ義母を撮影となった時、この数分の間に立っていることがつらそうな様子が見て取れた。椅子を持ってきて座ってもらう。ファインダー越しに見る義母は、緊張して硬い表情だった。当時9歳の娘が、カメラの横で義母を笑わす。とたんに表情がやわらいだ。夫はレフ板係として白いボードで義母の顔に出る影を飛ばす。家族5人でにぎやかな遺影撮影となった。
遺影撮影を先延ばしにしていた理由は、義母に「死」が近づいていることを認めたくなかったからだ。写真に撮ることで「死」が早まってしまうかもしれないとさえ思った。普段は何も考えずに写真を撮っているのに「写真に撮る」行為を「死」と結びつける思考が働いた。「写真はすべて死を連想させるものである」(1)とスーザン・ソンタグ(Susan Sontag, 1933-2004)が『写真論』で綴っているように、ある瞬間の時間を止めて記録する写真には死の気配がつきまとう。
撮影後、写真を確認するとそこには溌剌として見えていた義母とは違う、やつれ、痩せ、力のない顔があった。いつも顔を見ていたつもりが、脳内で都合よく「元気な義母」を作り出していたのだろうか。写真にはそこにあったそのままが写るということを思いしらされた。
遺影撮影の数日後、義母は急激に容態が悪くなり、慣れない介護で家族全員が疲弊していった。1週間だけのお試しとして入ったホスピスで義母は息をひきとった。家族の中心的存在だった義母の死は、義父、夫、娘、そして私にも大きな喪失感をもたらした。
葬儀には、あの日、家族で撮影した遺影写真が背景をベージュから薄い紫に変えられて飾られた。「写真がとても良かったので割引になります」と5,000円値引きされた。全く嬉しくはなかった。
義母の死後、義父は明らかに生気を失っていた。外出も減り、テレビの前で一日中じっとしていることが多くなった。義母の診断書を整理しながら「この時になんで癌に気づかなかったんだ」と怒りを露わにした。病院や医師への怒りなのか、自分自身への怒りなのか、私には分からなかったが、どこにもぶつけることのできない怒りは切なかった。
半年ほどそんな状態が続いたある日、パソコン机の前の壁に水着を着た義母の写真が1枚貼られた。おそらく2人が恋人になった頃だろう。縦位置で撮られた写真には海辺の砂浜、青い空、他の人々の赤や緑、黄色や青などのカラフルなパラソルが左右に見える。真ん中に立つ義母は耳の下辺りでカットしたショートヘアで、水着の上に白いTシャツを着ている。手についた砂をはらっている途中のような仕草で表情は口を尖らせ、やや訝しげな目をして少し下から撮るレンズ越しにこちらを見ている。足元に白いバッグやビニールのバッグなどがあり、帰り支度を終えた後のようだ。
義父は何を思ってこの写真を貼ったのだろう。亡くなる前でもなく、家族になってからでもなく、恋人だった頃の海での写真は、当時の楽しかった記憶を呼び起こしたのではないだろうか。
同じ頃、階段下の納戸から段ボール箱に詰め込まれた古いアルバムがいくつも出てきた。アルバムを開くと黄色く変色した台紙に義父が撮った義母の写真が貼られていた。グループ交際の様子、遊園地の乗り物に乗る義母、お弁当を食べる様子、結婚式、新婚旅行、出産など、恋人から妻になり、親になっていく過程まで辿ることができた。
1枚のモノクロ写真に目が留まる。葉が生い茂る木の下で座る横顔の義母は手元の辺りを見ていて写真を撮られていることに気づいていない。その手前に座る義父が満面の笑みでカメラの方を振り返っている。写真の横に義父による手書きの言葉が添えられていた。「YOU AND ME. everyday everywhere everytime once upon a time I don’t forget to you」奇妙な英語が滑稽ではあるが、義母への恋心が溢れ出ていた。アルバムをめくりながら義父がつぶやいた。「拝み倒して結婚してもらったんだ」
写真は、記憶と密接な関わりがある。写真を見ることによって、そこに写っている以上のことを思い出させ、想像させる力を持つ。壁に貼られた1枚の写真やアルバムにより、義母の若い頃を知らず、たかだか10年ほど一緒に暮らしただけの私にでさえいくつもの想像を働かせ、義母の人生を想起させた。義父には共に過ごした義母との記憶が、その時の光景や声や匂いまで蘇っていたに違いない。アルバムの写真を見ながら、久しぶりに家族4人で会話がはずんだ。
壁に貼られた写真は、それから1、2週間後には剥がされていた。なぜ剥がしたのか尋ねたが義父は答えなかった。その後、義父は少しずつ人との関わりを取り戻していった。
ロラン・バルト(Roland Barthes, 1915-1980)が著書『明るい部屋』で写真の本質を「それは=かつて=あった」(2)と結論づけたが、現実にそこに「あった」ことを写した写真は、今は「ない」ということを突きつけてくる。壁に貼った写真やアルバムは、決して戻ってはこない義母との日々や存在を明確に認識させた。しかし、私たち家族にとっても、義父にとっても、義母の死を受け入れる過程において、もういないことの明確化は必要なことだった。
「蘭の花の写真」が貼られたのは、義母の死から3年後のことだった。この胡蝶蘭は、母の日に私がプレゼントをし、毎年「花が咲いたよ」と義母が教えてくれていた。義父にも報告していたのだろう。
義父が蘭の花を撮り、仏壇の横に貼ったことについて考える。実際に咲いた蘭の花を見て、義母のことが思い浮かんだのだろう。喜んで報告してくる様子まで蘇ったのかもしれない。でも、実際には義母はもういない。花が咲いたことを義母は見ることができない。義母に伝えることもできない。その現実を受け止めたからこそ、花が咲いたその事実を義父は写真に撮ったのだ。そして言葉で伝えるのではなく(そうしたかもしれないが)、写真に写し、プリントして仏壇から見える壁に貼った。義母の死を受け入れ、もう存在しないことを認めた上で、それでも見える形として写真にすることで伝わるかもしれないと希望を持った。私の考える写真の本質はここにあるにちがいない。
「かつてあった」を示す写真を通して義母との日々を追憶することで、義父は、記憶のなかで義母は生き続けると実感することができたのではないだろうか。写真は記憶を呼び起こす力を持っている。写真を見ることで、そこには写っていないフレームの外へと想像を巡らせ、写っているものの過去や未来へと時間を動かし新たな記憶をも生み出す。義父が撮った蘭の花の写真は「義母へ蘭の花が咲いたと報告をした」という新たな記憶を義父に、私にも刻んだ。写真を媒介にすることで、もうこの世にいない義母との記憶を新たに育み、記憶のなかで共に生きていくことができる。時間を止めた写真は今を生きる義父の時間を動かした。
仏壇横の壁には「蘭の花の写真」がわずかに左側が斜めに下がった状態で今も貼られている。私はそれを写真に撮った。また一つ記憶が育まれた。
【概要】
[簡潔な内容]
同居していた義母が癌で亡くなった。義母は、亡くなる1ヶ月前より急激に容態が悪化し、1週間のお試しとして入ったホスピスであっという間に亡くなった。家族の中心的存在だった義母の死は、義父、夫、娘、そして私にも大きな喪失感をもたらした。
思い起こすと、家族で撮影した遺影写真や義母の死後、義父が壁に貼った義母の写真、段ボールに詰め込まれたアルバムなど、死がせまるなかで、また死を迎えた後、写真はさまざまな場面で義母の不在を埋め、記憶を蘇らせると同時にもう居ないという事実も突き付けた。それでも、写真は喪失感を乗り越える救いと死を受け入れる力を与えた。義母の死を通して写真が関わるエピソードを綴りながら写真の持つ本質や力を言語化する。
[意図と目的]
写真は「過去」や「死」を想起させる。これまでにもロラン・バルトやスーザン・ソンタグなど多くの識者が論じてきている。
義母の死に直面し、写真と死が結びつく機会が何度もあった。特に義母の死後、ふさぎ込んでいた義父が写真の整理を始め、義母の写真を壁に貼った頃から少しずつその死を受入れ始めたようにみえた。
大切な人の死という喪失を人は写真を通してどのように記憶し、抱えて生きていくのか。実際に体験した写真と死について綴ることで、時代とともに変化している写真の特性も踏まえることができ、その上でこれまでに論じられてきた写真の本質を私なりの視点から新たに考察し直す。
[構成]
3部構成とする。結論へ導くキーとなる、義母の育てた蘭の花が開花した写真のディスクリプションから始め、遺影撮影など写真と死にまつわるエピソードを描きながら写真の持つ特性を考察する。
義母の死後、義父が壁に貼った写真やアルバムを辿ることから生まれる義父の変化を綴る。
3年後、冒頭の写真が仏壇そばに貼られたことから、大切な人の死の喪失感を乗り越え、受け入れることに写真はどのような働きをしたのか、写真の本質への考察、結論を書く。
【註】
註(1) スーザン・ソンタグ『写真論』近藤耕人訳、晶文社、1979年 、p.25
註(2) ロラン・バルト『明るい部屋ー写真についての覚書』花輪光訳、みすず書房、1997年、p.94
【参考文献】
・ロラン・バルト『彼自身によるロラン・バルト』佐藤信夫訳、みすず書房、1979年
・スーザン・ソンタグ『写真論』近藤耕人訳、晶文社、1979年
・ロラン・バルト『明るい部屋ー写真についての覚書』花輪光訳、みすず書房、1997年
・アネット・クーン『家庭の秘密―記憶と創造の行為』西山けい子訳、世界思想社、2007年
・伊勢 功治 『写真の孤独―「死」と「記憶」のはざまに』青弓社、2010年
・マルセル・プルースト『失われた時を求めて(1)―スワン家のほうへI』、吉川 一義訳、岩波文庫、2010年
・ピエール・マッコルラン『写真幻想』昼間賢訳、平凡社、2015年
・ロラン・バルト『ロラン・バルト 喪の日記 新装版』石川美子訳、みすず書房、2023年
アルバムにある義父と義母の写真。義父による手書きのコメントが添えられている。奇妙な英語だが、義母への恋心が溢れ出ている。
日本語訳「あなたとわたし 毎日 どこでも いつでも 昔々 私はあなたを忘れない」
長谷川美祈【学科賞】
アートライティングコース
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