アートライティングコース 杉本有紀【同窓会賞】
神奈川県
“震災を忘れない”はもう意味がない——災害伝承小説『砂の城』が伝えること
【本文】
この物語が生まれたとき、もし誰かの手によって映像化されるなど、その存在が知られていたならば、あるいは東北の人々の命はもっと助かっていたのではないだろうか。『砂の城』はしきりにそう感じさせてならない。明治時代に東北・三陸地方を襲った大津波を題材にした小説『砂の城』は、宮城県気仙沼市にあるリアス・アーク美術館の館長、山内宏泰氏によって描かれた作品だ。
実は大津波が三陸地方を襲ったのは東日本大震災が初めてのことではなかった。1896(明治29)年に三陸大海嘯(註1)、1933(昭和8)年に三陸大津波が発生。それぞれ約2万2000人、約3000人の犠牲者が出ている。『砂の城』はこの三陸大海嘯の惨状を、取材や抽象絵画で記録した明治時代の雑誌『風俗画報』をもとに執筆された。津波が襲う瞬間や被災後の村の様子などが、異様なまでの臨場感をもって描かれている。
物語によれば、三陸大海嘯が起こったのは、端午の節句の夜だった。家々では、鎧兜を飾り、家族や近所の人たちが集まって子どもたちの成長を祝っていた。浜に上がり始めた花火を見ようとみんなが縁側に向かったその時、
「何かが砕けるような音が猛烈な速さで村を縦横に駆け巡り、冷たい矢のような疾風が吹き抜けた。次の瞬間、轟音と共に黒い巨大な壁のようなものが押し寄せ何もかもわからなくなった——」
『砂の城』は、津波襲来の瞬間をこのように記している。多くの人々は何が起こったのかすらわからないまま絶命した。第1波の衝撃を逃れた人々も第2波、第3波と迫りくる津波に巻き込まれ、流されていく。やがて夜明け前になると、村にある唯一の寺に津波を免れた負傷者や遺体が集まってきた。
「決して狭くはないはずの境内がもはや歩く隙間もなく、うなり声をあげ、苦痛に耐える重症者の眼前に惨たらしい遺体が累々と並べられていた。隙を見て舞い降りたカラスが、それを啄んだ」
驚くべきことに、この物語が書かれたのは、2011年に発生した東日本大震災の3年前のことである(註2)。著者である山内さんは、小説の原案となった『風俗画報』の図版をもとに、2006年にはリアス・アーク美術館で特別企画展「描かれた惨状~風俗画報に見る三陸大海嘯の実態」を開催していた。だが、来館者はわずか1,200人。訪れた学校は1校だけだった。
「いま自分が暮らしているこの土地で、過去に2万人以上が亡くなっている。そして、明日にでも同じようなことが起きるかもしれないと言われている状況の中で、なぜこんなに無関心でいられるのか。そのときにいちばん感じたのは、風俗画報を書き残してくれた人たちに対する『申し訳ない』という思いでした。ここで自分が黙るわけにはいかないと」
『砂の城』を書いた経緯を山内さんはこう語っている。実際、予兆はあった。東日本大震災が起こる2日前には震度4の地震が発生した。
「今までと揺れ方が違う、そろそろ本気で備蓄をした方がいい」
発災前日には美術館のスタッフとそう話し合っていたという。
被災地のなかでも、先祖からの言い伝えを守り助かった集落もあれば、まるごと海に流されてしまった町もあった。大津波は歴史上、繰り返し起きてきたにもかかわらず、なぜ伝承はうまくいかなかったのだろうか。
東日本大震災から10年以上が経ち、これまで多くの震災報道が行われてきた。それらは個人の被災体験を語るものにはじまり、定点観測的に被災者のその後を追うもの、復興を遂げた事業を紹介するものなどが多かったように思う。また、東北3県には多数の震災伝承館が誕生した。なかには、テーマパークかと思うような最先端の映像機材を備えた巨大施設もある。だが、どうしても死者や行方不明者などの数字の実感は乏しい。ある伝承施設では、発災直後に行われた中学校の卒業式の映像が流れているのを目にして思わず涙が浮かんだが、施設を一歩出ると、すぐに「夕飯はどこで食べようか」と考えている自分に違和感を覚えた。震災について取材を続けている自分自身でさえ、当事者意識を持つことはこんなにも難しいのだ。
そんな折に偶然、リアス・アーク美術館を知り、『砂の城』を知った。物語とはいえ、これを読んだとき、私はまるで津波を追体験したかのような強烈な衝撃を受けた。『砂の城』が私に及ぼした作用は何なのか。鍵は「想像力と身体感覚」だと山内さんは説明する。
「人間がリアリティを感じ、受け取るには、想像するということが絶対に必要です。与えられたものを見聞きするだけではリアリティは感じません。自分がすでに知っている情報、経験や感覚などが内側から出てくることで、初めてリアリティを感じることができます。『砂の城』は『風俗画報』に書かれていた取材文をもとにしながら、そこに身体感覚を加えていきました。たとえば津波が襲う瞬間は、いきなり水をぶっかけられるというよりは、おそらく波が押し寄せる前に空気の移動があったはずです。それが海からくる風であれば、冷たいちょっと湿った空気だろうということは、海沿いで暮らす人間であれば誰もが知っていることです」
また、『風俗画報』には、普段は漁に使っている地引き網で、海に流されたたくさんの遺体を引き上げる場面が抽象絵画で描かれている。山内さんはこれを見せるとき、こう説明を添えるという。
「彼らはおそらく漁師だと思うけれど、僕はこう思う。この人たちがこの網を引いたときに、手にかかったその重みはたぶん一生消えなかったのではないかと」
想像力を膨らませる表現を加えることで、物事が伝わる力はひときわ増す。これはまさに芸術が担える役割そのものではないだろうか。
現在、気象庁は今後30年以内に70%以上の確率で、南海トラフ地震や首都直下型地震が発生すると発表している。
「東日本大震災の前は、被災地といえば、阪神・淡路大震災が起こった神戸でした。あるいは熊本の方々にとっては、被災地は熊本でしょう。つまり、震災を忘れない、と言い続けても、もう仕方がないんです。個人の体験は一つの事例でしかありません。一方で、災害はいつでもどこでも起きるのだから、みんなでリスクを共有して備えていく必要があります。そのためには、イメージや想像力をはたらかせることができる“普遍的な物語”が必要なのです」
被災経験の有無に関わらず、東日本大震災の後、その創作のあり方に影響を受けざるをえなかったアーティストが多くいた。それは第二次世界大戦後の状況ともよく似ている。こうした流れについて、被災者であり、表現者でもある山内さんはこう指摘する。
「もはや自由の追求から生まれるものがアートと呼ばれる時代ではありません。すでに社会環境は1世紀を経て大きく変化し、『自由の追求』がアートの目的でなくなって久しい。これは非常に重要な認識であり、とくに表現者はその背景を理解しておくべきだと考えています」(註3)
2024年1月1日、石川県能登地方で記録が残る1885(明治18)年以降、最大規模となる「令和6年能登半島地震」が発生した。能登地方もまた歴史上、繰り返し地震に襲われてきた土地だ。そこには物語はあっただろうか。
私は、未来の命を守る“新たな物語”の誕生を願ってやまない。
【概要】
作品の簡潔な内容、意図と目的:
未曽有の災害といわれる東日本大震災だが、実は同規模の大津波は東北・三陸地方で繰り返し起きている。そのうちの一つ、明治時代に発生した大津波、三陸大海嘯の被害の様子を克明に描いた『砂の城』という小説がある。宮城県気仙沼市にあるリアス・アーク美術館の館長で、学芸員でもある山内宏泰さんが2008年に書いた小説だ。三陸大海嘯を取材した雑誌『風俗画報』の文章や抽象絵画をもとに、まるで著者が体験したかのように被災者の視点で、生々しく津波に襲われる描写や被災直後の人々の様子が描かれている。そのあまりの臨場感に、私はこの物語を読んで以来、気仙沼が頭から離れなくなってしまったほどだ。なぜこれほどまでにリアルに、この物語は津波を追体験させることができるのか。この小説がたとえば、東日本大震災の前に映画化されていたなら、東北の人々はもっと助かったのではないだろうか。震災後に無力といわれたアートの役割といえるべきことがそこには見つかるのではないか。そうした思いをもとに、山内さんにインタビューした。
震災の風化は被災地でも進んでおり、いかに当事者意識を持ち続けることができるかは、東北・三陸地方の人々にとってはまさに命題でもある。山内さんは、災害の記憶を伝える鍵は、「個人の想像力をはたらかせることができる、身体感覚を追加すること」だと説明する。与えられる情報と、自分がすでに知っている身体感覚や経験が結びついたとき、人はリアルを感じることができると。
これらのことから、災害伝承において、アートが果たすことができる役割は、災害を伝承する物語を生み出すことでないかと提起する。
全体の構成:
1. 災害伝承小説『砂の城』と、そのなかで描かれた大津波襲来の実体
2. 『砂の城』が描かれた背景
3. 震災報道と伝承のための課題
4. なぜ『砂の城』は津波を追体験させることができるのか
5. これからのアートの目的
【註】
(1)海嘯(かいしょう)とは、河口に入る潮波が垂直壁となって河を逆流する現象。昭和初期までは、地震による津波も海嘯と呼ばれていた。
(2)山内ヒロヤス『砂の城』近代文芸社、2008年
(3)リアス・アーク美術館「東日本大震災発生10年特別企画展 あの時、現在 そしてこれから 参考資料集」リアス・アーク美術館、2022年
【その他の参考文献】
河北新報社『表現者たちの「3・11」―震災後の芸術を語る』河北アド・センター、2015年
倉林靖『震災とアート あのとき、芸術に何ができたのか』ブックエンド、2013年
赤坂憲雄編『フィールド科学の入口 災害とアートを探る』玉川大学出版部、2020年
気象庁「関東大震災から100年」特設サイト(https://www.data.jma.go.jp/eqev/data/1923_09_01_kantoujishin/index.html)、2024年1月7日閲覧
撮影:鈴木省一
杉本有紀【同窓会賞】
アートライティングコース
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