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アートライティングコース 海老原仁美

定年俳句事始め-上を目指した10年-

【本文】
はじめに
 実家の父は1945年札幌生まれの75歳。私が幼い頃は、いわゆるモーレツ社員だった。65歳で定年退職してから俳句を始め、俳人で俳文学者の宮坂静生氏が主宰する岳俳句会に所属している。60歳ころから、退職後をいかに過ごすかを模索していたそうだ。古希祝いに家族で集った際には「いつか句集を自費出版したい」と話していたが、今年の正月には「句集なんて恐れ多い」とためらいを口にした。「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という言葉が頭に浮かびつつ、年を取って気弱になったのかなとも思った。
 俳句を始めて10年。一つの節目として、父に俳句について話を聞くことにした。俳句雑誌『岳』に掲載された句の一部を紹介しつつ、聞き書きの形にまとめてみよう。次の10年も、吟行を楽しみ、心身ともに健やかであってほしい。この文章が、改めて親族や俳句仲間との親交を深めるきっかけになるといいし、新たに俳句に親しもうとする人々の希望になればいい、と思う。

  濁手の皿の余白や年始め 『岳』2017年10月号
 濁手(にごしで)とは柿右衛門様式のやきものの技法。乳白色の素地の上に余白を十分に残した、明るく繊細、絵画的な構図を特徴とする。余白をたっぷりとって、観るものを信じ委ねる。

なぜ俳句を詠むのか
 最近読んだ本に、面白いことが書いてあったよ。今の気分にぴったりだなと思って。人類進化学者の海部陽介さんが書いた『サピエンス日本上陸』。「人類は日本列島にどうやって到着したのか」という問題に取り組んで、最初の日本列島人の大航海を再現してしまった人。後期旧石器時代のホモ・サピエンスが「なぜ島に行こうと思ったのか」という問題に続いて、次のように書いてあった。(註1)

  同じ無意味なことを、私たち現代人も全力でやっている。アート、スポーツ、旅や冒険と、人間は生命を維持し命を継承する以外のことに、どれだけの労力と時間をかけているのか。(中略)その好奇心や探求心こそがホモ・サピエンスらしさの重要な要素で、その旧石器時代における始まりを物語っている一要素が、海への進出と理解できる。

 なぜ俳句を続けているのか、理由は同じなんじゃないかな。好奇心や探求心。ステイホームでも心は郷里を駆け巡り、季節を感じることができる。もちろん、無理なく外出できるようになったら、吟行して作句ノートをいっぱいにしたいね。

俳句を始めよう
 思えば、俳句には縁があった。仕事で親しくなったお客さんから勧められたこともあった。平成12年(2000年)から2年間、郡山に赴任した時には、松尾芭蕉の紀行文や全句集を読んで、奥の細道も断片的に旅をした。面白かった。本はもともと好きだったけど、30代、40代は忙しくて読めなかった。20代は相当読んだね。60代になって、いずれ仕事を辞めるときがくるから、趣味を持たなくちゃと調べ始めた。65歳を迎える平成22年、俳句を始めようと思い立った。
 最初、入門書を読んでみたが、これは教わらないと難しいと思って、NHK学園「俳句入門」を受講した。6カ月の通信教育で、月に1回3句作って提出すると添削してもらえる。俳句には文語と口語があるが、やはり文語文法を学ぶ必要があるなと思い、次に「文語文法入門」、そして「俳句実作」を受講した。この1年半でおおよそ俳句がどんなものか分かってきた。インターネット句会にも投句するようになった。

俳句が上達したい
 俳句は「座の学問」というだけに、人が何人か集まって、句を出し合って、話し合うもの。宗匠とか主宰と呼ばれる先生がいる。上達するにはインターネット句会では難しいと思い始め、平成24年から近所のカルチャースクールの句会に参加した。人数も少なく、物足りなかった。しっかりしたところで上達したいと思った。横浜駅の朝日カルチャーセンターに著名な先生が何人か来ていると聞いて調べにいった。ちょうど宮坂先生が新しく担当することになっていた。先生方の句集を立ち読みして、宮坂先生の俳句の詠み方は自分に合うんじゃないかと思った。地貌季語といって、地方にある独特な季節の言葉を大事にしている。平成25年10月から朝日に通い始めて、だんだん何を詠みたいかが分かってきている。
 1年後くらいに、岳に誘われた。全国に俳句結社は1000くらいあるのかな。結社は敷居が高いと思っていた。まだ早いのではと躊躇したが、同い年の会員さんが熱心に誘ってくれた。重い腰を上げたのが平成27年12月。結果的には揉まれることになってよかった。岳に入会してからも、朝日は続けている。入会して半年後、『岳』巻末「会員の声」の欄に意気込みが掲載された。「毎号じっくり読み、気にかかる言葉をマーク、わからない言葉を調べていますが、毎号読み込むたびに、壁の厚さと高さに圧倒されます。いつか、壁の厚みの一部になれるよう精進します」

 <北海道の四季>
  蕗炊くやコロポックルの話子に 『岳』2016年7月号
 コロポックルはアイヌの伝承に登場する小人。アイヌ語で「蕗の葉の下の人」という意味。蕗を炊きながら子どもにコロポックルの話を聞かせてやる、穏やかな春の日。

  だはんこく舟宥めつつがんぜ漁 『岳』2016年9月号
 北海道の方言「だはんこく」(駄々を捏ねること)を用い、「がんぜ漁」(エゾバフンウニ漁)も北海道から北東北の地域語を生かす。漁の舟が思うようにあやつれない苦労を捉えた実感の一句。

  馬鈴薯の土こそ十勝開拓史 『岳』2020年1月号
 十勝名産馬鈴薯。そこについた土。原点は土、土からすべてが始まる。北海道の食糧の7割は帯広を中心とする十勝平野が産み出している。

  乾鮭を噛むや襟裳の日と風と 『岳』2017年10月号
 固く、滋味に富む乾鮭を噛みしめる。冬日の中、風速10メートルを超える襟裳岬に佇む。波の高い海上には岩礁群が伸びている。厳しくも光・希望が伝わる。

俳句がもっと上達したい
 入会すると毎月結社誌が送られてくる。毎月6句提出して、2~4句掲載される。最初は3句だったが、徐々に4句採用される月もでてきた。記録しているノートを見ると、入会1年目に4句選が数回あった。自分でも頑張ったなと思う。
 俳句は、詠んで座に出して、鑑賞されて初めて成り立つ。選句されると嬉しいし、他の人からの意外な解釈で、句の世界が広がる。自分でも他の人の句を選ぶ、知らないことがいっぱい出てくる。鳥も花も木も、知らないことばかり。俳句って無限だな。的確な講評、批評をしてくれる先生の存在は大きい。宮坂先生は、沢山の人にとられた句は駄目と言われる。誰にもとられなかった句が先生の特選になることもある。万人受けする句は、当たり前に近い、誰でも詠みそうな句ということ。自分だけの句、オリジナルの句を詠むことが大切。
 平成29年7月に推薦されて同人になった。会員のうち3分の1くらいが同人か。同人になってから4年、努力してきた結果が表れてきつつあるなと手ごたえを感じている。

  あかときの蜩しきり世阿弥の忌 『岳』2020年11月号
 明け方の蜩(ひぐらし)の海のような声に、夢かうつつか分かちがたく臥所のなかに漂っている。その声は、複式夢幻能のあの世からあらわれるシテの魂さながら。世阿弥の「幽玄」に思いをはせ、日本文化をやさしくことほぐ。

これから
 俳句に大事なことは、やっぱり感性。現役の東大生が、俳壇の芥川賞と呼ばれる賞をとった(岩田奎さん、『赤い夢』50句で第66回角川俳句賞を受賞)。感性もすごいし、俳句を含めて文学を深く勉強しているなと分かる。若い才能を見ていると、自分が句集を出すなんてとんでもない……という気持ちになるね。
 10年やってきて、これ以上、上を目指してどうするのという気もしてきた。年齢的に記憶力が落ちているのが分かる。同じ言葉を毎月毎月辞書で引いている(笑)。だから、まあ、上を目指そう、上を目指そうということではなく、楽しもうという気持ちで。レベルを落とさないように頑張れればいいかな。今のペースで詠んでいけばいいかな。それも大変なことなんだけれど。

  落ち葉踏む心定まる日なりけり 『岳』2020年2月号
 落ち葉を踏む、なにげない行為が心の安定をもたらす。気になっていたことや迷いがふっ切れる。落ち葉を踏む足裏の感触は意外にも心にひびく。ささやかな発見。




<註>
(1)海部陽介『サピエンス日本上陸 3万年前の大航海』321ページ、講談社、2020年

<参考文献>
俳句雑誌『岳』2016年1月号~2020年12月号
宮坂静生『俳句必携1000句を楽しむ』、平凡社、2019年
宮坂静生『沈黙から立ち上がったことば―句集歴程』、毎日新聞出版、2018年
宮坂静生『季語体系の背景 地貌季語探訪』、岩波書店、2017年

海老原仁美

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