アートライティングコース 相木文重
酒屋に眠っていた布袋~これは50年前のマイバッグだったのか?
【本文】
<大量の布袋の発見>
私の実家は100年以上続いている造り酒屋ではない酒屋である。緊急事態宣言が出ていた2020年5月、45年間触れることのなかった物置を片付けることになった。
物置の入り口は3竿の箪笥で封鎖されていた。箪笥の中身は不要な衣類しか入っていなかったが、引出しに敷いてある新聞紙が1960年代のものであったり、第二次世界大戦中の満州のものと思われる領収書が出てきたりして面白かった。
箪笥を廃棄すると古い段ボール箱が出てきた。箱の外には「KOTOBUKIYA」のローマ字が。これは「サントリーの旧会社名」(注1)だとわくわくした。中から出てきたものは、厚地の木綿で作られた大量の袋であった。酒造会社、調味料の会社などの名が大きく入った袋は、サイズが2種類ある他は形状が同じであり、横のマチ部分に豊橋市の製造メーカーの名前が入ったものもあった。外装に熨斗紙がついていて、もらいものの雰囲気が漂っていた。
「この袋は何に使われたものだろう?」「配られていたのはいつ頃だろう?」と疑問が湧いてきた。手がかりは袋に印刷された会社名(注2)だけであった。
<袋の名前がわからない>
インターネットで「酒袋」として検索すると、この袋と酒を絞るときに使う布を使った袋がヒットした。本来「酒袋」というものは、お酒を絞るときの布袋を指すので、この袋は「酒袋」ではない。また「甚吉袋」という名も出てきた。「甚吉袋」という名前でこの袋をお酒用の買い物袋として現在も販売しているサイト(注3)を見つけた。
『日本国語大辞典』で調べてみると、「甚吉」では記載がなく、「陣吉」という「腰につける布製の長い財布」の記載があった。『広辞苑』にも同様の記述があり、「甚吉」はない。長い財布と思われるもの(写真3枚目)も、同じ箱から出てきているので、この財布が「陣吉」に当たるものではないかと考えた。この袋は「甚吉袋」と呼ばれている地方もあるようだが、その根拠にはたどり着けなかった。
<問い合わせたら返事が来た>
昭和のモノを扱った本にも記載がないので、調べるには問い合わせるしかないと決意した。「袋に名前のある中で現在も営業している会社」としてミツカンホールディングス、カゴメ株式会社、野田味噌商店の3社。「袋の製造会社」として豊橋市の鈴星、「現在この袋を販売している会社」として菊姫合資会社に絞った。コロナ禍の中、手紙に袋の写真を添えて送った。
数日後から続々と返事が、それも全社から届いた。袋の製造会社は既に廃業しているという連絡をいただき恐縮した(同名の別の会社に届いてしまった)。
カゴメ、ミツカンの両社の回答は「古いことで記録がなく推測の域を出ていない」としながらも「メーカーが瓶詰してから販売するという安全性の宣伝のために、名前入り袋を作って拡売を図った」という話が一致していてとても興味深かった。以前は樽で商品を販売店に納品し、販売時に小分けする方式だったため、販売店により、低品質の商品を混入させて(またはすり替えて)儲けるという行為が行われ、メーカーは自社での瓶詰出荷をはじめたという。(注4)
菊姫酒造では、この袋を「酒袋」と呼んでいて、はじめは、お酒を絞るときに使う布袋を使用して作ったからではないかと推測されていた。他社からは名前についてはわからないと回答された。
<酒屋の様子を3人に聞く>
見つかった袋を今も酒屋で働いているOさん(注5)に見せてみた。すると「懐かしいねえ。でも、これ、俺らはあんまり使ってなかったよ。一緒のとこに瓶ビールが12本入る袋はなかったかん?」と言った。Oさんが就職したのは1958年である。当時、店ではオート三輪と四輪トラックが業務用の配達専用で、個人宅宛の配達はすべて自転車だったという。「俺らのときは、この袋は使ってないよ。その前のことはSさん(注6)しかわからんね。」と言ったので、市内で酒屋をしている80歳すぎの男性、Sさんを訪ねた。
Sさんは1955年に就職した。酒の販売は1950年に配給制度が解除され、店が急に忙しくなり人手が必要になっていた。買い物には徒歩か自転車で行き、重いものは配達だったという。Sさんは1958年まで自転車での配達を担当していた。午前に御用聞きと空き瓶回収をし、午後、受注した品物をこれ以上積めないくらい積んで配達。Sさんもこの袋はあまり使った記憶がないと言い、使わなかったから残っていたのではないかと想像していた。
どうしても自転車への荷物の積み方が知りたくて、高校時代、アルバイトに来ていたという母(注7)に配達の様子を聞いてみた。母は驚くほどよく覚えていた。自転車後部の荷台にみかん箱くらいの大きさの木箱を付け、その下に2本の棒を置き、上に板をくくり付けて、一升瓶10本用の木箱を横長に付ける。後ろに荷物を積みすぎると自転車の前が持ち上がるので、前のハンドルにビール瓶12本用の袋を斜めに掛ける。左右のバランスが取れるように、両側に同じような重さになるように掛けるのがポイントらしい。一升瓶は木箱に入るので、酒用の袋はめったに使わなかったと言う。積載量は軽く見積もって65キロ、ワレモノばかりである。16歳にはたいへんな仕事だったに違いない。「坂が上がれずたいへんだったよ」と母は言った。時には、一升瓶2本入りの布袋を自転車のハンドルに掛けて配達したり、袋を上得意さんにあげたこともあったようだ。
布袋の使用が消滅した時期は、木箱がP箱(プラスチック製のケース)になり、配達が車になった1965~1970年くらいというのが3人の一致した見方であった。ぜひ一度見てみたかったビール瓶用の布袋は、その後の捜索でも出てこなかった。(注8)
<マイバッグとして蘇る>
2020年7月からレジ袋が有料化され、マイバッグに注目が集まるようになった。今回、この袋を見せた若者が口々に「カッコイイ」「これなら使いたい」と言った。「カッコイイ」という一言は処分してしまおうという私の気持ちを一変させた。
菊姫合資会社では、1950年代に作られた販促品を「先人の知恵と職人の技で素材も本物なのでみんなに知ってほしい」と1991年から2000年頃に、社長が季節の挨拶品としてリメイクして配布したという。当時作成した中で前掛けと酒袋(この布袋)は現在も要望があるので、菊姫取扱店での販売用として作り続けているということである。酒袋は、重い瓶を入れるために木綿の帆布(キャンバス地)を使い、紐の穴を金属で補強し、底にも金属鋲がついている。濡れても丈夫で、瓶が中で割れてもガラスが飛び出してくることはない。当時の職人がもっといいもの、使いやすいものをと工夫したものが現代の「カッコイイ」につながるのは、なんだかうれしかった。
<まとめ>
見つかった布袋は1950年代に販促品として配布されたもので、瓶入りの酒や調味料を配達、空瓶の回収をするために使われていたものだった。袋の名前は特定できなかったが、物置に袋がたくさん残っていた理由はわかった。この袋の配布には人間の欲とメーカーとの戦いがあり、袋の消滅には木箱からP箱へ、自転車から自動車へ、という社会の変化があった。そして現在、持続可能な世界を求めて、この袋がマイバッグとして蘇ろうとしている。
マイバッグの利用は、地球環境に配慮しての行動として有効である反面、万引きの増加(注9)という負の側面もある。容器の削減という点で環境によいと思われる「量り売り」が、低品質の品の混入や安全性の問題からメーカーでの瓶詰めに変化してきた事例から、世界の持続可能な発展を考える際には「欲を超えた人間の良心」が大切なのではないかと思えてならない。
今回の調査は、商売や社会の変化を知ることにつながった。この布袋がこれからも長く使われてほしいと願う。
【注】
(1)サントリーホールディングス「サントリーの歴史」
https://www.suntory.co.jp/company/history/(2020年11月20日閲覧)。寿屋がサントリー株式会社に名称変更したのは1963年
(2)袋の一つに印刷されていた「愛知トマト株式会社」は、カゴメ株式会社の旧社名(1949年~1963年)である
(3)「酒袋」を販売している菊姫合資会社
https://www.kagatani.co.jp/SHOP/788769.html(2020年11月20日閲覧)。「甚吉袋」と記載のあるサイトhttps://item.rakuten.co.jp/arumama/kn-am9/(2020年11月20日閲覧)
(4)ミツカンホールディングス「ミツカンの歴史・樽売りからビン詰めへの大転換」https://www.mizkanholdings.com/ja/group/history/matazaemon/change06/(2021年1月3日閲覧)
(5)沖忠夫さん(1942年、静岡県出身)。1958年に入社以来現在も嘱託として酒屋で働く
(6)志賀秀夫さん(1940年、愛知県額田郡幸田町出身)。1955年に新規での酒屋開業を目指し安城の酒屋に入社した。1966年まで勤務した後、1967年新規開業。当時、酒販売の免許取得には10年以上の実務経験が必要であった
(7)筆者の実母、木村恵子(1941年、愛知県刈谷市出身)。1958年より叔母が嫁いでいた安城の酒屋にてアルバイトをしていた
(8)2020年11月6日『中国新聞デジタル』
https://www.chugoku-np.co.jp/local/news/article.php?comment_id=697056&comment_sub_id=0&category_id=112(2021年1月3日閲覧)
【参考文献】
『日本国語大辞典』第11巻、小学館、1974年
新村出編『広辞苑』第4版、岩波書店、1991年
文・長坂英生、写真・名古屋タイムズ委員会『名古屋昭和の暮らし 昭和20~40年代』光村推古書院、2016年
高部晴市『昭和の子どもとお店屋さん 昭和30年代、東京・下谷竹町物語』佼成出版社、2020年
ミツカンホールディングス「ミツカンの歴史」
https://www.mizkanholdings.com/ja/group/history/?_ga=2.183365158.1006507695.1603613977-449558907.1603613977(2020年10月25日閲覧)
カゴメ株式会社「カゴメの歴史」
https://www.kagome.co.jp/company/about/history/(2020年10月25日閲覧)
キリンホールディングス「キリングループの歴史」
https://www.kirin.co.jp/company/history/(2020年10月25日閲覧)
葛良忠彦「ガラス容器の変遷」
http://www.spstj.jp/publication/archive/vol21/Vol21_No5_1.pdf、日本包装学会包装アーカイブス(2020年10月25日閲覧)
鹿毛剛「ビール瓶軽量化の道」
http://www.spstj.jp/publication/archive/vol20/Vol20_No3_1.pdf、日本包装学会、包装アーカイブス(2020年10月25日閲覧)
鹿毛剛「プラスチック通い箱」
http://www.spstj.jp/publication/archive/vol22/Vol22_No6_1.pdf、日本包装学会包装アーカイブス(2020年10月25日閲覧)
蔵こん 酒と出会う・蔵と出会う「一升瓶の誕生」
https://kura-con.jp/nihonsyunorekisikindaika-3216/(2020年10月25日閲覧)
古い段ボール、側面下段にKOTOBUKIYA(現サントリー)の名前が見える。
発見された袋のサイズは2種類あったが形状は同じ。
大サイズは一升瓶(1800ml)が2本、小サイズは四合瓶(720ml)2本入る。
同じ箱の底から出てきた財布。三つ折りになっていて長い紐がついている。
これが日本国語大辞典にある「陣吉(甚吉)」というものではないかと思われる。
酒の袋の側面に製造会社の名が刺繍してあったもの。
「鈴星謹製 トヨハシ市」と読める。
相木文重
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