和の伝統文化コース 佐々木 亜子【パネル展示論文】
兵庫県
京都の地名・名所を表現した「判じ絵」を読み解く
ー「都名所絵方角かんがゑ」と「大しんぱん京都ほうがく繪かんがゑ」ー
【要約】
・研究の主旨
本研究では、江戸時代の庶民層に楽しまれた「判じ絵」の中から、京都と近江の地名や寺社名を絵で表現した「都名所絵方角かんがゑ」と「大しんぱん 京都ほうがく繪かんがゑ」に焦点を当てた。派手さはないが、素朴で面白みのあるタッチで描かれる「判じ絵」は、主に当時の女性や子供の娯楽として楽しまれていた。文章を使わずに、答えとは無関係の同音の絵から、あるものを判じる「なぞ遊び」である。
「判じ絵」の明確な起源は、不明とされている。しかし、平安時代の和歌に多用されている掛詞は、同音異義語である二語の意味を巧みに重ねることで、和歌に広がりや深みを表現できる。貴族や武士たちが主役であった古典文学に、時を経て庶民的な要素が加わり、江戸時代の「判じ絵」で多用されている「しゃれ」へと通じていた。このように掛詞という和歌での「ことば遊び」が応用され、判じ絵の形成にも強く影響していることを第一章で確認した。「都名所絵方角かんがゑ」と「大しんぱん 京都ほうがく繪かんがゑ」は、それぞれ版元が違う判じ絵である。刊行年も不明である。二つの判じ絵のほとんどは判読されているが、いまだに未判読の絵も存在する。その未判読となっている絵の判読を試みる。同時に、版元が違う判じ絵の表現の相違点なども考察するものである。
・研究の方法
第二章、第三章では、二つの判じ絵の概要を明らかにし、その時代背景を確認した。未判読の判じ絵を判読するためには、判じ方のルールのようなものを理解しておかなくてはならないが、現時点では判じ方に関する明確なルールや指南書などは存在しない。しかし、判読済みの判じ絵の傾向から、決まり事が垣間見られる。加えて静岡市東海道広重美術館館長である岩崎均史氏が提唱している判読方法を参考にした。
第四章では、二つの判じ絵の表現の相違点を確認した。それぞれ、京都と近江のほぼ同じ範囲の地域を、表現の対象としていた。「上御霊」は、共通して表現されていたが、「裃」・「碁」・「龍」の三つの絵で構成されているという点も同じであった。また「円山」は、「丸」・「矢」・「魔」と「円」・「矢」・「魔」というように、構成されている絵の相違点などを明らかにした。そして、判読されている地名・寺社名を、地図上でも確認した。
第五章では、「都名所絵方角かんがゑ」で未判読となっている13か所、「大しんぱん 京都ほうがく繪かんがゑ」では4か所のなぞ絵を判読した。研究者が未判読にしていただけあって、難解な絵ばかりであったが、『京都府地名大辞典』(角川書店)や『京都市の地名』(平凡社)をはじめ、第四章で作成した地図を参照しながら、独自の判読を示すことが出来た。
・研究の結論
「都名所絵方角かんがゑ」と「大しんぱん 京都ほうがく繪かんがゑ」の未判読、合計17か所の地名・名所を示すことが出来た。また、それぞれ刊行年は不明とされているが、「大しんぱん 京都ほうがく繪かんがゑ」に関して、絵師の有楽斎長秀が得意とした人物表現が、この判じ絵ではなされていないことから、天保の改革の影響があったのではないかと考え、おおよその刊行年代の推測をすることが出来た。さらに江戸時代に刊行された京都の名所案内記『都名所図会』には描かれているが、この二つの判じ絵には描かれていない平等院や三室戸寺、蓮華王院三十三間堂、南禅寺など、われわれが今日、京都の定番名所と認識する寺院の判じ絵がないことを確認した。一方で、地図上でも確認出来ないような、あまりなじみのない地名(伊佐、西岡野など)の判じ絵が見られた。これらのなじみのない地名が、京都の人以外に周知されていたとは考えにくい為、この二つの判じ絵は、京都で生活をする人々を対象として作成されたのではないかと結論づけた。
佐々木 亜子【パネル展示論文】
和の伝統文化コース
このコースのその他作品