歴史遺産コース 小岩 寛和【学長賞】
研究対象は、江戸時代初期に牢屋奉行石出吉深によって著された紀行文『所歴日記』です。この紀行文、世にあまり知られていないですが作者の幅広い知識によって書かれた秀逸な紀行文と思います。
紀行文、江戸時代の知識人、和歌、『源氏物語』、連歌、平安の歌人、『伊勢物語』、歌枕、名所和歌集、パロディー、地誌的紀行文、『元亨釈書』、即興性、和泉式部、『太平記』、三国伝来阿弥陀仏、七十首を超える著者の詠歌、業平、抄物、鞍馬寺縁起。
これら一見して脈略のないキーワードをがらがらポンとしてみたら卒業研究論文になっていました。しかし、「なってしまいました」とは言いながら簡単な道のりではなかったです。翻刻された史料があると思いきや写本を翻刻することから始め、内容も和歌に関する記述が多く書かれており、その和歌を特定する作業も難航しました。
卒研レポート③の添削の最後に「非常におもしろかったです。完成を楽しみにしています。」の一言に、最終稿提出まで残り1か月の間に、章をまるごと削除するなどの改稿を11回重ねて、なんとか期限に間に合わせて提出しました。
毎晩、会社から帰宅して進めていた卒業研究が終わってしまい卒論ロスの日々です。
兵庫県
江戸初期の紀行文『所歴日記』の特徴について
― 著者 石出吉深の「まなざし」という視点から ―
『[所歴日記]』(国文学研究資料館所蔵)出典: 国書データベース,https://doi.org/10.20730/200017717
【要約】
江戸時代には旅が大衆化し、道中日記や紀行文などの旅の記録が多く残された。道中日記は、日付と訪問地や費用などの簡単な記録で、主に庶民よって書かれたものである。他方、紀行文とは和歌や俳句・故事などを織り込みながら、著者の感懐を記すものであり、著すには古歌や歴史などの知識が必要とされ、書き手は知識人に限られた。
くわえて紀行文は、十三世紀頃より公家たちを中心に著されてきており、その本質は和歌を詠むことであったといえる。近世になっても、この傾向は続いたと言われるが、江戸中期に紀行文の主流となったのは、貝原益軒を代表とする客観的・具体的・地誌的事実の観察記録であった。
近世旅行史の研究は、旅の記録をもとにルートの復元を行い、当時の旅の特性などを論じるものが主流であるが、本研究では、地誌的紀行文が数多く書かれるようになる十八世紀より少し前の紀行文『所歴日記』を取り上げ、ルート復元により旅の目的や特徴を論じるのではなく、テキスト分析を行い、「石出吉深の「まなざし」という視点から」という副題にあるように著者の興味関心を炙り出し、この紀行文の特徴を論じることを目指した。
研究の方法
『所歴日記』の著者は、隠居後に常軒と名乗ったが、幕府の役人である牢屋奉行であった石出吉深である。その吉深が寛文四年(1664)、五十歳の時、三月三日に江戸を出立し、伊勢神宮を参詣し、二十四日に京都到着した後、京都各地を見物、大和や河内を巡りながら、有馬温泉、明石まで足を伸ばし、閏五月八日、約三か月後に江戸に帰着している。その際の記録が『所歴日記』で、今回の研究の対象範囲は京都の滞在期間とした。
研究のプロセスとして、記述されている地名や寺社仏閣などをその記述内容をもとに「地理」・「見聞情報」・「寺社縁起や歴史」・「歌」の項目に分類した。合計で認識できた数は211カ所になるが、歌に関する記述をした名所が最も多く、次に寺社縁起や歴史に関する記述をした場所である。そして、それぞれの記述の内容を検証して、著者の興味関心の対象を探った。
記述内容の検証と評価 (1)地誌情報
第1に見えてきたのが、近世の知識人が著す紀行文の特徴として一般的とされる観察記録的な地誌としての特徴である。近世知識人は、書物などから得た情報をもとに、現地を訪れて場所を特定し、史料などに考証を加えて、情報の真偽などを確認する行動をとるようになった。吉深は特に歌に関して、場所を特定する行動をとっていた。また地形や位置関係に関する地理的記述や見聞情報を記すことは、地誌的事実の記録行動と言える。一方で、『太平記』、『元亨釈書』、『今昔物語』などの書物から訪れた場所の伝承記事などを数多く引用するが、記事に考証を加えて真偽を述べる記述は余り見ることができない。
知識人の考証的な行動は、十八世紀に入ると盛んになるが、『所歴日記』は十七世紀中頃に書かれていることから、地誌的な観察記録としての萌芽を記述にみることは出来るが、十八世紀の紀行文に見られる考証的行動の傾向は弱いと評価した。
記述内容の検証と評価(2)和歌
本日記で最も数が多い歌に関する記述の特徴は、吉深が自作の歌を掲載している点である。自ら詠作した歌は73首であるが、これは吉深が、江戸で出版された職業地誌で当世の優れた「歌読」と「連歌師」と記されるほどの人物であったことと関連している。
平安時代以来、紀行文の本質にあるのは歌枕と和歌である。それは近世に入っても変わらず、知識人は古歌に関心を持ち歌枕を巡る行動を続けたと言われ、それは吉深も同様であると先行研究でも指摘されている。歌枕とは、地名を詠みこんだ歌をもとに、後世の歌人たちが繰り返しその地名を詠むことで、ある情緒が固着した地名をいう。吉深の歌には、その歌枕に強い関心も窺える一方で、古歌のパロディーや戯言のような歌も多く見ることができ、歌枕とは無関係な歌も数多くあることが判明した。その点から、連歌という文芸の即興性や遊戯性を重要視されるという特性が、『所歴日記』に大きな影響を与えていることを明らかにした。
まとめ
これまで、石出吉深は知識人として評価され、『所歴日記』も近世知識人の書いた紀行文として論じられてきた。この点は、本稿でも大きな異論を持つものではない。一方で、吉深の詠歌とそこに関わる記述に注目し、連歌という視座で考察すると従来とは異なる特徴を見出すことができた。
旅の記録の研究は、複数の記録をもとにルートを復元し、ある特性を一般化することで進められてきた。しかし、ある著作を評価する際に、知識人という一面的な視点で捉えると、その著作の特徴を見誤る可能性がある。この『所歴日記』も単なる「紀行文」というよりも、近世知識人による地誌的な観察記録の要素を持つとともに、連歌という中世的な文芸的要素が著者吉深と本書の根底にはあり、そうした二面性を兼ね備えた「紀行文」であったと本論では評価した。
小岩 寛和【学長賞】
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