感情の循環系~物語の媒体としてのノベルゲーム~
アートライティングコース 大澤 孝之
同窓会賞
【概要】
・作品のタイトル
感情の循環系~物語の媒体としてのノベルゲーム~
・作品の簡潔な内容
本作は、コンピューターゲームのジャンルのひとつであるノベルゲーム(ビジュアルノベル、VN)がもたらす独自の面白さを「感情の循環系」という概念を軸に理論化する試みである。ノベルゲームはしばしば「読むだけ」「作業的」と評されがちだが、本稿ではそれを否定するのではなく、なぜそう見えうるのかを整理した上で、テキスト・演出・システムそしてプレイヤーの内面活動がどのように連動し、情緒的体験を生成しているのかを分析・考察を行う。
・意図と目的
ノベルゲームは、1990年代から2010年代半ばにかけて「美少女ゲーム」という形で大きな市場を築いた一方、現在ではフルプライス作品としての商業展開が難しく、ジャンルとしての衰退が語られることも多い。制作ツールの普及によって個人制作やインディーズ作品は増加し、盛り上がりを見せているが、その価値はしばしば「低コストで作れる」「プレイ性が低い」といった評価に回収されがちである。
本作の目的は、そうした評価の背後に隠れてきたノベルゲーム固有の魅力と立ち位置を「感情の循環系」という観点から再定義することにある。ノベルゲームがなぜ強い記憶や感情を残しうるのか、その体験構造を言語化することで「ノベルゲームのジャンルとしての面白さ」を紐解いていく。
・全体の章立て
はじめに
…本稿の問題意識と、「感情の循環系」という概念の導入。ノベルゲームが置かれてきた評価軸の整理。
第1章 感情の循環系の土台
…ノベルゲームの構造的特徴を整理し、静的な媒体でありながら内面的な動きを前提とする設計について論じる。
第2章 感情の循環系が駆動するプロセス
…プレイヤーの読み進め、選択、システムからのフィードバック、記憶の再編といった段階を通じて、感情の循環がどのように立ち上がり、深化していくのかを具体例とともに検討する。
結び
…以上の議論を踏まえ、ノベルゲームの面白さとは何かを改めて整理し、物語媒体としての本質的な魅力を提示する。
【本文】
はじめに
コンピューターゲームのジャンルにおいて、テキストを読み進めることに比重を置いた「ノベルゲーム(ビジュアルノベル、以下VN)」は、常に独特な立ち位置を占めてきた。イラストや背景CG、BGMや効果音、ボイスといったマルチメディア要素を備えながらも、アクション性や戦略性といった動的な操作をほとんど要求しないこの形式は、しばしば「プレイ性が低い」「作業的である」と評されてきた。
特にVN特有のマルチエンディング構造やCG回収要素は、近年では否定的に語られることが多い。全ルート制覇や達成率100%が目的化され、その過程で既読スキップや攻略情報の参照を行うことで、物語を読む行為そのものが効率化された「作業」へと変質してしまう。このような体験は、VNという形式が本質的に抱える欠点であるかのようにも見える。
しかし、VNとの最初の出会いを振り返ると、そこにはまったく異なる感触があった。私がVNを深く認知し、その世界に足を踏み入れるきっかけとなった『リトルバスターズ!』ではテキスト・イラスト・音楽・声優の演技が同期しながら提示される物語が単なる情報の連なりではなく、時間と感情を伴った体験として立ち上がっていた。選択肢を選び、同じ日常を何度も繰り返し、その果てに物語の核心へと近づいていく過程は、効率や達成率とは異なる次元の没入をもたらしていた。
そこでは、物語を「読んでいる」という感覚と同時に、物語の進行に「関与している」という実感が確かに存在していた。クリックによる読み進めや選択行為を通じて、出来事は単に提示されるものではなく、自分が立ち会い、引き受けたものとして記憶に刻まれていく。このような体験は、VNにおいて感情が一方向に消費されるのではなく、介入と応答、反復を通じて循環し、更新されていく構造が存在することを示唆している。
本稿では、このようなVNの体験構造を「感情の循環系」と呼び、このメディアがいかにして虚構の物語をプレイヤー自身の時間と感情を伴った体験へと変質させているのかを考察する。川上大典(2025)が提示した「感情のエコシステム」という視座を参照しつつも、本稿ではとりわけ、プレイヤーの介入行為とそれに応答するシステム演出、そして反復によって生じる記憶と解釈の変容に注目する。VN特有の構造が、感情を一方向に消費させるのではなく、循環的に更新していく仕組みをどのように成立させているのかを、『リトルバスターズ!』を中心とした具体的な体験の分析を通じて明らかにしていきたい。
1. 感情の循環系を支える構造
VNにおいて「感情の循環系」が成立する背景には、このジャンル特有の物理的・システム的構造が、プレイヤーを物語の外部に置かれた鑑賞者ではなく、内部に関与する当事者として位置づける設計として機能している点がある。本章では、VNがどのような構造によってプレイヤーの感情を受け止め、循環させるための「土台」を形成しているのかを整理する。
VNは、グラフィックやサウンドといったマルチメディア要素を統合して成立する点では、映像作品と共通する側面を持つ。しかし決定的に異なるのは、それらの情報が映画やアニメーションのように連続的に流れ続けるのではなく、きわめて断続的に提示される点にある。画面は基本的に静止画とテキストによって構成され、それぞれの情報間には必然的な「断絶」が存在する。
映像作品においては、カメラワークや編集によって時間や空間の連続性が埋められ、視聴者は与えられた流れに身を委ねることになる。それに対してVNでは、物語の進行がプレイヤーの操作に委ねられているため、情報と情報の間に「止まる」余地が常に残されている。プレイヤーはテキストを読み、画面を見つめ、次の一文へ進む前に思考を巡らせることができる。この構造的な停止可能性こそが、VNに特有の体験の質を形づくっている。
プレイヤーは、提示された断片的な情報をもとに、キャラクターの仕草や感情の揺れやその場の空気感を想像によって補完する。画面に描かれていない動作や沈黙、視線の動きまでもが、内面で再構築される。この能動的に「行間」を埋める行為が、物語世界に対する内的な関与を生み出し、虚構を個人的な体験として引き寄せる。VNの静的な構造は単なる制約ではなく、プレイヤーの想像力を前提とした設計なのだ。
しかし、VNは決して完全に静止したメディアではない。立ち絵や背景の切り替え、表情差分の変更、BGMや効果音といった演出要素は、テキストの進行と同期することで、物語に動的なリズムを与えている。ただし、この「動き」は映像作品における連続的な運動とは異なり、離散的な演出の切り替えによって構成されている。
この点において、VNの構造は映像よりも舞台芸術に近い性質を持つ。舞台では、役者の立ち位置や照明、音響の変化といった限られた要素が、観客の解釈によって時間や空間、心理状態として立ち上がる。すべてが写実的に示されるわけではないが、その制約こそが観客の想像力を喚起する。VNにおける立ち絵や音響演出も同様に、記号化された最小限の情報として提示され、プレイヤーの内面で意味づけられることで初めて機能する。
例えば、キャラクターの立ち絵が画面から消えるという演出は、単なる画像の非表示ではない。その場から立ち去った、あるいはシーン内の焦点から外れたという物語的な変化として知覚される。また同じBGMが異なる文脈で繰り返し用いられることで、楽曲そのものが過去の体験を想起させる追憶の装置として作用し、プレイヤーは以前のシーンで抱いた感情を現在のテキストに重ね合わせることになる。このようにVNの演出は、単発的な効果ではなく、プレイヤーの体験の蓄積と結びつくことで意味を変化させていく。
さらに重要なのは、これらの演出が常にプレイヤーの操作と結びついている点である。テキストを送り出すという最小限の入力行為によって、次の情報や演出が立ち上がる。この構造によって、画面上の出来事は「見せられたもの」ではなく、「自ら進めた結果として生じたもの」として受け取られる。演出は自動的に流れるのではなく、常にプレイヤーの介入を待って応答する。
このようにVNの静的構造と動的演出は、対立するものではなく、相互に補完し合いながら、プレイヤーの内面活動を前提とした体験を成立させている。情報の断絶が想像の余白を生み、演出の切り替えが感情の方向性を示し、それらが操作行為によって結びつく。この構造こそが、次章で論じる「感情の循環系」が駆動するための基盤となっているのである。
2. 感情の循環系が駆動するプロセス
前章で整理したように、VNは静的な構造と離散的な演出によって、プレイヤーの内面活動を前提とする媒体である。しかし、その構造が即座に情緒的体験へと結実するわけではない。そこにプレイヤー自身の心理変容を伴う動的なプロセスが重なったとき、はじめて「感情の循環系」は駆動を開始する。本章では、その循環がどのような段階を経て立ち上がり、深化していくのかを、具体的な作品体験とともに検討する。
2.1. 主体的な読み進めと「共時性」の獲得
循環系を始動させる最初のエンジンは、テキストを送り出すという最小限の操作行為である。VNにおいて、プレイヤーが介入しない限り物語の時間は一瞬たりとも進行しない。物語の進行権は常にプレイヤーの手元にあり、この点においてVNは映像作品と決定的に異なる時間構造を持つ。
この構造は、プレイヤーの身体的リズムと物語上の出来事を強く結びつける。たとえば『リトルバスターズ!』の序盤に描かれる他愛のない日常シーンでは、プレイヤーは比較的軽快なテンポでクリックを進める。一方で、キャラクターの心情が露わになる場面や不穏な違和感が滲む描写に差しかかると、自然と指は止まり、次の一文を読むまでの「間」が生じる。この間は演出によって強制されたものではなく、プレイヤー自身が生み出した時間である。
このようにプレイヤーの身体的リズムとキャラクターの心理的時間が重なり合う状態を本稿では「共時性」と呼ぶ。共時性が成立した瞬間、物語の出来事は「既に書かれた過去」ではなく、「今まさに立ち会っている出来事」として知覚される。これが、感情の循環系が回り始める最初のプロセスである。
2.2. 選択による介入と「責任」の発生
共時性によって物語世界の現在に立ち会う主体となったプレイヤーは、次に「選択」という形でより明確な介入を行う。VNにおける選択肢は、単なる物語を分岐させるためのスイッチではない。物語の結果に対する「責任」をプレイヤーに引き受けさせる仕組みとして機能している。
『リトルバスターズ!』において、どのヒロインの個別ルート(註1)に進むかは、それまでに積み重ねてきた選択の帰結として現れる。その選択肢は善悪や正誤に関わるものではなく、空き時間に何をするのかやどこに行くのかといったもので、プレイヤーは攻略情報を参照しない限り、その先にどのような展開や結末が待ち受けているかを正確には予測できない。
この不確実性の中で選択を行うことによって、たとえ望まぬ結末に辿り着いたとしても、それは「物語がそうなった」のではなく、「自分がそう選んだ」という実感を伴う。ロードやリプレイによって、望んだ結果を迎えさせることができるという事実があっても、一度見た結末は取り消されることなく記憶に残り続ける。この責任感こそが、物語を消費の対象から、プレイヤー自身が関与した出来事へと変質させ、感情の循環を次の段階へと押し進める。
2.3. システムによる「承認」とフィードバック
プレイヤーの介入が感情的な意味を持ち続けるためには、それに対する明確な応答が必要となる。VNにおいてその役割を担うのが、システムによるフィードバックである。周回によって新たな選択肢が解放される、未読部分が可視化される、あるいはUIや演出が変化するといった仕組みは、プレイヤーの行為が世界に影響を及ぼしたことを示す「承認」として機能する。この承認の本質は、物語への「アクセスの制限」とその解除にある。好きなページから読み始められる本や、シークバーで任意のシーンへ飛べる動画と異なり、VNでは特定のプロセスを経なければ、重要なスチル(イベントCG)や演出を目にすることはできない。スチルは単なる挿絵ではなく、膨大なテキストや苦渋の選択、あるいは繰り返される時間を経たプレイヤーへの「報酬」として提示される。この不自由な制限こそが、ようやく辿り着いたシーンでのカタルシスを倍増させ、VN独自の「体験の重み」を生み出しているのだ。
『リトルバスターズ!』では、ヒロイン6人の個別ルートをすべて経ることで、物語の真相が明らかになる「Refrain」というルートが解放される。この構造が特徴的なのは、真相そのものよりも、それに到達するために要求されるプロセスにある。Refrainは、単に隠された情報を閲覧させるための最終章ではなく、それまでにプレイヤーが費やしてきた時間と選択、反復された日常そのものを前提条件として立ち上がる物語である。
このルートの解放と同時に変化するタイトル画面は、物語内部の出来事にとどまらず、作品世界への入口というメタレベルの領域にまでプレイヤーの歩みが刻まれたことを示す演出として機能する。これは「物語を読み進めた結果」ではなく、「ここまで辿り着いたプレイヤーだけが見ることのできる風景」であり、システムがプレイヤーの経験を明確に記憶し、承認していることの可視化でもある。
このような承認を受け取ったとき、プレイヤーは自らの選択や反復が無駄ではなかったことを直感的に理解する。期待や喪失、停滞を含めた一連の感情は、ここで初めて正当化され、次の体験へと接続される。こうして感情の循環系は、単なる瞬間的な反応の連鎖を超え、蓄積と回収を伴う強固なサイクルとして完成を見るのである。
2.4. 記憶の再編と解釈の変容
感情の循環系が到達する最終段階は、プレイヤー自身の記憶の再編である。物語の全体像や真相を知った後に過去の場面を振り返ると、同じテキストや演出であっても、そこに見出される意味は初回体験時とは大きく異なるものになる。すべての物語に触れるためにリプレイが必要となるVNにおいては、この再解釈のプロセスが必然的に体験の中核へと組み込まれている。
『リトルバスターズ!』では、Refrainを経て世界の成り立ちとその終わりを知った後、物語前半の日常はもはや無邪気な時間としては読めなくなる。それは鈴と理樹に課された試練の場であり、あらかじめ終わりが定められた猶予の時間であることが明らかになるからだ。何気ない会話や繰り返される日々は、いずれ訪れる別れを内包した瞬間として知覚され、軽やかさと同時に切迫した感情を帯びる。
重要なのは、この変化が物語そのものの改変によって生じるのではないという点である。変わったのはプレイヤーの側であり、蓄積された記憶と感情が、過去の体験の意味を書き換えている。周回という反復行為を前提とするVNは、この記憶の更新を意図的に引き起こす装置であり、一見すると「作業」に見える再体験を、かけがえのない情緒的記憶へと反転させる力を持っているのである。
2.5. 選択肢の有無を超えて――例外と普遍性
以上の議論は主に分岐構造を持つ作品を対象としてきた。しかし、すべてのVNが明確な分岐構造を持つわけではない。選択肢の存在しない、あるいは極めて限定的な作品においても、強い情緒的体験が成立する例は数多く存在する。
たとえば『planetarian 〜ちいさなほしのゆめ〜』のような作品では、物語はほぼ一本道で進行し、プレイヤーにルート選択の自由は与えられない。それにもかかわらず、プレイヤーは語り手としての役割を与えられ、クリックを通じて物語の時間を進行させる主体であり続ける。ここでは選択による分岐の代わりに、「読み進めるか、立ち止まるか」という最小限の介入が、物語との関係性を支えている。
また、選択肢が存在しても、結果に明確な差異が生じないVNやソーシャルゲームのストーリーパートのように、どの選択肢を選んでも同一の展開へと収束する形式も広く見られる。このような構造はしばしば「意味のない選択」として批判の対象となるが、感情の循環系という観点から見れば、必ずしも無効化されるわけではない。
重要なのは結果の差分そのものではなく、プレイヤーが「判断を下し、選択肢のボタンを押す」という行為を要請されている点にある。この行為は、テキストをクリックして読み進めることと連続した物語時間への主体的介入であり、「自分はどの態度を取ったのか」「どの距離感を選んだのか」という意識をプレイヤーに発生させる。たとえ物語の帰結が同一であったとしても、その判断を一度引き受けたという事実は、体験の内部に痕跡として残る。
その結果として、共時性は弱いながらも維持され、限定的な責任感が生じ、キャラクターの反応や演出の差異といった最小限のフィードバックが意味を持ち始める。そして物語を読み終えた後には、「あの場面で自分はこう振る舞った」という記憶が、プレイヤー自身の体験として再編される。このように感情の循環系は、選択肢の有無や自由度に応じて強度を変化させながらも、なお成立しうるのである。
このことは「感情の循環系」が特定の作品にのみ見られる特殊な現象ではなく、VNというメディアが本質的に内包する体験構造であることを示している。プレイヤーの介入と、それに対する応答、そして記憶の更新が連なったとき、VNは単なる鑑賞物でも作業でもない、代替不可能な実体験として立ち現れるのである。
3. 結び――ノベルゲームの面白さとは何か
本稿では、ノベルゲームの体験をプレイヤーとシステムの相互作用によって成立する「感情の循環系」として捉え直してきた。一見すると制約が多く、作業的に見えるクリックや選択の反復は、実際には物語の時間を自ら引き受け、感情を主体的に蓄積していくための装置として機能している。ノベルゲームの面白さは、分岐数や自由度の多寡にあるのではなく、介入と応答、反復と再解釈が連なるこの循環構造そのものにある。
物語は単に提示されるものではなく、プレイヤーの行為を通じて経験として定着し、過去のプレイ時間・体験に新たな意味を付与していく。クリックという最小限の操作は、物語の進行に責任を発生させ、虚構を「見せられるもの」から「引き受けるもの」へと変質させる。このときノベルゲームは、鑑賞型の物語媒体とは異なる、能動的な内面体験の場として立ち上がる。
ノベルゲームの本質的な魅力とは、物語を消費させることではなく、プレイヤー自身の時間と感情を通じて物語を生き直させる点にある。本稿が示した「感情の循環系」という視点が、ノベルゲームという形式が持つ独特の手触りを少しでも共有できる言葉となっていたなら幸いだ。
【註・参考文献】
註
(註1)ルート:シナリオ分岐のあるゲームなどにおいて、プレイヤーの選択などによって決定される物語の進行経路のこと。特定のキャラクターに焦点を当てた「個別ルート」や、すべての条件を満たした後に到達できる「真ルート(トゥルーエンド)」などがある。
参考文献
文献・書籍
川上大典、『ビジュアルノベルゲーム文化論〜感情のエコシステムとその応用〜』、銀河企画、2025年。
東浩紀、『動物化するポストモダン オタクから見た日本社会』、講談社、2001年。
web資料
GAMER×GAMER、「【保存版】eスポーツ用語『ノベルゲーム』とはどんな意味?」、「ゲーマー’sポスト」、2022年10月20日公開、 https://gamer2.jp/post/novel-game/ (2025年11月25日最終閲覧)、
kamioka、「ノベルゲームの歴史」、「note」、2021年2月10日公開、https://note.com/trdd/n/ne0717d63385f (2025年11月25日最終閲覧)。
べるべる、「ビジュアルノベル、ノベルゲームが衰退と言われていることについて考察」、「note」、2024年2月15日公開。https://note.com/belzebal/n/nf7d47813e29c (2025年11月25日最終閲覧)。
参照作品
『リトルバスターズ!』Key、2007年。
リトルバスターズ!オフィシャルサイト、https://key.visualarts.gr.jp/product/little/site/index.htm (2026年1月13日最終閲覧)
『planetarian 〜ちいさなほしのゆめ〜』Key、2004年。
keyオフィシャルサイト planetarian 製品情報、
https://key.visualarts.gr.jp/product/planetarian/story/ (2026年1月13日最終閲覧)
これは筆者がスマートフォンアプリで制作したノベルゲームです。
大澤 孝之
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