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歴史遺産コース 富田 令子

 私は、薬師寺に近い町に暮らしている。奈良市史を読む課題がTRにあり、薬師寺と地域農村の結びつきを知った。それ以来、芸術的価値だけでない、地域にとっての薬師寺の歴史的存在価値に興味をもった。
 題目の救癩施設西山光明院は、「薬師寺」をキーワードにネット検索し、偶然見つけた昭和10年発表の論文に紹介されていた。江戸時代に存在し、近世の「癩者」の施設としても、勧進禁止令などによって廃絶するはずが大正5年まで継続したことでも、興味ある施設であった。施設と、それを管理した薬師寺、取り囲む村々との関係を知りたいと思ったが、史料を得ることは困難で、思い込みに近い推論で終わったようだ。
 更に、注目したかったのは、その論文に、「癩者」自らが書いた文章があったことだ。最初は、虚言であろう、実生活に即していないと、思うところが多かったが、丁寧に読んでみると、「癩者」当事者の思いが見えてきた。近世の終わりにまで生き残った施設が、近代にのこるための試行錯誤をしていたのだと考えるようになった。
 関連する事柄を、結論に関係なく、調べながら書いて行って、結論に至った。先生方に至らせて戴いたという方が、正しい。


救癩施設西山光明院について―幕末から終焉までー
奈良県

富田 令子

歴史遺産コース

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