恋する女には二つの顔がある!のかもしれない…

1月 25日, 2012年
カテゴリー : 過去の公演 

ご無沙汰しております。
最近、よく舞鶴に通っておりますツチヤです。
昨日の舞鶴は大雪警報が出てましたね。舞鶴の仲間たちが心配です…
と思ってツイッターを覗いてみると皆さん元気に雪かきをしているようでした。
よかった、よかった。
今はモバイルという便利な機械のお陰で離れた人や会いたくても会えない人の状況が逐一わかります。便利な世の中!

しかしどこでも仕事が出来てしまうのはちょっと困りものです。
皆様も働きすぎにはご注意くださいませ。

さて、今日は毎年恒例&大好評の2/18「春秋座―能と狂言―」の演目を私なりにご紹介していきたいと思います。

本日は、能「葵上」。これは、言わずと知れた「源氏物語」の葵巻のものがたり。

「源氏物語」は最近映画でも上映され話題でした。また、学校でも必ず習いますので、もはや日本で知らない方はいないと言っても過言ではありません。
かくゆう私はその「源氏物語」が苦手で、いまだに全文を読む気にはなりません…光源氏がどれだけ素敵でも文学的に優れていると言われても、やはり男性には一人の女性を愛していてほしいという乙女心でしょうか。

しかし、この能「葵上」はそんな私に「源氏物語」を買わせてしまうくらい魅力的な作品。

まだまだ能や狂言に関しては恥ずかしながら勉強不足な私ですが、当センター所長で演出家、今回は企画・監修をつとめる渡邊先生のお話を伺いその魅力を知りました。
その時のお言葉を借りながら少しご紹介したいと思います。

この作品は、渡邊先生がチラシにも書かれているように「能作術の原点でもあり精髄でもある舞台」。当時、それまで怨霊(死のようなもの)をイメージで舞台にあらわすことはなく、能が始めて仮面劇として創造したのだそうです。
さらに、「葵上」というタイトルですが、葵上は登場しません。六条御息所の、葵上に対する嫉妬が主題だからです。しかし嫉妬の相手である葵上が舞台上にいないと成り立たないため、舞台中央に置かれた小袖で表現されます。
これぞ、能の演出の凄さ!

そしてシテの六条御息所の面は、まず前半、「泥眼」の面。眼と歯が金色に塗られています。この面は生霊にぴったりの面だそうですが、視線の向け方で表情が様々にみえてくるようです。
うって変わって後シテ(後半)は、祈祷によって「般若」の面をつけた鬼の姿で登場します。この姿は渡邊先生曰く、「自分の怨念で“鬼”になってしまった“女”の悲しみがあり、単に“鬼”ではなく“女”なのだと感じる」と。
また、「良い面は怨霊の色気のようなものがある」そうです。

前半の面と後半の面は、対極な表情を浮かべますが、しかしその内面には常に、恋に苦しみ高貴な女性の誇りを捨ててしまった悲しみを孕み、それが能の調べにのってこちらに近づいてくる姿に息を呑んでしまいます。

よく聞く事ですが、女性は三角関係にあってしまったとき、相手の女性を責め殺してしまうことはあっても絶対に男性を殺すことはないそうです。
女性はやはり情熱的な生き物でそれは大昔から変わらないようです。

そういえば、今回は春秋座で行いますので六条御息所が皆様の客席に伸びた花道を通るかもしれません。

女性の皆さん、アナタの目には六条御息所がどんな風に映るでしょうか。

ところで、今の様に読み書きのできる人が少ない室町の時代、能の舞台を観て「源氏物語」を知る人がほとんどだったようです。

紫式部は本当に感謝をしていることでしょう。
今日も私という新しい読者を増やしましたからね。

では、次回は狂言「末広かり」の紹介ができればと思います。
お楽しみに~

ツチヤ