『ダンス!ダンス!ダンス』

3月 01日, 2015年
カテゴリー : プロデューサー目線 

春の訪れを待つこの頃、瓜生山では「ダンス!ダンス!ダンス!」の季節が始まっています。
まずは、『ダンスゼミ&ラボvol.3』 :studio21(2月26日〜3月7日)
2月26日から始まった[ダンスゼミ&ラボvol.3/3]にはオーデイションで選ばれた9名のダンサーが、すでに座学を終えて、MAMAZAの3人のダンサーによるワークショップがスタートしています。MAMAZAはフォーサイスダンスカンパニーのダンサーでありながら、3人で独自のユニットを作り、コミュニケーションを重視した作品を発表してきています。
様々なからだの使い方から、空間を意識した動き、コミュニケーションの新鮮な発見に受講生が汗を流しています。また、3月4日からは学内のstudio21での公開講座があり、ゲストの吉岡洋氏(美学)、金氏徹平氏(現代美術)が、MAMAZAや受講生と対話をします。
最終日の3月7日は、この間の時間がどのような形で参加者に届いたか、studio21で公開プレゼンテーションをいたします。この成果を是非皆さんに、立ち会っていただけたらと思います。

 『白井剛×キム・ソンヨン×荒木経惟』:春秋座(3月22日15:00〜)
研究センターでは、日本のコンテンポラリーダンサー白井剛さんと、韓国を拠点に世界で活躍するダンサー、キム・ソンヨンさんのコラボレーション作品の創作を2年がかりで企画してきました。幾度かのワーキングプログレスを経て本年9月に行われる本公演に向け、稽古が佳境に入りました。
昨年、写真家、荒木経惟さんの写真展でエネルギー溢れる、新作作品と出会い大きな衝撃を受けた二人。二人の熱心なアプローチで荒木さんとのコラボレーションが決まりました。この春、ポスターの写真撮りも始まります。
荒木さんのダイナミックな世界と二人のダンスがどう出会っていくか、
実験の過程をごらんいただけたらと思います。

さらに、3月29日『LIVE BONE』:春秋座(14:00〜)
NHK教育テレビ「からだであそぼ」から生まれた、ダンスの森山開次さん、衣裳・美術のひびのこずえさん、音楽の川瀬浩介さんが強力なタッグを組んだ作品『LIVE BONE』 。一般公募のオーデイションで選抜された個性豊かな“こどもBOZEズ京都”とともに楽しくもダイナミックな舞台が展開されます。
どうぞ、お家族揃っておでかけくださいませ。
さて、4月に入って
4月25日『今晩は荒れ模様』:春秋座(15:00〜)
笠井叡の新作『今晩は荒れ模様』はそれぞれのスタイルで活躍する6名の女性ダンサー/コレオグラファー(上村なおか・黒田育世・白河直子・寺田みさこ・森下真樹・山田せつ子)が、笠井叡の振付けを踊るというもの。まさしく凄まじい風が舞台に荒れ狂うでしょう。このような機会は二度とないかもしれません。どうぞお見逃しなく。
多様なダンスの世界を繰り広げることが、ダンスを更に面白くしていくことになると思います。これからもこのような機会をできるだけ作り出していこうと思っています。
皆様、京都の街のはずれではありますが、春秋座、studio21にどうぞおでかけくださいませ。

山田せつ子(ダンサー・コレオグラファー/京都造形芸術大学 舞台芸術研究センター 主任研究員)

陽春を彩る公演が続々

2月 01日, 2015年
カテゴリー : プロデューサー目線 

早いものであっという間に今年もひと月経ちました。
今月から春秋座は公演の発売ラッシュに入ります。というのも5~6月に社会普及系公演が立て込んでおり、チケットセンターならびに関係者の皆さまには労力をおかけし申し訳ないことです。
まず次年度公演の一番手は、5月16日に行われる藤間勘十郎文芸シリーズ其の壱「桜の森の満開の下。構成演出の日本舞踊藤間流八世宗家・藤間勘十郎が、坂口安吾の文芸作を古典芸能の要素を取り入れ邦楽舞踊劇に仕立てました。おどろおどろした内容でありながら独特の美学が漂い、不思議な透明感がある世界に異分野で活躍するアーティストたちが挑みます。ミュージカル「モーツァルト!」でタイトルロールを務め、蜷川幸雄作品やライブコンサートなどで躍進中の中川晃教に、十二代目市川團十郎の長女で十一代目市川海老蔵を兄に持つ舞踊家の市川ぼたんと、マイム俳優で、あのマルセル・マルソーに師事した兵庫県出身の いいむろなおき に、最近追っかけファンが急増中のカリスマ現代舞踊家の花園直道ら、バラエティーに富んだ出演陣が縦横無尽に舞台を勇躍します。
次は、翌週5月23日に加藤登紀子さんがまたやって来ます。昨年、初お目見えの登紀子さんは春秋座のために「モノオペラ─ピアフの生きた時代─を語り歌う」と題して、彼女が長年温めてきたシャンソンの女王・エディット・ピアフの半生をドラマ仕立てに語りながら歌い上げました。これが大好評で大きな反響を呼び、この度の再登場となりました。今回は彼女の集大成です。歌手生活50周年を記念して膨大なレパートリーの中から選りすぐりの名曲がずらりと並びました。ファンには堪えられないスペシャルコンサートがなんと春秋座で繰り広げられるのです。
続いて6月のトップを飾るのは、6日の「桂米團治 春秋座特別公演」。1部は上方落語の真髄をたっぷりと口演し、中入り後の2部は、昨年の「おぺらくご」が好評につき今年も第二弾をおおくりします。“モーツァルトの生まれ変わり”を自認する米團治さんが、前回の「フィガロの結婚」に続き今回は歌劇「ドン・ジョヴァンニ」に挑戦する。米團治さんほかソプラノ、メゾソプラノ、テナーを受け持つ3人のオペラ歌手の出演と、京都フィルハーモニー室内合奏団の生演奏に、それと春秋座の歌舞伎様式をふんだんに駆使して「おぺらくご」を贅沢に構築します。はたして、女性を手当たり次第口説きまくる放蕩者ドン・ジョヴァンニの最後はいかに、壮絶のラストシーンは大いに見ものです。今年も上方落語と「おぺらくご」と盛りだくさんの内容で、若旦那の特別公演をどうぞ満喫してください。

舘野 佳嗣
(舞台芸術研究センター プロデューサー)

「春秋座 能と狂言」と観世銕之丞家

1月 01日, 2015年
カテゴリー : プロデューサー目線 

あけましておめでとうございます。
京都芸術劇場は、ことしも「大学の劇場」として、質の高い舞台を提供してゆきます。

ことしは、まず、春秋座恒例となった渡邊守章企画・監修「春秋座 能と狂言が1月31日に催されます。平成21年以来の企画ですから、これで6回目になります。この企画は春秋座というプロセニアム舞台で上演される「劇場能」としても、すっかり定着した感がありますが、演目は能が観世銕之丞氏の『山姥』、狂言は野村万作、萬斎氏の『木六駄』で、これも初回以来の顔ぶれです。『山姥』や『木六駄』については、当日のプレト-ク(渡邊守章・天野文雄)にゆずり、ここでは、今回もご出演いただく観世銕之丞氏あるいは観世銕之丞家と春秋座との縁について、すこしばかりお話しすることにします。
観世銕之丞氏は、いまから250年ほども昔の宝暦(1751~63)頃、将軍家重の時代に、幕府から観世大夫家の分家として認められた観世銕之丞家の九世です。初世は観世織部清尚、以下、②織部清興-③織部清宣-④銕之丞清済-⑤銕之丞清永-⑥銕之丞華雪-⑦銕之丞雅雪-⑧銕之丞静雪と続いて、現銕之丞氏にいたります。初世清尚は14世観世大夫清親の次男で、兄は観世流の能の詞章全体に改訂を施した明和改正謡本の刊行で知られる15世観世大夫元章です。それまで、幕府お抱えの五座のうち、分家が認められていたのは金春座だけでしたから、これはかなり破格の処遇だったといえます(現在、シテ方で観世を名乗る家には、観世宗家―かつての観世大夫家―、観世銕之丞家、観世喜之家がありますが、喜之家は明治に入ってから銕之丞家の分家となった家です)。以上の歴代のうち、初世と3世は、銕之丞家の当主から観世大夫家に入り、それぞれ17世、19世を継承していますが、銕之丞家はそのような家格の家なのです。
現銕之丞氏の先代は、銕之丞を名乗る前は「静夫」として知られた役者です(「静雪」は没後の追号です)。この静夫の長兄が寿夫、次兄が栄夫で、いまとなっては懐かしい、いわゆる「観世三兄弟」です。長兄の寿夫は「世阿弥の再来」とまでいわれた名手で、「冥の会」などで能以外の演劇人-守章先生や静夫氏もその1人です。「冥の会」には野村万作氏も参加されていました-とも交流をもった役者でしたが、昭和53年に53歳の若さで亡くなりました。次兄の栄夫は、喜多流の芸風にあこがれて、同流の後藤得三(喜多流家元の喜多実の実弟)の養子となり、その後、観世姓に戻って、演劇界や映画界で活躍したあと、ふたたび能界に復帰するという波乱に満ちた生涯を送った役者で、渡邊守章先生とも昭和30年代以来の親交がありました。栄夫氏はまた、京都造形芸術大学の教授も長く務め、瓜生山に立つ楽心荘能舞台は、昨年逝去された徳山詳直前理事長が栄夫氏の協力のもと建造されたと聞いています。
こうして、3兄弟の末弟である静夫氏が銕之丞家八世を継いだわけですが、筆者は平成12年に逝去された静夫氏の舞台には数多く接しています。静夫氏の舞台は、腰のすわったカマエや技の切れが抜群で、あのような役者は現在の能界にはもういないように思います。とりわけ、静夫氏の芯のある、やや哀愁を帯びた謡は魅力的でしたが、それは現銕之丞氏にも継承されています。その銕之丞氏は、あらためていうまでもないことですが、本学の教授でもある京舞井上流5世井上八千代氏の夫君であり、本学舞台芸術学科出身の井上安寿子さんの父でもあります。
以上で、渡邊守章企画・監修「春秋座 能と狂言」が初回から能のシテを観世銕之丞氏にお願いしているわけもお分かりいただけたと思います。かく言う筆者も、銕之丞氏とはいろいろな場所でお会いしていますが、1年前までは、このように春秋座でごいっしょになるとは、夢にも思っていませんでした。寿夫氏とは面識はありませんでしたが、栄夫氏、静夫氏とは何度かお話しする機会もありましたので、これが縁というものかと思っているところです。なお、銕之丞氏の能に向き合う姿勢、父静夫、伯父寿夫、栄夫のことなどについては、『舞台芸術』17号の守章先生との対談で語られていますし、破天荒な栄夫氏の生涯については、これも『舞台芸術』の創刊号から10回ほどにわたって、みずから詳しく語っておられますので、関心のある向きはお読みください。

天野文雄
(舞台芸術研究センタ-所長)

オペラ「椿姫」の稽古を見てきました。

12月 01日, 2014年
カテゴリー : プロデューサー目線 

11月16日、オペラ「椿姫」の音楽稽古を聴きに東京へ行ってきました。この日は、松下京介さん指揮のもと、ヴィオレッタ役の川越塔子さんとジェルモン役の黒田博さんお二人だけの稽古でした。本番は川越さんが片桐直樹さんと、黒田さんが江口二美さんとのコンビになるため、お客様にはお目にかかれない組み合わせでした。それでも、厳格な父親とその息子を愛してしまった高級娼婦とのバトルは迫力満点でした。徐々にヴィオレッタの真剣さに気づいていくジェルモン。父親の家族に対する愛情に身を引くことを決心するヴィオレッタ。川越さんは繊細な表現力でその心情を歌い上げ、黒田さんは深みのある声で父親の威厳とヴィオレッタへのいたわりを演じていました。江口さんと片桐さんの組み合わせが聴けないのは残念でしたが、逆に期待感が高まりました。
アルフレード役の清原邦仁さん、松本薫平さんを含め「凄いキャストを良く集めましたね」と京都ヴェルディ協会の幹部に褒められたのをはじめ、何人かの評論家も認めてくれている今回のキャストは、皆様の期待を裏切らない舞台を見せてくれることでしょう。

11月26日はアンサンブルの方たちの立ち稽古初日を大阪で見てきました。
指揮の松下京介さん、演出の三浦安浩さん、そして公演監督の松山郁雄さんが東京から駆けつけての稽古でしたが、皆さん大変明るく、積極的に役作りをしていました。元気な関西を象徴するような活気は本番が楽しみです。脇を固めてくれているソリストも、レベルの高い人が揃っていました。
春秋座の回り舞台を使った三浦さんの演出やエレクトーンと生の弦楽器との調和を実現し、新しいサウンドを目指す松下さんの指揮も斬新です。また、舞台美術デザイナーの第一人者、石井みつるさんによる、お金を掛けずにアイディアで勝負する美術にも注目です。

オペラ「椿姫」はいよいよ今月の20日(土)、21日〔日〕に迫りました。1万円未満で感動していただけるこのオペラを、どうぞお見逃しなく!

橘市郎(舞台芸術研究センター 顧問プロデユーサー)

バラエティーに富んだ3公演

11月 01日, 2014年
カテゴリー : プロデューサー目線, 過去の公演 

涼風真世さんは宝塚歴代スターの中でもトップクラスに入る歌唱力の持ち主である。実に歌がうまい。それでいて、愛らしい容姿で「ベルばら」のオスカルなど本当にカッコイイのである。1990年、涼風さんが月組のトップに就任して2年後、ミュージカル「PUCK(パック)」が大ヒットした。シェイクスピアの「真夏の夜の夢」がベースで、いたずら好きな森の妖精パックを主人公にした物語。この作品、今やミュージカル界の巨匠と言われる脚本・演出家、小池修一郎氏が、なんと涼風さんのために作ったもので、主題歌の「ミッドサマー・イヴ」はユーミンこと松任谷由美が作曲という贅沢なミュージカル。まさにフェアリーな妖精役がぴったりの涼風さんはファンの心をしっかり捉え、それ以降、幾度も再演の声があがるも彼女以外のパックは現れなかった。だがついに、今年20149月宝塚大劇場にて、涼風さんと同じ月組トップスター龍真咲さんで「PUCK」の再演が行われた。実に涼風さんが宝塚を退団して21年ぶりである。そんな思い出深い大切なナンバーをこの度披露してくれる。楽しみである。彼女の退団公演の千穐楽に組長が「歌の妖精は、静かに森へ帰っていきます」と贈った言葉が今でも語り継がれている。退団後はご存じのごとく、「エリザベート」や「モーツァルト!」「マリー・アントワネット」など数々のミュージカルの主役を務めファンを魅了してきた。今回はこれら珠玉のナンバーをクラシックからミュージカルまで何でもこなす井村誠貴指揮に、京都フィルハーモニー室内合奏団のフルメンバーの演奏で豪華絢爛のコンサートを繰り広げる。

フェアリーな妖精は様々な森を巡り、いよいよ111日、瓜生山の森にやってくる。

 

そして、師走の初頭を飾るのが「グレゴリオ聖歌&真言宗声明」公演。イタリア、ミラノのシンボルであるミラノ大聖堂の聖歌隊と日本の宗教音楽、声明との共演です。2012年春に真言宗声明団体側からグレゴリオ聖歌との話が持ち上がり、ヨーロッパで伝統を誇る一流のミラノ大聖堂聖歌隊との招聘公演が実現した。聖歌隊は日常的に大聖堂でのミサに参加しているため、非常に限られた期間のみの来日となるので今回は大変貴重な公演と言える。ぜひこの機会を見逃すわけにはいかない。頭上からゆっくり降り注ぐグレゴリオ聖歌の歌声と、地面を這うようにじわじわと持ち上がる声明。この2つの旋律が重なり合うときに不思議な感覚と心地よさを覚える。この東洋と西洋の祈りが融合する崇高なひとときを体感せずにはいられない。春秋座が魂を揺り動かす荘厳な響きに包まれる。

 

続く127は、太鼓芸能集団「鼓童」公演坂東玉三郎が芸術監督に就かれてからは、繊細かつ躍動感溢れる演奏にさらに磨きが掛かり、構成・演出面でも飛躍的な成長を遂げている。一年の三分の一を海外公演、あとの三分の一を本拠地佐渡で、残り三分の一を日本全国で公演。その全国ツアーのメインを成す「ワン・アース・ツアー」とは別動隊の交流公演を、この度「春秋座交流公演」として上演する。1部は演奏に加え、様々な楽器やプレイヤーの紹介を行い、よりお客さまと身近に接して太鼓の魅力を伝える。2部は太鼓本来の原点に帰り、「三宅」や「屋台囃子」に加え、「ワン・アース・ツアー」でもめったに演奏されない「LION」という珍しい曲を披露する。岩手県奥州市に伝わる伝統的な獅子踊りを基に鼓童独自のアレンジを加えた、躍動感と生命感に溢れるこの曲は必聴必見です。

舘野 佳嗣
(舞台芸術研究センター プロデューサー)

 

KYOTO EXPERIMENT(京都国際舞台芸術祭)2014 開幕!

10月 01日, 2014年
カテゴリー : プロデューサー目線 

KYOTO EXPERIMENT(京都国際舞台芸術祭)2014――初秋の京都を彩る舞台芸術の祭典として、すっかり定着したこのイベントが、先週27日から、いよいよ開幕しました。今年は、公式プログラム11本に加えて、プリンジプログラムやオープンエントリー作品、関連企画なども合わせると、実に50本に迫る演目が、10月19日(日)まで、京都市内の各所で見ることができます。まさに観劇シーズンの到来、といったところでしょうか。

もちろん、できることならすべての演目を見ていただきたいと願いつつ、ここでは、とくに
京都芸術劇場・春秋座で開催される二つのプログラムをご紹介したいと思います。

まずは、10月11日(土)、12日(日)の両日に上演される、木ノ下歌舞伎『三人吉三』です。京都造形芸術大学出身者で頑張っているのは、終わったばかりの朝ドラ女優・黒木華さんだけではありません。木ノ下裕一、杉原邦生が中心となって、「歌舞伎の現代化」をテーマに活動している「木ノ下歌舞伎」は、昨年は初の海外公演(チリ)も実現し、数か月後には国内で最も大きな国際舞台芸術祭のひとつである「フェスティバル/トーキョー」の公式プログラムとして、6時間半におよぶ「東海道四谷怪談」通し上演を披露し、注目を集めました。今回は、河竹黙阿弥の原作を、4時間半の作品に仕上げ、京都の観客に供します。流麗な七五調で名高い黙阿弥の名作が、はたしてどんな新しい姿に生まれ変わるのか、興味は尽きません。

さて、次はその翌週、10月18日(土)、19日(日)に上演される、劇団地点の『光のない。』です。一昨年の「フェスティバル/トーキョー」で世界初演された本作のテキストは、オーストリアのノーベル賞劇作家エルフリーデ・イェリネクが、2011年の福島第一原発事故の一年後に、まさにフクシマをテーマに書き下ろした型破りの戯曲です。たんなる政治的な告発ではなく、そこには原子力やエネルギーをめぐるさまざまな断片的イメージが渦を巻き、次々に観客の心身に押し寄せてきます。地点の演出家・三浦基は、現代音楽の代表的な作曲家・三輪眞弘とタッグを組み、この〈渦〉を、風変わりな「オペラ」調に仕上げました。舞台美術は、建築家の木津潤平で、おそらく今年のKYOTO EXPERIMENTの数あるプログラムのなかでも、必見の仕事のひとつであるといって過言ではないでしょう。北白川にアトリエ劇場「アンダースロー」を立ち上げ、チェーホフやブレヒトなどを、きわめて刺激的な実験劇に仕立て直して高い評価を受けているこの劇団が、今回はそうした小劇場サイズとは真逆の、文字通りの超大作にチャレンジしています!

以上、二作品は、原作を書店で手に入れることもできますから、「読書の秋」との両立も可能。京都を拠点とするこの二つのカンパニーの大胆な挑戦を、ぜひともライヴで目撃してください。みなさまのお越しを、心からお待ち申し上げています。

森山直人
京都造形芸術大学舞台芸術学科教授、同舞台芸術研究センター主任研究員
KYOTO EXPERIMENT2014実行委員長

澤瀉屋所縁の歌舞伎と落語

9月 01日, 2014年
カテゴリー : プロデューサー目線, 過去の公演 

9月は古典芸能が2公演。まずは「松竹大歌舞伎」で、我らが芸術監督・市川猿之助さんがやってきます。猿之助さんは朗読劇や舞踊公演、伝統芸能チャリティー公演など、四代目を襲名されてからもしばしば春秋座に出演していますが、この度、四代目猿之助として本格歌舞伎の舞台に立つのは初めてなのです。大都市公演の後、地方巡演2コースを巡り、いよいよ残りの西コース縦断で、2年にわたる四代目襲名披露はいよいよ最終です。演目は猿之助十八番の「義経千本桜」。そして、もう1つ楽しみなのが市川中車さんの春秋座初登場です。2年前、新橋演舞場初舞台から持ち役となった「小栗栖の長兵衛」を演じます。この演目は初代市川猿翁、中車さんの曽祖父によって大正9年に初演された、澤瀉屋にとって所縁の深い作品です。さて今回「義経千本桜」で猿之助さんが宙乗りを行うことが決まりました。元来この演目の「川連法眼館の場」通称「四の切」では定番なのですが、この度の西コース21箇所の会館には宙乗り機構がないので、行わない演出に変えてあります。しかしながら、他所の公共ホールとは違い、当劇場は先代の猿之助(現・猿翁)さんが設計・監修した歌舞伎劇場なので、当然その機構を備えております。ましてや、当代猿之助芸術監督の小屋で定番の形で上演できないわけにはいきません。充分に機構の点検を行い、万全を期して当日に臨みます。親の温もりを感じる初音の鼓を得て、狂喜しながら古巣へ帰っていく源九郎狐が、24日、春秋座の宙を舞います。実は、猿之助さんは亀治郎時代、自身の会「瓜生山歌舞伎」での舞踊「松廼羽衣」で1度飛んでいます。ご覧になった方も多いかと思います。元来宙乗りは行われない踊りなのですが、まさに天上へ帰っていく天女を見事に宙乗り演出で見せてくれました。それが20067月。今回8年ぶりとなる記念すべき大宙乗りを大いにお楽しみ下さい。

それと今月はもう1つ、落語を行います。「桂米團治 春秋座特別公演」。落語公演としないところに実はこだわりがあります。2部構成で、1部はもちろん上方落語の真髄を口演しますが、2部はオペラと落語を合体させた「おぺらくご」を上演します。落語のみならずクラシックに造詣が深く、特にモーツァルトの生まれ変わりと自認する米團治師匠が、3時間の歌劇「フィガロの結婚」を30分に短縮し、見事にオペラを上方落語に転化させます。今回の特別バージョンでは、京フィルの編成を12名に増やし、オペラ歌手2名も参加します。これほどのこだわりに加え、実は、米團治師匠には澤瀉屋と所縁があり、本公演にも影響を及ぼしています。

先代の猿之助さんが南座で「猿之助のすべて」と題して、「義経千本桜」はもとより「ヤマトタケル」「コックドール」などの名場面を集めた画期的な公演に、なんと米團治師匠が小米朝時代の頃に司会解説役で出演しているのです。19879月、今から27年前のこと。その縁に想いを巡らし、今回、先代猿之助さんが設計し、現・四代目が芸術監督を務める春秋座で行うからには、花道、廻り舞台、大臣囲いといった歌舞伎様式にもこだわっていきます。

そもそも歌舞伎と落語は江戸時代に流行った芸能として共通点が多く、実はオペラも東西の文化こそ違えどやはり同時代に栄えた歌舞音曲です。落語×オペラ×歌舞伎様式が合体し、普段の落語会では味わえない一味も二味もちがう“米團治の世界”をとくとご覧いただきたい。

舘野 佳嗣
(舞台芸術研究センター プロデューサー)

世阿弥に学ぶ -連続レクチャ-「世阿弥の芸論にみる舞台芸術論」に寄せて-

8月 01日, 2014年
カテゴリー : プロデューサー目線 

世阿弥が遺した芸論とも能楽論とも呼ばれる演劇論は、この21世紀初頭の現代にあっては、その存在はともかく、その内容については、ほとんど知られていないと言っても過言ではないと思います。私は昨年の10月から今年の3月まで、『京都新聞』朝刊の「古典に親しむ」欄に、「世阿弥に学ぶ」と題して、つごう26回にわたって、世阿弥が遺した21の芸論から選んだ一節を紹介していますが、予想外に多くあった反応のうち、もっとも印象的だったのは、世阿弥という名前は知られてはいるが、彼が執筆した芸論の内容はほとんど知られていない、ということでした。そのときにとりあげたのは、『風姿花伝』『花鏡』『至花道』『三道』『九位』『遊楽習道風見』『夢跡一紙』、それに配流先の佐渡から女婿の金春大夫氏信(禅竹)に宛てた書状の8点でしたが、世阿弥が『風姿花伝』以外にこれだけ多くの、しかも高度な芸論を書いていたことが、読者には驚きだったようです。世阿弥といえば『風姿花伝』という固定観念が圧倒的に強いのです。『花鏡』の「初心忘るべからず」を紹介したときは、この言葉は『風姿花伝』にあるものと思っていた、という反応もありました。世阿弥がいう「初心」には、「是非の初心」「時々の初心」「老後の初心」の3種があって、その「初心」も一般に理解されているような「初々しさ」という意味ではないと書いたのも、読者には衝撃だったようです。そもそも、上にあげた『花鏡』以下の芸論は、その書名にはじめて接したという読者も多かったのではないでしょうか。著名な『風姿花伝』にしても、実際に読んだことのある人は僅少といってよいでしょう。
以上は、あくまでも一般読書人あるいは能楽愛好者の状況ですが、ことは能もふくめた舞台芸術関係者においても同様のようです。しかし、舞台芸術関係者として、この膨大にして高度な舞台芸術論をほおっておく手はないと思います。そこに展開されているのは、能芸美論、習道(稽古)論、観客論、能作論、芸位論、音曲論と多岐にわたっており、現代の舞台芸術にとっても参考になることが少なくないからです。たとえば、私はこの連続レクチャ-「世阿弥の芸論にみる舞台芸術論」の第1回では、「観客論」を中心にお話しする予定ですが、劇作家の山崎正和氏は、昭和44年の「変身の美学-世阿弥の芸術論-」の冒頭において、まず、観客を「こちらから問い返すことのできない絶対の審判者の群」だとして、演劇という世界にのしかかっている巨大な影だとしています。もちろん、それは世阿弥がいかに観客というものを意識していたかということなのですが、世阿弥の強烈な観客意識は、当然、現代の俳優と観客とのかかわりを、さらには現代の舞台芸術と観客の関係についても考えをおよぼすことになるはずです。
話を『京都新聞』にもどすと、連載が『風姿花伝』から『花鏡』に移ったとき、『花鏡』は何を見れば読めるのかという問い合わせが新聞社にあったそうです。世阿弥の芸論は知られてはいませんが、その内容に強い関心を持っている人は少なくないようです。そういう方々にも、ぜひ、8月21日から始まる『世阿弥の芸論にみる舞台芸術論』(計3回)に参加していただきたいと思っています。

天野文雄
(舞台芸術研究センタ-所長)

不朽の名作「王様と私」に触れるまたとない機会

7月 01日, 2014年
カテゴリー : プロデューサー目線, 過去の公演 

白馬に跨り颯爽と現れし暴れん坊将軍こと八代将軍徳川吉宗。その人は皆さんご存知の松平健である。そのマツケンが何と今月春秋座に登場する。ブロードウェイ・ミュージカルの名作「王様と私」で、チョンマゲに殿様ならぬスキンヘッドに上半身裸の王様となってやってくるのだ。「王様」といえば58年も昔になるが、アカデミー賞を総なめした映画のユル・ブリンナーが有名である。
そもそも、時代劇の将軍として定着している健さんが、ミュージカル「王様と私」に出演したのが当時34歳のころで、この出演経験がもとに、初めてミュージカルに関心を抱いたという。それ以来、頻繁にブロードウェイやラスベガスに足を運んで、ミュージカルやレビューショーを学んだ。その表れが舞台に反映され、「マツケン」のショーにも独特の感性が取り入られ、人々に共感をもって受け入れられている。その松平健主演「王様と私」の初演は、1988年9月、東京宝塚劇場で行われ、好評につきその翌89年には3~4月の2ヶ月にわたり帝劇で再演。そして、その翌90年8月に名古屋中日劇場で再々上演された。当時、中日劇場で勤務していた私は、初めて健さんと仕事をした時の印象が鮮烈に焼き付いている。あの時代劇スターがブロードウェイ・ミュージカルなんて、実は大いに違和感があった。しかし舞台稽古、初日と目の当たりに接していくうちにその感覚は完全に払拭されていた。貫禄といい、歌といい、ダンスのしなやかさなど実に見事だった。相手のアンナ先生は、宝塚で一時代を築いたツレさんこと鳳蘭。さすがにミュージカル、レヴューはお手の物。健さんを相手にあの名曲「シャル・ウィ・ダンス」のシーンは絶品で、いつも健さんが楽しそうに踊る表情が忘れられない。
あれから時を経て、2年前の2012年。何と22年ぶりにまた「王様と私」が復活した。それも3年かけて日本全国を縦断する大規模な企画。これは何としても京都へこの名作を呼び寄せねばと、初年度ツアーの8月、びわ湖ホールの会場へ駆けつける。22年ぶりに改めて観劇すると、もう、懐かしさとともに、これは是非とも春秋座公演を実現せねばならないという使命感に駆られた。終演後、早速健さんの楽屋へ伺い、「京都でもやりましょう!」と公演交渉をしてしまった。
健さんとは、1990年の「王様」中日劇場公演から18年後に「ドラキュラ伝説」という創作ミュージカルでまた再会する。“暴れん坊”と並行してミュージカルもライフワークなのである。その後2010年、2011年と、2作のミュージカルに関わり、おかげで親交を深めていくことができた。
この度、本来なら制作チームに公演依頼をするところ、いきなり王様へ切り出してしまったのが功を奏してか、春秋座公演が決定するに至った。
ブロードウェイ・ミュージカルを代表する、リチャード・ロジャース&オスカー・ハマースタイン2世の流麗な音楽に彩られた名作中の名作。王様は松平健、今回のアンナ先生はリカちゃんこと紫吹淳。優雅でコケティッシュな演技に定評のある元宝塚歌劇月組の男役トップスターである。出演者・スタッフ総勢80名でおくる大掛かりで本格的なミュージカルが、この度公益的事業の一環として信じられないような安価で観ることができる。一昨年、昨年と全国を巡り、関西方面にもやって来たが、何が何でも京都を素通りさせるわけにはいかない。この安い料金で何としても本学学生に、京都市民に観ていただきたいのである。そして市内でも我が劇場で行わなければ自分がここに居る意味がない。果たして3年かけた集大成が、いよいよ京都春秋座にやってくる。「王様と私」を知らない学生はいるかもしれないが、役所広司で公開された映画「Shall we ダンス?」や、同名アメリカ映画でリチャード・ギア主演によるリメイク作は記憶に新しいだろう。おかげさまで一般席は完売だが、補助席はまだ若干残っている。この機会に是非「シャル・ウィ・ダンス」を体験し、不朽の名作をじっくりと堪能していただきたい。

舘野 佳嗣
(舞台芸術研究センター プロデューサー)

『執心鐘入』異聞

6月 01日, 2014年
カテゴリー : プロデューサー目線 

さる5月28日、京都造形芸術大学のNA402教室において、午後1時から5時半頃まで、「「道成寺」と『執心鐘入』」と銘打った公開講座がありました。定員は80名でしたが、会場はほぼ満員の盛況でした。これは6月15日に春秋座で予定されている「琉球舞踊と組踊 春秋座公演」の「関連レクチャ-」として企画されたもので、そこで上演される『執心鐘入』がモデルとした能の『道成寺』と歌舞伎の「道成寺もの」について能と歌舞伎の専門家が、『執心鐘入』については組踊の専門家がそれぞれ話をするという企画でした。 能も歌舞伎も組踊も、もとをたどれば『本朝法華験記』『今昔物語集』などにみえる道成寺説話に行き着くわけで、その共通項に着目しての企画でした。能の『道成寺』については筆者が、歌舞伎の「道成寺もの」については本学教授でこの催しの企画者でもある田口章子氏が、『執心鐘入』については国立劇場おきなわの若き芸術監督である嘉数道彦氏が話をしたのですが、結果的に、平安時代の仏教説話に淵源をもつ物語が室町時代に能の『道成寺』を生み、江戸時代の後期以降に能の影響下に歌舞伎舞踊や歌舞伎の「道成寺もの」が生まれ、その過程で、18世紀初頭に琉球王府の踊奉行だった玉城朝薫が明の冊封使接待のため考案した組踊の第1号『執心鐘入』が生まれるという、まことに壮大な文化の継承と展開の輪郭がそこに提示されることになったのではないかと思います。小生などは、能の『道成寺』の話をすればよいのだろうと気楽に思っていて、「能の『道成寺』のすべて」という演題のもと、『道成寺』には『鐘巻』という原曲があり、『道成寺』はそれを改作した作品であること、『道成寺』の最大の特色である「乱拍子」や「鐘入り」はその改作の結果、生まれ、あるいは洗練されたものであること、原曲『鐘巻』と『道成寺』の主題の位相などについて1時間ほど話をしたのですが、そのあとの田口、嘉数お2人の話が小生の話と少なからず密接にかかわるものであったことに、たいへん驚かされました。ここでは、そのうちの「主題」について記します。
小生は、そもそも、能の鑑賞や研究においては、「主題」ということが不思議に問題にされていないことを述べたあと、原曲の『鐘巻』が「恨み」とともに「成仏得脱への希求」という側面も色濃い作品であったのにたいして、それを「恨み」一点に絞りこんだのが『道成寺』だと述べたのですが、これにたいして、田口教授からは、歌舞伎の「道成寺もの」は、「恨み」という要素はもちろんあるが、それより、『道成寺』の世界を江戸時代の当代の風俗に置き換えた「見立て」の趣向に重きが置かれ、一連の踊りで描かれる若い娘の恋心が前面に出ているという指摘があり、ついで、嘉数氏からは、『執心鐘入』では宿の女の「恨み」とともに、女の「悲しみ」が描かれていること、その「悲しみ」の背後には、女からの恋心の告白という当時の常識からは考えられない行動、それにたいする拒絶という深い屈辱感があるとの指摘があり、さらに、若衆中城若松の一貫した拒絶には琉球士族としての倫理観が底流しているとの指摘もありました。
言うまでもなく、『執心鐘入』は能や歌舞伎の模倣作ではありません。その基盤には沖縄伝統の音楽と舞踊があり、それが能や歌舞伎に触発されて、組踊という「国劇」とも称される新しい演劇の誕生につながったのです。いま紹介した「主題」だけをとっても、その独自性は納得されることでしょう。
こうして、たんに能の『道成寺』のことを話せばよいと思っていた筆者のもくろみはみごとに外れ、そのかわり、思いがけず、嬉しい発見に遭遇したのです。これ以外にも「発見」は多くありましたが、それはまた機会があれば、お話しすることにします。あとは、15日の舞台をご覧ください。ポスタ-やチラシには記されていませんが、人間国宝お2人による舞踊と組踊の前には、このレクチャ-で実演も交えて魅力的な話をされた嘉数道彦氏の解説があります。同氏は次代を担う舞踊家でもあり、新作組踊の有力な作者でもあるのです。

天野文雄
(舞台芸術研究センタ-所長)

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