『執心鐘入』異聞

6月 01日, 2014年
カテゴリー : プロデューサー目線 

さる5月28日、京都造形芸術大学のNA402教室において、午後1時から5時半頃まで、「「道成寺」と『執心鐘入』」と銘打った公開講座がありました。定員は80名でしたが、会場はほぼ満員の盛況でした。これは6月15日に春秋座で予定されている「琉球舞踊と組踊 春秋座公演」の「関連レクチャ-」として企画されたもので、そこで上演される『執心鐘入』がモデルとした能の『道成寺』と歌舞伎の「道成寺もの」について能と歌舞伎の専門家が、『執心鐘入』については組踊の専門家がそれぞれ話をするという企画でした。 能も歌舞伎も組踊も、もとをたどれば『本朝法華験記』『今昔物語集』などにみえる道成寺説話に行き着くわけで、その共通項に着目しての企画でした。能の『道成寺』については筆者が、歌舞伎の「道成寺もの」については本学教授でこの催しの企画者でもある田口章子氏が、『執心鐘入』については国立劇場おきなわの若き芸術監督である嘉数道彦氏が話をしたのですが、結果的に、平安時代の仏教説話に淵源をもつ物語が室町時代に能の『道成寺』を生み、江戸時代の後期以降に能の影響下に歌舞伎舞踊や歌舞伎の「道成寺もの」が生まれ、その過程で、18世紀初頭に琉球王府の踊奉行だった玉城朝薫が明の冊封使接待のため考案した組踊の第1号『執心鐘入』が生まれるという、まことに壮大な文化の継承と展開の輪郭がそこに提示されることになったのではないかと思います。小生などは、能の『道成寺』の話をすればよいのだろうと気楽に思っていて、「能の『道成寺』のすべて」という演題のもと、『道成寺』には『鐘巻』という原曲があり、『道成寺』はそれを改作した作品であること、『道成寺』の最大の特色である「乱拍子」や「鐘入り」はその改作の結果、生まれ、あるいは洗練されたものであること、原曲『鐘巻』と『道成寺』の主題の位相などについて1時間ほど話をしたのですが、そのあとの田口、嘉数お2人の話が小生の話と少なからず密接にかかわるものであったことに、たいへん驚かされました。ここでは、そのうちの「主題」について記します。
小生は、そもそも、能の鑑賞や研究においては、「主題」ということが不思議に問題にされていないことを述べたあと、原曲の『鐘巻』が「恨み」とともに「成仏得脱への希求」という側面も色濃い作品であったのにたいして、それを「恨み」一点に絞りこんだのが『道成寺』だと述べたのですが、これにたいして、田口教授からは、歌舞伎の「道成寺もの」は、「恨み」という要素はもちろんあるが、それより、『道成寺』の世界を江戸時代の当代の風俗に置き換えた「見立て」の趣向に重きが置かれ、一連の踊りで描かれる若い娘の恋心が前面に出ているという指摘があり、ついで、嘉数氏からは、『執心鐘入』では宿の女の「恨み」とともに、女の「悲しみ」が描かれていること、その「悲しみ」の背後には、女からの恋心の告白という当時の常識からは考えられない行動、それにたいする拒絶という深い屈辱感があるとの指摘があり、さらに、若衆中城若松の一貫した拒絶には琉球士族としての倫理観が底流しているとの指摘もありました。
言うまでもなく、『執心鐘入』は能や歌舞伎の模倣作ではありません。その基盤には沖縄伝統の音楽と舞踊があり、それが能や歌舞伎に触発されて、組踊という「国劇」とも称される新しい演劇の誕生につながったのです。いま紹介した「主題」だけをとっても、その独自性は納得されることでしょう。
こうして、たんに能の『道成寺』のことを話せばよいと思っていた筆者のもくろみはみごとに外れ、そのかわり、思いがけず、嬉しい発見に遭遇したのです。これ以外にも「発見」は多くありましたが、それはまた機会があれば、お話しすることにします。あとは、15日の舞台をご覧ください。ポスタ-やチラシには記されていませんが、人間国宝お2人による舞踊と組踊の前には、このレクチャ-で実演も交えて魅力的な話をされた嘉数道彦氏の解説があります。同氏は次代を担う舞踊家でもあり、新作組踊の有力な作者でもあるのです。

天野文雄
(舞台芸術研究センタ-所長)