「マラルメ・プロジェクト3」――《詩句の朗誦》について、基本的な幾つかの事項  

7月 01日, 2012年
カテゴリー : プロデューサー目線 

 二年前に、筑摩書房から『ステファヌ・マラルメ全集1』が刊行され、およそ四半世紀をかけた大部の5冊本として、この19世紀世紀末の夜の中に、燦然とシャンデリアの如き光芒を放っている巨匠の、全体像が、ともあれ、日本語で捉えられるようになった。もちろん、研究の進み具合や、翻訳分担者の適否の問題など、顕在化した問題は少なくないのだが、ともあれ、20世紀の「先駆的な」文学、思想、そして音楽を始めとする芸術の多分野に、世紀を超えた灯台のようにして聳える、ステファヌ・マラルメの「全体像」への接近は、一応果たされた。

 この『全集』の完成を機に、なにかマラルメに相応しい催しをしたらどうかという浅田彰大学院長の発議で、まずはマラルメの「詩篇」を、フランス語において肉声化し、坂本龍一氏がそれを聞いて、気に入られたならば、「音楽」の伴奏を付けて頂き、ダム・タイプの映像作家、高谷史郎氏にしかるべき映像をあしらって貰う、と言う方向で、作業は始まった。
 幸い、この「神をも畏れぬ」企画は、好評であり、もちろんそこには坂本龍一氏のライヴ演奏と言う、魅力的な誘いが大きく働いていたことは言うまでもないが、少なくとも「日本人にマラルメなんぞ読めるはずがない、しかもフランス語で!」という、拒絶反応は克服できたように思う。
 一年目の好評に勇気づけられたチームは、どうせやるなら、『イジチュール』か『賽の一振り』に挑戦しようと言うことになり、上記『全集1』では、わたしが『イジチュール』の翻訳・注解を担当して居るから、『プレイヤード叢書』新版の、ベルトラン・マルシャルの解読に従って、『《イジチュール》の夜』の台本を作った。後で述べる様に、マラルメは、舞台芸術の内でも「バレエ」を殊に愛したから、近年ご一緒することが多い白井剛・寺田みさこ両氏に加わって頂き、『イジチュール』と関係の深い詩篇の、フランス語と日本語の朗読を背景に、ソロやデュエットを踊って頂いた。そして、三年目の今年である。

 『《イジチュール》の夜へ――「エロディアード」「半獣神」から』という標題が意味しているものは、『イジチュール』の危機が読み解かれるべき「文脈」には、「エロディアード――舞台」と「半獣神幕間劇」による、マラルメの劇場進出の挫折が大きく響いていること、そして、更に言えば、『イジチュール』のテクスト空間においてすら、「演劇性」や「舞台」は、執拗に顔を出すのだから、1865年9月における、詩人の劇場進出の試みの挫折は、「エルべーノンの夜」の境界線に、やはり見えていなければならないだろう。これが、「ダブル・プロローグ」として冒頭に付した、今回の新しい「筋立て」である。

 ところで、舞台上演の差し迫ったことばかり書いて来て、一番肝心な、というか、基本的な前提となる作業について述べていなかった。フランス語韻文の「朗誦法」のことである。
 日本と違って、フランス文学の根幹は、17世紀の所謂「古典主義」の作家たち、ピエール・コルネイユ、モリエール、ジャン・ラシーヌに代表される「文学言語の洗練と高度化」であり、しかもそれがすべて、「劇作家」によって担われていたことである。コルネイユ、ラシーヌの「悲劇」は、全て「定型韻文」で書かれていたし、喜劇作家のモリエールは、散文の喜劇も書いたが、その代表作となる本格喜劇は、やはり定型韻文劇であった。

 それらの「韻文劇」の基本となる定型詩句は「アレクサンドラン」と呼ばれる「十二音節詩句」で、そこには「脚韻」の規則や一行の詩句の中央での「切れ目」を始めとする幾つもの規則があった。この詩形をもっとも見事に完成させたのは、悲劇作家ジャン・ラシーヌであり、古代悲劇に匹敵する高貴かつ残酷な詩句から、ほとんど日常散文に微細な変更を加えただけのようにも見える詩句まで、その「韻文戯曲」の台詞は、3世紀以上にわたって、フランス文学の最も揺るぎない規範であり、幾世紀もの詩人が、それに反発しつつも、一度は回帰せざるを得ないような「古典」であり続けた。
 「劇の言語」であるから、当然それらは、「劇場で発せられて」はじめてその効果を現実のものとする、と一応は言っておける。しかし、日本の伝統芸能から類推されるように、それらの詩句の「朗誦法」が、伝承されている訳ではない。「伝統を活かしつつ守る」ことを使命とする国立劇場コメディ=フランセーズにも、「コメディ=フランセーズ式の朗誦法」が「伝承」されている訳ではないのだ。
 わたしが、コメディ=フランセーズの舞台を、パリで最初に見たのは1956年のことだが、その時点から現在に至る56年間に、この「モリエールの家」における「朗誦法」は、何度も大きな変化を体験して居るか分からない程である。しかし、注意しなければいけないのは、それほど「詩句の肉声化」に変遷があっても、詩句そのものに手を付け、書き直したり、削除したりすることは、絶対にあり得ない。これは、ドーヴァー海峡の向こう側のシェークスピア劇等とは決定的な違いである。
 従って、戯曲に用いられる定型韻文の代表的形式、「アレクサンドラン詩句」にしても、その構造の捉え方は、原則として変わらないが、実際にそれを「音声化する」に際しての「偏差」は、時代により、あるいは役者により、最近では演出家によって、極めて肥大することも起きる。例えば、1950年代には、アレクサンドラン詩句を出来るだけ「心理的に」――ということは、「近代劇の心理主義に即して」――言うことが常識となったり、あるいはそれとは正反対に、1960年代末からは、アントワーヌ・ヴィテーズという、極めて「前衛的な」演出家の登場によって、アレクサンドラン詩句を、「心理主義的自然さ」などで言うことは「下の下」とされ、はっきり「距離を置いて聴かす」という方法が、ほとんど絶対的な力を以って、若い役者たちに、熱狂的に受け入れられてきた。
 19世紀には、まだ録音技術も装置もなかったから、たとえば、「黄金の声」とたたえられたサラ・ベルナールの「声」も、ラシーヌの『フェードル』の一節が残されているだけであって、そこから19世紀末の朗誦術を想像するのは難しい。ただ、両大戦間からは、レコード録音が実現され、第二次大戦後から現在に至る複製メディアの隆盛からは想像もつかないが、それでも、「著名な詩人が自作を朗読する録音」といったものは、聴くことが出来るようになってきた。

 個人的な経験で言えば、大きなショックを受けたのは、詩人のポール・ヴァレリーが自作の詩篇を朗読している記録を、初めて聴いたときである。
 あれは1958年のブリュッセル万博の「フランス館」において、フランスの「出版社」が設えた「ブース」で、クローデルやヴァレリーによる自作の朗読を聴いた時だった。通念的に言えば、ヴァレリーのような「知性が肉を背負っているような人」が、自作を読むならば淡々と、あるいは冷たく、それこそ「異化効果的な」朗読をするかと思うだろう。ところが、ガリマール社のブースから聞こえて来たヴァレリーの「海辺の墓地」は、サラ・ベルナールをして眼色ならしめるであろうと思われるような、俗っぽく言えば「かなり大袈裟な朗誦法」であった。

 ここでようやくマラルメに戻るのだが、言うまでもなくマラルメはヴァレリーの師であるし、ヴァレリーより、よほど絢爛豪華、かつ晦渋な詩句を書いた詩人なのだから、さしあたりサラ・ベルナールと同じレベルで想像してもよいのではないかと思う。そのマラルメが、晩年、「未来の群衆的祝祭演劇」のパラダイムを想定するに際して、「ワーグナーの神話的楽劇」、「象形文字としてのバレエ」、「カトリックのミサ聖祭とオルガン演奏会」といった柱と並べて、と言うか、それらに先立って、「優れた詩篇の朗誦パフォーマンス」を挙げていることを書いて置きたかったからである。そこで例として引いているのは、マラルメが尊敬する高踏派の詩人テオドール・ド・バンヴィルの作品であるが、当然、自作もそのような文脈を想定しつつ書いていたに違いない。自作の詩篇は、当然に「声に掛ける」テクストであり、「声に出して読む/それを聴く」といった「パフォーマンス」を前提としていたはずである。
 とすれば、「マラルメの詩篇の朗読パフォーマンス」を芯に据え、そこに「音楽」と「バレエ」と、更には同時代(ここでは21世紀だが)のテクノロジーの粋を集めた「仕掛け」とが加わる「多重的な舞台表象」を、今、ここで、作りだす事は、1世紀余の時空を隔てて、「ローマ街の師」の遺志を活かすに相応しい企てなのではあるまいか。
 少なくとも「マラルメ・プロジェクト」の参加者は、誰しもそのような思いを秘めて、それぞれの「言語」を磨いている。

渡邊守章
(舞台芸術研究センター所長・演出家)

「オペラは総合芸術の原点です」

5月 01日, 2012年
カテゴリー : プロデューサー目線 

 学生時代、私はオペラにはまっていました。大学を卒業したらイタリアに行って、オペラ演出家になる修行をしたいというのが夢でした。しかし、いろいろな事情があって夢が叶わず、東宝の演劇部に入ることになりました。でも、今考えてみると、私の武器はやはりオペラに詳しいことだったと思っています。演出助手をしていた時は、譜面を追えることから、帝劇の大作ミュージカル「スカーレット」や「歌麿」に就くことが出来ました。
 日劇がミュージカル路線に踏出した際には、オペラ「ミニヨン」を下敷きにしたミュージカル「君よ知るや南の国」の企画が採用され、制作を任されました。また、フリーのプロデューサーになってからも、オペラ「ラ・ボエーム」を元にミュージカル「原宿物語」を、オペラ「イドメネオ」を元に、ミュージカル「イダマンテ」を企画制作しました。
このように、オペラは、私にとって命綱とも言うべき存在だったように思います。
春秋座の企画運営に携わるようになったのも、市川猿之助芸術監督が「歌舞伎とオペラがきちんと上演できる劇場です」と言ってくださったのが決め手でした。

 オペラは何と言っても総合芸術の原点です。そのオペラをないがしろにしてはいけないと思っています。ただし、「一口にオペラといっても広ろうござんす」なので、春秋座で上演されるべきオペラというものをじっくり考えることが必要でしょう。
春秋座の舞台機構を十分に生かした、春秋座だからこそはまったと言われる作品を上演していきたいものです。また、オペラは入場料金が高いというイメージを払拭する為に、1万円未満の入場料金を死守したいと思います。高々キャパシティ700名の劇場で、大歌劇場だからこそ成立するようなオペラを、そのまま上演することはないでしょう。
 「春秋座のオペラは、歌手の表情も言葉もはっきり分かって、ミュージカルを見ているようだった」と感動していただけるオペラを上演したいものです。

 5月26日、27日に行われるオペラ「月の影」-源氏物語-は、歌舞伎劇場特有の花道やスッポンを使用し、和歌をアリアとして聴かせるなど、春秋座ならではのオペラです。
 「仏陀」や「藤戸」の作品で知られる尾上和彦氏の作品を、狂言師である茂山あきら氏がどのように演出されるのか、また、春秋座の空間を知り尽くしている大野木啓人氏がどのような美術で支えてくれるのか、私自身の興味も尽きません。

橘市郎
(舞台芸術研究センター プロデューサー)  

新年度に当たって

4月 01日, 2012年
カテゴリー : プロデューサー目線 

 京都芸術劇場(春秋座・studio21)は、舞台芸術全般の実践的教育・研究の場として、大学内に設置された本格的劇場として、差し当たり日本では他に例のない組織です。その実践的運営に当たっているのが「舞台芸術研究センター」で、文科省の助成を受けて企画の立案・実現をしている「研究系」と、大学の補助でそれを行っている「社会・普及系」との二本立てで、プログラムを策定しています。ここでは主として「研究系」の目指す所を幾つか具体的に上げておきましょう。
 我々の研究的舞台上演が目指す大きな目標の一つは、「越境する伝統」という標語で要約される物です。能・狂言に始まる日本の伝統演劇の諸ジャンルに加えて、アジア諸国等の伝統芸能の優れた物を招聘して、舞台芸術に置ける「伝統」や「古典」の意味を問い直す企画は、毎年行われていますし、昨年度について言えば、観世銕之丞師一門と野村万作・萬斎師一門の『葵上』と『末広かり』が、金梅子(キム・メジャ)先生の、まさに「越境する伝統」と呼ぶにふさわしい舞台とワークショップと拮抗するという経験をする事が出来ました。 今年度は、日本列島の芸能の一極をなす「琉球組踊」を、人間国宝の宮城能鳳氏、西江喜春氏によって上演します。また、春秋座の生みの親でありながら、長い闘病生活を強いられて来た芸術監督の市川猿之助師も、6月には市川亀治郎氏に名跡を譲られる運びとなっていますから、ようやく大歌舞伎の舞台にも接する事が出来るでしょう。
 しかし、我々の活動が、評価の定まった古典芸能に限られている訳では、もちろんありません。大学の舞台芸術学科の学科長である川村毅氏は、1980年代小劇場運動の旗手でありましたし、今年も昨年に続き、イタリアの鬼才で悲劇的な死を遂げたパゾリーニの作品『騙り』に挑みます【4月28日(土) 14:00/18:00開演】。またコンテンポラリー・ダンスは、本学の教授陣に、現代を代表するダンサー=振付家を擁していますから、その一人である伊藤キム氏の構想・振付による『からだの森を行く』【5月12日(土) 14:00/19:00 13日(日) 14:00開演】という集団パフォーマンスで、2012年度の幕開けとします。
 7月には、一昨年来、本学大学院長である浅田彰氏の提案をもとに、『マラルメ・プロジェクト―21世紀のヴァーチュアル・シアターのために』という、言わば「ワーク・イン・プログレス」の方法で、19世紀末の詩人で、20世紀芸術のあらゆる分野に強度に貫かれたメッセージを発信し続けているステファヌ・マラルメの作品から舞台を作っています。坂本龍一氏の音楽、高谷史郎氏の映像、白井剛、寺田みさこ両氏のダンスに、浅田彰氏と渡邊の朗読が加わるという形で、昨年は『《イジチュール》の夜』を立ち上げました。今年は、それを更に深化させて、『エロディアード-舞台』『半獣神の午後』のダンス・ヴァージョンを加えた舞台を作る予定です【7月22日(日)】。

渡邊守章
(舞台芸術研究センター所長・演出家)

舞台こそ、本物のアーティストを作り出す

3月 01日, 2012年
カテゴリー : プロデューサー目線 

 「スイングジャーナル」ジャズボーカル新人賞、第24回ゴールデンアロー賞新人賞(演劇)第38回芸術選奨新人賞(大衆芸能部門)、第32回グラミー賞、第21回菊田一夫演劇賞、第27回松尾芸能賞優秀賞(演劇)、第41回紀伊国屋演劇賞(個人賞)、第14回読売演劇大賞優秀賞(女優賞)などなど。
上記の受賞暦を見て誰のことかお分かりになりますか?そう、島田歌穂さんです。
彼女は、ミュージカル「レ・ミゼラブル」の「エリザベス女王御前コンサート」ではエポニーヌ役として、世界のベストメンバーに選ばれました。
こんなに実力を認められているアーチストなんて、そうはいません。私自身も、青山劇場で開催されたオーケストラをバックにしたコンサートを聴き、その歌唱力を大絶賛しました。
さらに、昨年上演された「ゾロ ザ・ミュージカル」では歌と踊りはもちろんの事、その熟女振りに悩殺されました。

歌穂さんが舞台中心に活躍しているのは、砂田信平という彼女のプロデューサーの意向にもよると思います。私も、同業者の砂田さんとは長い付き合いをしていますが、彼には「舞台こそ、本物のアーティストを作り出す」という信念があります。ちょっと売れ出すとテレビを中心に活躍することを潔しとしない考え方です。夏木マリさんの場合もそうでした。映像に於いてもいい仕事をしていましたが、彼女の主流は舞台でした。今の時代、テレビに出ないと商品価値が生まれないというのが一般の常識です。でも、彼は頑なに自分の信念を貫き通してきました。イージーに動員力を付けるのではなく、本当の芸を身につけてお客様を呼ぶことが大切であると言い続けてきたのです。私も、「身銭を切って、見たり聴いたりしてくださる生のお客さまこそ、本物の芸人を育てる」と思っています
思えば、夏木マリさんのスタートは歌謡曲歌手でした。島田歌穂さんも最初はアイドル歌手でした。もちろん、今日あるのはご本人の努力の賜物ですが、砂田さんの存在も見逃すわけには行きません。
「本物はいつか花開き、長続きする」―この真理を実証したお二人に、共通のプロデューサーが存在していたことを記しておきたいと思います。

さて、4月14日(土)17時から、春秋座で開催される「島田歌穂&島健デュオコンサート」は、そんな歌穂さんの実力をじっくり、味わえる絶好の機会です。
器用に何でもこなしてしまう彼女は、ともするとその実像が見えにくいのですが、ご夫婦水いらずのコンサートでは、素顔の島田歌穂に接することが出来ます。等身大の彼女から、また新鮮な魅力を発見されることでしょう。
まだ、彼女の舞台を見たことのないお客様、ぜひ、実力と飾らない人柄に触れてください。
ご主人のピアノとアレンジも絶品です。

橘市郎
(舞台芸術研究センター プロデューサー)

さすがの「志の輔らくご」

2月 01日, 2012年
カテゴリー : プロデューサー目線, 過去の公演 

1月24日、パルコ劇場に行き『志の輔らくご』を聴いて来ました。20回の公演は全て完売という盛況でしたが、何とか席を取っていただけました。着席すると前方のお客様が私の方を振り返って見ているではありませんか。私が注目されるわけがないので左右を何気なく見ると左隣にMr.マリックさんが座っていました。面識がないので声をかけませんでしたが他にも有名人の方がいろいろ来ていたようです。
緞帳が上がると、一面、定式幕のパステル版といったパネルが目に飛び込んできました。
これだけでも普通の寄席とは違うという先制パンチです。「このセットの問題点は衣装の色をどうしたらいいのか難しい」「500人のお客様が20回で1万人、武道館でやれば1回で済むのに、小出しにやっています」など前振りで笑わせたあと、突然、1席目に入っていくタイミングの良さに唸らせられました。
遅刻を1回もしたことのない教師が、遅刻の理由をタイムマシ-ンから降りてきた宮本武蔵のためと生徒に語る話。こう書くと面白くも可笑しくもない話が、志の輔さんが語ると爆笑の渦となるんですね。生徒があきれて、一人また一人教室を出て行くくだりなど哀愁さえ感じさせるから不思議です。1席目が終わると巌流島をモチーフにしたアニメーションが写されるのも「志の輔らくご」ならではの趣向でした。
2席目は「雛人形」で有名な町をフランス大使夫人とお嬢さんが訪ねるお話。
これも素朴な庶民と大使館員とのちぐはぐな会話が笑わせます。この話が終わると今度はカーテンが開き、雛段に劇団員が生きた雛人形に扮して立っているという趣向。本当に凝っていますね。
そして、圧巻だったのは、古典落語の「紺屋高尾」。紺屋職人が花魁に恋をしてしまうという荒唐無稽の話を、現代の人間模様として、説得力を持った一人芝居に仕上げているのです。「今や吉原を知っている人も行ったことのある人もほとんどいません」という中で、若い人たちも十分ついていける話にした感覚こそ、志の輔さんの凄いところだと思います。
5月の春秋座公演が本当に楽しみです。春秋座の雰囲気を完全に手の内に入れた志の輔さんが何をやってくれるのか期待していてください。

さて、私は東京で不思議な経験をしました。パルコ劇場を見た翌日、浅草で歌舞伎を見て、市川亀治郎さんに挨拶した後、銀座で演出家の水谷幹夫さんと待ち合わせをしました。
昔の日劇の玄関であったところで彼を待っていると、銀座方面から何とMr.マリックさんがマネージャー風の男性とやって来るではありませんか。もちろんそのまま通り過ぎましたが、2日続けての最接近、その偶然さにびっくりしました。
これもMr.マリックさんの超魔術なのでしょうか。

橘市郎
(舞台芸術研究センター プロデューサー)

年の初めに-恒例の能・狂言公演と「劇場の記憶」-

1月 01日, 2012年
カテゴリー : プロデューサー目線 

明けましておめでとうございます。余りにも壊滅的な出来事が、しかも多方面で起きた2011年の教訓をしっかりと反芻しながら、今年も舞台芸術研究センターとしては、劇場芸術が危機の最中で何が出来るのかを常に反省しつつ、独りよがりではなく、現代の世界に向かい合うことのできるような作品を世に問うていく覚悟です。過日の金梅子先生の韓国舞踊の、ワークショップも舞台もパネル・ディスカッションも、大変素晴らしく刺激的であり、多くの発見があったことは、今後の企画にもよい刺激となるはずです。
2011年度の最後の三カ月は、学生の授業発表や卒業制作が犇めいていますので、春秋座を使った公演は減りますが、しかしその中でも、恒例の能・狂言【2月18日(土)14:00開演】が最も魅力的でしょう。能の中でも上演頻度の高い『葵上』と、狂言は野村万作・萬斎師の『末広がり』です。中でも、観世銕之丞師をシテの六条御息所の怨霊とする『葵上』は、春秋座の歌舞伎舞台を活かして、通常の能舞台では見られないスケールの大きい作品となるはずです。日本ほど、過去の出来事や経験を忘れるのに優れている国民は居ないなどと、《外からの視座》は、常に批判しますが、舞台芸術のような、それが実現した具体的な時間と場所から切り離して論じるのが難しい《芸術表象》の場合には、だからこそ《記憶》が重要なのだと言うことは、当事者としては常に言い続けなくてはならないことだと思います。
その意味で、2011年度には、公開講座として『舞台芸術の半世紀』を分析しつつ、その現在を問い直す企画を立てました。その最終回は、1月17日(火)18時から、内外のオペラやダンスに詳しい浅田彰大学院長と、1956年に最初にフランスに留学した時から、パリを中心としたヨーロッパの《劇場文化の変容》を目の当たりにしてきた渡邊とで、焦点をオペラとダンスに当てつつ、過去半世紀に劇場で生じた変革とその現在における成果とを論じて見ようと思います。司会は、この企画の策定に当たった森山直人教授です。
DVDのような媒体だけではなく、クラシック音楽番組に特化したTVチャンネルもある時代ですから、ある意味では、前代未聞の情報の氾濫だとも言えますが、そうしたネットワークにどう対応するのかも、「舞台芸術の記憶」を論じる際に、避けては通れない《問題形成の場》なのだと思います。

渡邊守章
(舞台芸術研究センター所長・演出家)

エッセイ・ミュージカル『江分利満氏の優雅な生活』

12月 01日, 2011年
カテゴリー : プロデューサー目線 

 プロデュースと言う仕事は、元来何もないところから企画を立て、予算立てをし、キャスト、スタッフを決めて公演を実現することです。私もミュージカル『君よ知るや南の国』『私はオンディ-ヌ』『ハムレット』『原宿物語』『イダマンテ』『ブルーストッキング・レディース』などでは、文字通り全てをプロデュースしてきました。春秋座の場合は予算的にも、本数的にも全部が全部オリジナルというわけには行きません。どうしても、全体のバランスを考え、大学の中に建てられた劇場の企画としてふさわしい、バラエティに富んだ作品を買うことが多くなります。いいものを選ぶ目とセンスが問われるわけですね。作品を選ぶ際、実際に見て決めることもあれば、演目やスタッフ、キャストを見ただけで決めることもあります。後者の場合には、それ相当の経験が必要です。ある意味では競馬の勝ち馬を当てる能力と通じるところがあります。記憶力とデータ収集力、そして勘です。

 12月17日(土)に春秋座で上演されるエッセイ・ミュージカル『江分利満氏の優雅な生活』は、正に見ないで決めた作品なのです。
原作者の山口瞳さんは、私が最も好きな作家で、ほとんどの作品を読んでいます。この人の文章は判りやすく、リズム感があり、描写力に優れています。反骨精神が溢れる力強さの中に、笑いとペーソスが存在しています。直木賞作家、山口瞳さんは、昭和という時代が生んだ代表的な作家と言って間違いないでしょう。

 この原作をミュージカル化しようとしたインターナショナルカルチャーの松野正義社長と故人の草刈清子さんとは何本もの仕事をいっしょにしてきました。音楽の甲斐正人さんとは彼が芸大時代からのお付き合いで、私はその才能を早くから認めていました。期待通り、今や大御所となっている方です。そして演出の竹邑類さん、私が日劇で制作をしていた頃から、すでに斬新な振付で活躍されていた大ベテランです。それに、山口瞳さんのご子息である山口正介さんが監修してくださっています。しかも、いろいろなミュージカルで実力を発揮しているジェームズ小野田さんが主演ときたら、間違いなく買いでしょう。

 山口瞳さんのエッセイ(小説)がミュージカルになるということに関しては、私も想定外でした。しかし、山口瞳さん自身がこのミュージカル作品を気に入っていたという事実が、何よりも心強いデータです。「テネシーワルツ」「スーダラ節」「東京の屋根の下」「海ゆかば」など昭和の懐かしい歌を散りばめたエッセイ・ミュージカル『江分利満氏の優雅な生活』は私自身が一番わくわくしている作品なのかも知れません。

 今回は、山口瞳さんの作品の挿絵や本の表紙を担当されていた、トリスおじさんでお馴染みの柳原良平さんが、わざわざチラシのイラストを描いてくださいました。この方のイラストを見て、「昭和という時代は、夢と希望に満ち溢れていたなあ」と郷愁を感じるのは私だけでしょうか?

橘市郎
(舞台芸術研究センター プロデューサー)

様々な差異の舞台的表象について

11月 01日, 2011年
カテゴリー : プロデューサー目線 

上半期のセンター企画として、8月14日に上演された「マラルメ・プロジェクト2――『イジチュール』の夜」は、10月1日に、ustreamで流すと言う実験をした。その反応は好評であったし、センターとしても色々な発見があったので、今後も、機会を見て続けて行きたいと考えている。既に来年の「マラルメ・プロジェクト3」の企画作業に入っている。

下半期のセンター企画は、若手の「女装独り芝居」である『アディシャッツ/アデュー』から始まる。昨年の春秋座公演の『こうしてお前は消え去る』のトレーナー役で出演して好評であった、ジョナタン・カプドゥヴィエルの、自作・自演の一人芝居である。「アディシャッツ」とは、ピレネー方言で「アデュー=さようなら」を意味する言葉だと言うが、仕掛けとしては、「物真似芸人」を志しているゲイの若い役者が、自分の欲望の対象でもあり、そのようなものとして男に愛されたいという「エロス的イメ―ジ」を核とした「女性同一化のファンタスム」の展開である。しかしこの作品を、露悪趣味のパフォーマンスにしていないのは、カプドゥヴィエル、まだ少年の面影を残しているような、好感のもてる存在感である。それを可能にしている仕掛けは、そうした性的幻想を歴然と踏まえた「女性化願望」が、世界的なポップス歌手マドンナやレディー・ガガをモデルに定めることで、言わば「心情溢れる物真似芸」の舞台を成立させていることである。
フランスと日本では、こうした「性差」に関わるドラマの捉え方も、展開の仕方も異なるから、アフター・トークには、日本のドラァグクイーンのまさに女王であるシモーヌ深雪さんにお越しいただき、性差の揺らぎとその演劇性について、お話を伺う予定である。

前学期から始めた公開講座「舞台芸術の半世紀」も、秋学期に続ける予定である。1回目(通算で言えば4回目、11月8日)は渡邊の担当で、『創作能の地平』と題して、近年の新作能・新作狂言ブームについて、渡邊自身の経験から、そう安易に作れるものではないことを、1970年代の「冥の会」の経験(観世寿夫主演のセネカ作『メーデーア』)、1987年の「パルコ能ジャンクション――『葵上』」における故榮夫氏と、現萬斎君の作業等を振り返りつつ、2001年に作った創作能『内濠十二景、あるいは《二重の影》』の2004年パリ公演版(榮夫、晋矢、萬斎)ならびに『薔薇の名――長谷寺の牡丹』を、榮夫氏追善の形で、春秋座において上演した映像を見る。大学院博士課程の在籍者でもあり、「木ノ下歌舞伎」の主催者でもある木ノ下裕一君に、聞き手に回ってもらう。
2回目(12月13日)は、「語り」という「言葉の姿」は、日本の伝統芸能の独占物ではないし、ギリシア悲劇には、外で生起したことの「報告」という形での「語り」は不可欠であった。それを受け継いだ17世紀フランス古典悲劇は、ギリシア悲劇とは異なる形で、「韻文悲劇」の言語態の一つとして、「語り」を劇作術の中に取り込んで行った。その典型として、ラシーヌ悲劇の内でも、「語り」の部分が「ラシーヌ詩句」の見事さに支えられて肥大した作品があり、その最も成功した例は、『フェードル』である。二度もパリで、日本語でフェードルを演じた、他に類例の無い経歴の後藤加代を招いて、『フェードル』の「さわり」の部分を、渡邊と共に読む。いずれの回も春秋座における「公開講座」であり、18時開始である。[入場無料だが、予約制]

伝統と現代という問題は、「伝統演劇」というような特殊な形をもった文化でないと、問題自体がつかめないことが多い。その意味では、近くにありながら、まだよく知られていない韓国における「舞踊の伝統と現代」の問題は、ともすれば「伝統」という看板に寄りかかって、芸能としても、現代における舞台芸術としても、創造的反省に欠ける、現代日本における「ダンス」の問題を考え直す格好の契機となるのではないか。そのような観点から、韓国舞踊の第一人者であり、単にパフォーマンス・レヴェルだけではなく、理論的反省や教育制度についても、第一線で活躍されている金梅子先生をお招きして、その舞台を拝見すると同時に、センター・サイドからの参加者との、パネル・ディスカッションを行おうと思う。

それが舞踊公演 + シンポジウム「越境する伝統―韓国舞踊の場所から 金梅子(キム・メジャ)の仕事」【舞踊公演:12月10日(土)14:00~、シンポジウム:12月11日(日)14:00~】である。

渡邊守章
(舞台芸術研究センター プロデューサー・演出家)

追悼 五十嵐喜芳先生

10月 01日, 2011年
カテゴリー : プロデューサー目線 

9月23日、オペラ界の巨匠 五十嵐喜芳先生が亡くなりました。享年83歳。前日まで授業をされ、愛車のジャガーで帰宅。久しぶりに奥様とお嬢様の3人でお寿司屋さんに行き食事をされたそうです。ご機嫌で自室に入り就寝。ところが、翌朝なかなか起きて来られないので、奥様が見に行ったところすでに亡くなっていたそうです。

12時間前まで授業をされ、ご家族で幸せな時間を過ごされた後、そのまま旅立たれた五十嵐先生は最期まで格好いい方でした。淋しいし、悲しいけれど、颯爽とした散り方は改めて五十嵐先生らしいなあと思いました。お通夜に臨まれた、奥様もお嬢様も誇らしく気丈に振舞われていらっしゃいました。

先生には50年間何かとご縁があり、大変お世話になりました。

大学の卒業公演で、モーツァルトの「イドメネオ」を演出した際、資金がなく「五十嵐喜芳 愛を歌う」というコンサートをやっていただき60万円を捻出したのが始まりでした。

その後、宝塚のプリマドンナ加茂さくらさんとのジョイントコンサート、野際陽子さんにナレーションをお願いしたカンツオーネのコンサート、日劇の「都はるみショー」へのゲスト出演など、先生は嫌な顔ひとつせず協力してくださいました。ことに「都はるみショー」では演歌「惚れちゃったんだよ」を朗々と歌い、最後に「ラストワルツ」をはるみさんとデュエットしてくれたのです。

先生はクラシック界の方でありながら、ジャンルへの偏見が全くない人でした。私が中野サンプラザのロックミュージカル「ハムレット」を制作した時、オフィーリア役をお嬢さんの麻利江さんにお願いしたのですが、この時も先生は二つ返事でOKしてくれました。その後、麻利江さんは音楽学校の先生に破門されたそうですが、五十嵐さんは何一つ私に言いませんでした。

春秋座がオープンして3年、契約終了とともに私は一度東京に戻りました。大学時代の友人に声をかけられ、ある大学でアートマネジメントを教えるためです。大学の下見に行って分かったのですが、何とその大学の学長は五十嵐先生でした。私は京都にいる間、先生は新国立劇場の芸術監督だけをおやりになっていると思い込んでいました。ご縁の不思議さに驚きました。先生とご一緒した4年間は本当に可愛がっていただきました。飲めない私を不甲斐なく思いながらも、食事を兼ね何度も誘ってくれたのです。先生の飲み方は豪快にもかかわらず、いつも品格のある酔い方でした。

私は、定年でその大学を退職した後、京都に再び呼び戻していただき、今の仕事をお引き受けしたのですが、最初に企画した作品は先生の80歳を祝う「五十嵐喜芳親娘コンサート」でした。先生は仕事というより、昔教鞭をとっていた地にお礼をしたいといってノーギャラで出演してくれました。私は「お言葉に甘えますが、もし利益が出た場合は大学と折半しましょう」と言いました。コンサートはアットホームな雰囲気で最高でした。そして公演費を精算した結果、お互いに2万円ずつ分け合ったのです。先生と麻利江さんに1万円ずつお支払いしたことになります。先生は「大変楽しかった。ありがとう」と電話を入れてくださいました。先生はそういう方だったのです。

9月27日は、密葬で近親者のみというお通夜にもかかわらず、弔問に見えた人は数100人、亡くなる12時間前に授業を受けた女子学生が号泣している姿が印象的でした。

太陽のようにおおらかだった五十嵐先生、どうぞ安らかにお眠りください。

橘市郎
(舞台芸術研究センター プロデューサー)

秋学期の企画のこと

9月 01日, 2011年
カテゴリー : プロデューサー目線 

上半期の後半は、センター企画としては、8月14日に上演された「マラルメ・プロジェクト2――『イジチュール』の夜」に全力投球した感じである。難解を以てなるマラルメの『イジチュール』を、舞台で朗読し、坂本龍一氏の音楽と高谷史郎氏の映像が絡み、更に、白井剛・寺田みさこ両氏のダンスが、その空間と戯れるというのであるから、まさにトータルな舞台パフォーマンスと言ってよく、ネットやブログなどから推し量れる評判は上々のようであった。この分だと、来年も、同じメンバーで、『エロディアード――舞台』と『半獣神の午後』を柱に、「マラルメ・プロジェクト3」を作る可能性は、大いに高まったと言える。
そこで、下半期のセンター企画であるが、当初予定されていたジャン=クロード・ドレフュスという、往年の女装ショーのスターが、後に、クローデルの『交換』やウェデキントの『ルル』という作品の、極めて難しい役をこなし、独自の演劇的世界を手に入れていたのが、『火曜日はスーパーで』で、一種の先祖返り的に、性転換した男性と、彼の性生活を狂わせた張本人らしき父親との会話だけで成り立つ「独り芝居」に挑戦したのだったが、体調が優れず、ドクター・ストップがかかってしまっては仕方がない。その代わりとして招くのが、若手の「女装独り芝居」とでも言ったらよいような『アディシャッツ/アデュー』である。
仕掛けとしては、「物真似芸人」を志しているゲイの若い役者が、自分の欲望の対象でもあり、それ以上に、そのようなものとして男に愛されたいという「エロス的イコン」を核とした「女性同一化のファンタスム」の展開である。しかしこの作品の「味噌」ともいうべきは、そうした性的幻想を歴然と踏まえた「女性像」が、世界的なポップス歌手マドンナやレディー・ガガであることで、彼女らのヒット・ナンバーを次々と「アカペラで[伴奏ナシで]」メドレーしつつ、彼自身のエロス的ファンタスムを舞台空間にちりばめていく。
まだ少年のような面影を残す前半部から、後半部は、「お定まりの」と呼んでもよい「女装ショー」に変わるわけで、「性差の揺らぎ」を、役作りのレベルで顕在化させるのである。
男女の自然的性差しか認めようとしない十九世紀型ブルジョワ社会は、フランスでも消え去ったわけではないから――社会党のパリ市長が、カム・アウトしたゲイであるというような表象は、日本ではそもそも受け入れら得ないだろうし、PACという配偶者法は、ゲイのカップルにも適用されているわけだから、日本とは事情は大いに異なる。しかしそれでも、ゲイに対する偏見や憎悪は、隠然として社会の深層に生き続けていて、傷害事件も絶えることはないようだから、この『アディシャッツ/アデュー』のような舞台の挑発性が減少しているわけではない。
前学期から始めた公開レクチャーシリーズ「劇場の記憶―舞台芸術の半世紀―」も、秋学期に続ける予定である。
1回目(通算で言えば4回目、11月8日)は渡邊の担当で、『創作能の地平』と題して、近年の新作能・新作狂言ブームについて、渡邊自身の経験から、そう安易に作れるものではないことを、1970年代の「冥の会」の経験(観世寿夫主演のセネカ作『メーデーア』)、1987年の「パルコ能ジャンクション――『葵上』」における故榮夫氏と、現萬斎君の作業を振り返りつつ、2001年に作った創作能『内濠十二景、あるいは《二重の影》』の2004年パリ公演版(榮夫、晋矢、萬斎)ならびに『薔薇の名――長谷寺の牡丹』を、榮夫氏追善の形で、春秋座において上演した映像を見る。大学院博士課程の在籍者でもあり、「木ノ下歌舞伎」の主催者でもある木ノ下裕一君に、聞き手に回ってもらう。
2回目(12月13日)は、「語り」という「言葉の姿」は、日本の伝統芸能の独占物ではないし、ギリシア悲劇には、外で生起したことの「報告」という形での「語り」は不可欠であった。それを受け継いだ17世紀フランス古典悲劇は、ギリシア悲劇とは異なる形で、「韻文悲劇」の言語態の一つとして、「語り」を劇作術の中に取り込んで行った。その典型として、ラシーヌ悲劇の内でも、「語り」の部分が「ラシーヌ詩句」の見事さに支えられて肥大した作品があり、その最も成功した例は、『フェードル』である。二度もパリで、日本語でフェードルを演じた、他に類例の無い経歴の後藤加代を招いて、『フェードル』の「さわり」の部分を、渡邊と共に読む。
3回目(1月17日)は、一年間の総括として、「演出家の世紀」とも呼ばれた二十世紀のその後半で、単に「言葉の演劇」だけではなく、「オペラ」と「ダンス」の領域で、最も目覚しい変化が体験された。大学院長である浅田彰先生にお越しいただいて、森山教授の司会で、渡邊と対談をしていただく。いずれの回も春秋座における「公開レクチャー」であり、18時開始である。
[入場無料だが、予約制]

渡邊守章
(舞台芸術研究センター プロデューサー・演出家)

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