2019年3月
2019年3月29日 インタビュー
ゼミ通ヒーローズ Vol.04
石倉凛太郎と脱出ゲームについて語るの巻
今回のゼミ通ヒーローズは、
ゲームゼミ2年生のリーダーである石倉凛太郎さん(鹿児島工業高等専門学校出身)のインタビューをお届けします。
2年生ゼミの成果物である「脱出ゲーム」の制作を通して感じた事・学んだことについて聞いていこうと思います。
石倉凛太郎さん
石倉 (以下、鹿児島訛りでお読み下さい)よろしくおねがいします。なんか緊張しますね。
村上 いや、いつもの感じで全然いいよ。というわけで、唐突だけどなんでこの大学に来たの?
石倉 僕は元々高専(高等専門学校)の出身でして、そこは5年通って卒業後にはエンジニアになれるようなそんなところでした。
モノを作るのが好きで、 小学生の頃の夢はタカラトミーで働くことでした。
でも行き方が分からなくてどうしようかと思っていたら、父から高専を勧められて、 調べてみたら「面白そう!」ってなって行くことになりました。
子供の頃って特殊な環境にすごく憧れるじゃないですか。
ただ、何となく面白そうというだけの見切り発車で入学しちゃったんで、勉強がなかなか大変で…。進級するにしても赤点が59点なものだからハードルが高くて。
ここは数学が必修で、これを落とすと落第になるんです。40人クラスのうち10人くらいは必ず進級不可になって、
でも上の学年から落ちてきた10人が入ってくるから常に40人をキープするという謎の一期一会がありました(笑)。
村上 出だしは工業系だったんだ。
石倉 基盤を作ったり工業製品を作ったりしてるときに、自分がやりたい事ってこれだったのかなぁと悩んでいたら、オタク文化にぶつかったんです。
自分は中学生になるまでマンガも「ワンピース」しか知らなかったんですけど、色んなオタク文化を知ってから驚いてしまって、
そこから基盤作りよりもそっち(ソフトウェア)の方に興味が出て進路を変更することにしました。
せっかく高専に入れたけど、5年の課程のうち3年で中退させてもらって、大検をとって京都造形のAO入試を受けました。
もしこの大学の入試に落ちてたら僕の学歴は中卒になるところでした(笑)。
大学受験に関しては親に2年間交渉してやっとOKがもらえました。
村上 交渉しなきゃいけないような状況だったの?サブカルチャーが理解されなかったとか?
石倉 いえ、単に一度決めた進路を変えるというのはいかがなものかと。厳しい高専から逃げただけだと思われたみたいなんですけど、
どうしても工業製品の製造よりもソフト開発の方に興味が出てきたので。
村上 なるほど。実際に入ってみてどうだった?
石倉 ギャップはありました。高専でやっていた数学が大学の数学の授業で、大学に入ったら数学がないんですよね。
あの勉強は一体何だったんだ!?てなりましたよ。
村上 勉強が役に立つと感じるには時間がかかるから今は戸惑うだろうね。で、ゲームに興味を持ったのはいつから?
石倉 うちは親がゲームに対してとても悪いイメージを持っていたんですけど、
NHKのプロフェッショナルでレベルファイブの日野社長のドキュメンタリーを見てからゲームの印象が変わったみたいで、
親から「二ノ国」を買ってもらいました。そこからゲームにのめり込みましたね。
村上 入口はデジタルゲームだけど、実際にゲームゼミに入るとアナログゲームを作る機会の方が多いよね。
2年生は後期いっぱいをかけて「脱出ゲーム」を作ったけど、やってみてどうだった?
石倉 終わった後だから言えることだと思うんですけど、率直にめちゃくちゃ楽しかったです。
そこではゼミのリーダーをやらせてもらっていて大変でしたけど。
1年生の時はねぶた制作(1年生全員参加のワークショップ)のリーダーをやらないかと言われて、その時は断ったんですよ。
なんか大変そうだなと思って逃げてしまったんですね。でもねぶたが終わった後にすごく後悔して、ゲームゼミではリーダーをやらせてもらいました。
色々やらせてもらいましたけど、やはり自分の実力不足を思い知って…
村上 何に対して実力不足を感じた?
石倉 危機感ですかね。スケジュールは最後の土壇場で何とかなったんです。
毎日夜7時からゼミメンバーとスカイプで会議をして最終的な形にすることができたんですけど、
それでもそれを最初の段階から出来ていなかったというのは、「こういう時間の使い方をするとこうなる」ということがイメージできていなかったからだと思うんですね。
何か失敗をしていたら「こうしなければならない」というのが分かるじゃないですか。
でも初めての時ってそれが分からないから危機感を抱く事もなく制作の終盤で焦ることになった、というのが一番の反省点です。
村上 それでもなんとか完成にも漕ぎつけて、ゲームのレベルデザインとしては過去最高に良く出来ていたなと感じたけど、ここで今回の脱出ゲームの見どころを紹介してもらおうかな。
石倉 ゾンビを研究しているある研究所にお客さんを閉じ込めて、そこから60分という制限時間内に研究資料だったり落ちてるモノだったり、
時にゾンビすら利用してこの部屋から脱出しなさい、というゲームです。
村上 そこからどんな体験を提供しようと思った?
石倉 やはり脱出ゲームなので制限時間が迫ることへのハラハラドキドキとか、
それでいてゾンビが登場するようなシュールな場面もあったりして、その感情の温度差を作り出したかったです。
モノと謎とストーリーが組み合わさるのは当然なんですけど、それにプラスしてキャラクターがいたという点が面白かったですね。
これらが一体化して雰囲気作りがうまくいったと感じています。
脱出ゲームの制作現場で指示を出す石倉さん。(右から2番目)
村上 巷ではスクラップさんの「リアル脱出ゲーム」がものすごく流行ってるけど、そもそもどうして人は「脱出」というものに惹かれるんだろう?
石倉 確かに、「入室」より「脱出」の方が燃えますもんね。村上先生も授業で仰ってたように、「入室ゲーム」だと「別に入らなくてもいいじゃん」てなりますけど、
監禁してネガティブな状況を作ると「脱出せざるを得ない」となるので、必死になって逃げだす為に仲間と協力するという状況が生まれるじゃないですか。
その非現実的な脱出のシチュエーション自体に魅力を感じるんだと思います。
学生に混じって脱出ゲームに挑戦する石鍋先生(笑)
村上 ちなみに、去年先輩が作った脱出ゲームに挑戦してみてどうだった?
石倉 僕は脱出できなくて…チームを組んだ石鍋先生(プロデュース領域の先生)と一緒に死にました(笑)。
でも単純に「これ、タダで遊べるんだ」と思いました。
挑戦する前は文化祭感覚のようなものかと思ってナメてたんですけど、まさかあんなに完成度が高くて、
お金をとれるくらいの面白さなのに無料でできるなんて凄いな、て思いました。
村上 面白さ、とは?
石倉 クリアできなかった悔しさですね。一番最後の謎までたどり着いて、そこで詰まったんですが、
よくよく思い返せば冒頭の注意事項の説明の中で思い切りヒントを言われてたんですね。
これに後から気づいて自分に対する怒りで悔しくなって、同時になんて面白い仕掛けなんだって思いました。悔しいからもう一度遊んでみたくなるし。
村上 理不尽だと思わせずに、いかに自分の責任だと感じさせるかが優れたゲームデザインだし、
そう感じられるような伏線をあちこちに張ってあるから、余計に悔しいと感じられるんだろうね。
理由が分からずゲームオーバーになるものは所謂クソゲーだから(笑) で、また今年の話に戻るけど、創る上で苦労したポイントは?
石倉 やはりスケジューリングですね。あと全体の意思統一というか、どうしても自分が目先のことしかできていなかったから、「誰がまとめるの?」てなって。
先輩方を見てると全体をまとめるのがうまいなと感じるんですけど、自分は全体を見るとどうしてもソワソワしてしまって、結局自分自身が目先の作業に没頭して管理ができなくなるんです…。
村上 誰しも最初はよくやりがちだけど、とにかくリーダーは作業をしちゃダメ。全体をよく見て仕事を振ることに専念しなきゃね。
石倉 今回の反省点としてはそこですね…。同時に学べたところもそこですね。
3年でもリーダーを任せていただけるならこれだけはやっておきたいという事があるんですよ。
人前に出るとどうしても「嫌われたくない」と思ってしまって、ズバっとものを言う事ができずに遠慮してしまうところがあるから、
それこそ人に嫌われるくらいの気持ちでやろうとか、嫌われることを目標にしてやってみようみたいな気持ちはあります。
自分が当たり障りのないことを言っているからチーム全体がどうしてもフワフワしてしまうので、
ちゃんとメリハリをつけられる環境づくりが必要なのかなと思います。
村上 無理に嫌われる必要はないけど(笑)、明確なゴールを決めて、それを実現するための道筋をしっかり考えればやるべきことは見えてくるわけだし、
そうすれば必然的に他人にも自分にも厳しくなる、イコール優しくなれる、ということだから、それでいいんじゃないのかな。
石倉 うーん、それはそれで難しいですけどね…。でも前期の授業の中でみんなで「缶蹴り」をやったじゃないですか。
あの時はまだ学生同士が名前を覚えていなくて、名前を呼べないからゲームが破たんするという(笑)。
でもあれから急にみんな仲良くなったような気がしますね。
それまでは「単に同じ授業を受けてる人」というだけの関係だったのが、あのあたりから「ゼミの仲間」という意識が芽生え始めたように感じてます。
村上 色々経験できて、知識も表現力も蓄積されてきたと思うけど、将来の夢は?
石倉 実はまだ明確には固まってなくて…。この会社に行きたいから頑張るという考え方も大事だと思うんですけど、
今はもっと広い視点で色んなものを見ることが大事かなと考えてます。
村上 ほとんどの人が最初はコンピューターゲームを作りたくてこの学科に入って、でも実際にはカードゲームやら脱出ゲームみたいなアナログゲームを作ることの方が多くて、
そのうちに「ゲーム」じゃなくて「あそび」に対する興味が出てきて、人生の選択肢が増えすぎて余計に混乱してしまうというのが現状かもね。ポジティブな悩みだけど。
石倉 そうですね。でもその状況でフワフワしてたら何も成果が得られないから、今自分がいる状況の中でやれることをやりたいですね。
プランナーになりたいからプランナーの勉強をするんじゃなくて、自分が制作を通して得たものとか楽しいと感じたものに合う職種を探せばいいかなと考えてます。
なので出来る限り色んな授業を受けて活動の選択肢を増やすということをしています。
村上 ゴールを目指して頑張るんじゃなくて、今やってることの結果でゴールを見出していく、てことね。それも一つの考え方だし、全然良いと思うよ。
オトナはどうしても先にゴールを決めさせたがるけど、そこは学生の自由なんで、やりたいようにやればいいんじゃない?
石倉 ですよねー。
村上 というわけで、今後もぜひ頑張っていって下さい。今日はありがとうございました。
石倉 ありがとうございました。
2019年3月25日 インタビュー
ゼミ通ヒーローズ Vol.03
西川葵とUXデザインについて語るの巻
今回のゼミ通ヒーローズは、村上ゼミ4年生の西川葵さん(出身:奈良県立橿原高等学校)をピックアップ。卒業制作で「新庄弁カルタ」を発表し、大手IT企業の就職も果たしました。アナログゲームの中にあるゲーム性と、UIデザイン、UXデザインに至るまで幅広く追及し、ゲームを面白くするためのデザインについて話をしていきます。
村上 「新庄弁カルタ」が奨励賞を受賞しましたね。まずはおめでとうございます。
西川 ありがとうございます。
村上 では「新庄弁カルタ」の内容を教えてくれる?
西川 はい、これは新庄弁という言葉を使って文章を創るコミュニケーションゲームなんですけども、新庄弁を知ってる人も知らない人も遊ぶことができるゲームで、「使うことで知る」「知ってることで使えるようになる」、最終的にはこれが切っ掛けで他人とコミュニケーションをとることができるようになる、というものです。
新庄弁というのは奈良県葛城市新庄地区で話されている局地的な方言で、関西弁とか大和弁を中心にそれが独自に訛って使われたものなんです。この珍しい素材を使って何か面白いことができないかと考えて、方言の書かれたカードの意味を予測しながら言葉を繋げて文章を作るゲームにしました。
村上 単に言葉を知るだけだったら辞書みたいなものだけ置いておけば、勝手に勉強して勝手に知るんじゃないの?とも言えるけど、ゲームという形をとったからこそ覚えやすいということ?
西川 そうですね。
村上 ちなみに、過去の作品でいうと、一昨年は京都をモチーフにした「ミヤコ」、去年は奈良県をモチーフにした「ナラランド」といったボードゲームを制作してきたけど、この二つは割とゲームらしい形態の作品になってたよね。これは郷土愛みたいなものから発想した?
西川 自分が知ってるものとか興味のあるものだと、まず単純にそこが舞台になっていると作りやすいというのが動機です。私が個人的に知ってることって、他人に共感してもらいにくいんですね。京都に住んでる人だったら京都のことは分かるはず。新庄弁自体は局地的な物なんですけど、方言である以前に「言葉」であるということで、人は言葉を知ってるはず、というところに注目しました。
特に新庄弁カルタは関西弁がベースなので、分かるようで分からないというような微妙な部分が共感を呼んだんだと思います。で、その「共感できる題材である」という部分から今回の作品の題材に選びました。
村上 過去作は?
西川 「ミヤコ」の時は、あれは「パズル」「すごろく」「迷路」を組み合わせて作ったゲームになってましたね。それで「ナラランド」は、完全にすごろくでした。新庄弁カルタは、カルタがモチーフになってますね。
卒業制作展会場で新庄弁カルタに興じるゲームゼミの後輩たち。
村上 一般的に「カルタ」っていうと、百人一首みたいに読み札を読んで絵札を奪い合うというイメージがあるけど、語源はポルトガル語の「カード」だから日本にある既存のカルタとは形は違えど意味合い的にはこれで合ってるわけね。
西川 地域限定のボードゲームってたくさんあるんですけど、「トトあわせ」とか、ああいうのもカルタと呼ばれてるので問題はないかなと。もちろん既存のカルタとしての遊び方もできるようにしています。
村上 トランプと同じで、1パッケージだけど複数の遊び方があると。これはアナログゲームだけど、所謂オーソドックスなトレーディングカードとかバトル系のカードゲームとは違ってかなりの変化球企画になってるよね。今回の作品の「ゲーム性」ってどこにある?
西川 やはり「共感性」にあります。コミュニケーションツールを創るというのが私のゲーム創りの一番大きなテーマなんです。人と人、人とモノのコミュニケーションを創りたくて、例えば「人とモノ」でいうと、「新庄弁」ともコミュニケーションをとると思うんですけど、それを介してまた人と人とのコミュニケーションが生まれると思っていて、その連鎖が大きなゲーム性になっていると考えています。
村上 コミュニケーションによるゲーム性って一体何?ていうかそもそもなぜ人はコミュニケーションをとろうとするのかな?
西川 分かち合うと楽しいからですね。人のことを知ると楽しいとか。知らない人のことを知るとか。知る喜びってあると思うんですけど、コミュニケーションによって他人のことを知る喜び、新庄弁を知るという喜び、そんな喜びがゲーム性に大きく繋がっていると思います。
仲の良い人で、色々知ってる人とコミュニケーションをとる時って、楽しいんですけど時間が経つと目新しさとか刺激はなくなっていくと思うんですよ。でもゲームを介すことで新たな一面を引き出すことができて更に深く知るっていう点が面白いと思います。
村上 本学の学生がゲームの勉強をしようとするとスッと頭に入ってくる気がするのね。なぜなら日頃至る所からゲームに関する情報が少しずつ入ってきて、中途半端に知識が蓄積されてる状態だから。じゃあ例えばこれが全然違う国の言葉だったり、生きる上で絶対に話すことがないであろう言語をゼロから暗記して勉強すると、「知ろう」って気になるかどうか。知るという意味では全く同じなんだけど、そのモチベーションは明らかに違うと思うんだよね。
西川 このゲームの場合「関西弁」がモチーフになっているので、誰でも一度は聞いたことがある、若しくは使ったことがあるという言葉が多いんです。そんな「何となく知ってる」という「既にある知識」と「新たな知識」が結びつく瞬間に喜びを感じるので、それがモチベーションになっているのだと思います。先生が仰るように、ある程度予備知識があるものとゼロのもので向かい合う際のモチベーションは全く変わってきますね。
村上 英語を学ぶにしても、ラテン語が語源になっているものとか、そこから外来語として日本で崩れたものとか、そういう「少し知ってる」と「初めて知る」が結びつくことで知識欲がかなり増幅されるというのも今回のゲーム性になってるね。
西川 タイトルの「カルタ」自体がそうですしね。
村上 ましてやそれが外国語ではなくて関西弁がベースになってるから余計に分かりやすい。知ってるつもりになってる関西弁があって「多分こういう意味だろう」と思ってカードをめくった時に、それが正解だった場合は自信と安心感が喜びに変わって、逆に全然違う意味だったときには、それはそれで驚きを生むからインパクトと相まって記憶に定着する。中途半端に知ってるものが前提にあるからこそ、どっちに転んでも楽しいと思える。
西川 試作品の段階で先生と話してて、「もしこれが英語だったら同じ楽しみが味わえるのか」と指摘されてゲーム性の部分を考えたんですけど、私自身新庄弁のネイティブスピーカーなので感覚が分からないんですね。知らない人に対してどのくらいの分からなさなのかが分からないんです。もしこれが英語のように聞こえてるんだったらヤバいぞと思ったりしました。でも色んな人にプレイしてもらって反応を見ている限り、何となく喜んでいただけているというのが分かったので、これはイケるんじゃないかと。
村上 自分も実際にやってみて、知ってる言葉は全体の1/4くらい…だったかな?
西川 先生は北海道出身だからそのくらいかも知れないですね。
村上 でも言葉の響きや標準語からの崩れ方なんかを想像すると、正解不正解の確率は五分五分くらいだった気がするな。なのでとても良いゲームバランスになってると思ったよ。五分五分だからめくる瞬間にスリルがある。それでめくって「ああ、そうなんだ!」と分かる即時フィードバックが得られてより能動的になれるし。
新庄弁カルタでの遊び方の用例。意味が全く分からない文章が出来上がって笑いが起こるという場面も。
西川 面白い事例としては「えらい」とか。「しんどい」って意味ですけど。
村上 名古屋弁でもあるよね。個人的に一番衝撃を受けたのは「かたづく」かな。
西川 ああ、「嫁に出す」ですね(笑)。
村上 片付けるという扱いなんだーと思って…。あとは「はくせん」も。
西川 「くしゃみ」ですね。ハクションという擬音語が崩れて名詞になってるんですね。これも驚いた人が多かったですね。あと、「お日さま」のことを「ひーさん」と、敬って「名詞+さん」にする傾向があるんですよ。
村上 太陽だから「サン」ってことじゃないよね(笑)。
西川 違います(笑)。この言葉を面白がったお客さんが、珍しい単語を組み合わせてヘンな文章を予め作っておいて、それを友達同士でクイズにしている場面もありました。本来逆の遊び方をするんですけど、勝手にどんどん新しいルールが出来上がっていくという。
村上 そうそう。自分が遊んでても楽しいんだけど、今度はそれを誰かにやらせたくなるという副作用があって面白いね。自分の驚きを誰かと共有したくて、人が驚く顔を見てこちらはニヤリ!みたいな。
西川 ほとんどの人がそういう風に楽しんでいる感じでしたね。
村上 卒展期間中このゲームは常に大勢のお客さんに遊んでもらってたけど、そこまでウケた理由って何だと思う?
西川 共感性を呼ぶというゲーム性も大きかったですけど、コンポーネント全体の触りやすさや取っつきやすさもあったかなと思います。これは何の素材で出来てるんですか?と質問をしてきたり「触ってみたい」と言ってくる人もいて、もしこれがコピー用紙に印刷されたものだったらそんな風にはならなかったと思います。
村上 素材を紙にするか板にするかで議論した事があったね。板にすると分厚いからコンポーネントがデカくなるという問題があって、でも結果的には触り心地が良いので、板にすることになったね。
西川 制作費が10万弱なのでコストがかかりすぎて売り物にはできないですけど、でも「展示物」と割り切って見た目と触り心地重視で作ったので、それが集客に結び付いたのかも知れませんね。販売を目的とするなら間違いなく紙ベースになってました。
村上 卒業制作はお金がかかるね…。で、ゲームを創るときに気を付けたことってある?
西川 UIデザインですね。まずこれは日本語ですけど全て横字にしました。なぜかというと、縦字にするとカードを並べたときにどんどん奥に行ってしまって読みにくくなるから。友達と並んで遊ぶことを考慮すると横字にした方が圧倒的に見やすいんです。日本語である以上縦読みにすべきとの葛藤があったんですけど、それ以前にこれはゲームなのでリアリティより遊びやすさを優先すべきと判断してこのようなデザインにしました。
村上 そういえば最初のバージョンは縦だったね。つまりモノを作ったんじゃなくて、コミュニケーションというコトをデザインしたということね。
西川 はい。UX(ユーザー・エクスペリエンス=ユーザー体験)デザインという言葉が少しずつ浸透してきてますけど、ここでもユーザーのストーリーをどうデザインするかという点を最初に考えました。流れとしては、初見でその量の多さに驚いてまず展示台に近づきますよね。そして今度は素材を見て「あ、触りたい!」て思うから触るんですね。触った後は「これ何だ?」となって反対側を見ます。するとそこにも文字が書いてあって、両面に何かがあるということを理解します。そして最後に言葉の意味を理解する。つまり説明をしなくてもそこまでのユーザーのストーリーがデザインできてるんです。
ゲームで遊ばなくても、ひっくり返して見てくれた時点で私の中ではもう大成功なんです。ゲームという形で展示をしているので本来は文章を作って遊ぶというのが大目的になるんですけど、それは実はこの企画の中の副産物でしかないんですね。
村上 表向きに設定されてるゴールの手前に作者が仕込んだゴールが実は存在していたと。
西川 そうなんです。あと、よく言われるのが新庄弁を継承していこうという最終目的があると思われがちなんですけど、そこまでは求めてないんです。「そんなのあったよね」くらいの感じで、触れて知ったという経験が頭の片隅に残ればこの企画は成功なんです。
村上 存在を知ってほしかった、ていう感じかな。では実際にどうやってこのゲームができたのかという制作プロセスを聞かせてくれる?
西川 まず作ろうとした理由が、私の曽祖父が新庄弁をよく使う人で、曽祖父が亡くなったら急に周りの人も使わなくなって、世代ごとに使う人が減っていくと、私の言葉も周りに伝わらなくなっていくのではないかという不安からでした。これが気になったので地元の葛城市で市長の許可をいただいて公共の場で新庄弁の使用頻度に関するアンケート調査を行ないました。それで数値を出してみると案の定スピーカーの数が減っていましたね。しかも面白かったのは、認知度はあるけど使用頻度が極端に少ないという点でした。それでアンケートを通して得たこの感覚を何らかの形に残せないかと思ってこの企画を立ててみました。
制作工程としては、まず200個くらいの新庄弁をピックアップしてカードに書いてみました。そしてその裏に標準語の訳を書くというのをやってみたんですが、でもこれを使って何ができるかを考えても何も思い浮かばなかったんです。
暫くこのカードをクルクル回して、友達に見せてみたりしたんですけど、やっぱり何も起こらないんですね。これではゲームにならないので、カードを並べて助詞を足したり点数の概念を盛り込んだりして色んなルールを増やしてゲームの形にしてみました。一見ゲームっぽいものにはなってきたんですけど、じゃあコミュニケーションはとれているのかというと全然できていない。悩んだんですけど、ある時「共感を呼ぶ」という時点で実はゲームと呼べるものになってたことに気が付いたんです。
村上 要はゲームシステムの追及に気持ちが入り過ぎてたけど、既に「共感する」というUXがデザインされてるから、これをゲームと定義したらいいじゃないか、と判断したのね。
西川 そういうことです。先生とも話し合って、ルールとしての面白さをずっと考えてたんですけど、「果たしてそれって私が本当にやりたいことなのかな」という疑問もわいてきたんですね。カードをクルッと回す時点で私の中ではもう完結してたので、あとはこれを面白いと感じられるように拡張するだけで良いということになりました。最後にこれを形にするのは私の得意分野なので、工房に行って板を切って量産していきました。
村上 全ての思考とプロセス、あとはUXデザインに至る工程に筋が通ってるね。
西川は元々京都のボードゲームサークルに入ってたけど、こういうのはそこで得た考え方なのかな。
西川 そうですね、そこでアナログゲームの面白さを知りました。実は去年ミヤコを作る前段階でこのカルタの案はあって、先生に相談させてもらったことがありましたよね。その時は曽祖父が生きていたのでそこまでこの企画を重要視していなくて、でもそのすぐ後に亡くなって、スピーカーがいなくなるという危機感から急にこのゲームを作りたくなりました。
村上 なるほど。ではこの新庄弁カルタに限らず、西川にとっての「あそび」って何?
西川 私はやっぱり「人と遊んで楽しいもの」だと思っていて、ゲームは完全にコミュニケーションツールだと考えてます。一人用のゲームでも会話のネタになりますよね。例えばマインスイーパー(1980年に開発されたコンピュータゲーム)であってもスコアランキングが存在してるので他の人と競い合ってる感じがしますし。逆に、技術力を高めるために頑張るんだとしても、競技人口が世界でただ一人で誰とも共有できないんだとしたらプレイするかどうかは疑問ですね。
村上 一人用のゲームの場合はコミュニケーションの切っ掛けづくりができるよね。昔「トルネコの大冒険」を初めてやったとき、その死にざまの不幸自慢で友達との会話が盛り上がったし、「ゼルダの伝説」では子供が遊んで親が横で見て一緒に謎解きをするという親子の会話ツールとしても貢献してたし。
西川 コミュニケーションがあそびの基本であることは言うまでもないですけど、他にも「知る喜び」と「技術の研鑽」という要素も大きいかなと思いますね。
村上 喜ぶ、楽しい、褒めていただきたい、だからもっと頑張る、もっと褒めていただきたい、…というサイクルそのものがあそびの仕組みであり、これが人を能動的にさせるんだね。あそびって「利益を求めず精神を豊かにするもの」とも定義できるよね。
西川 精神を豊かにするというのは全てのゲームに共通してると思いますね。
村上 西川は2年生の時はグラフィックゼミに所属していて、3年と4年でゲームゼミに来たよね。今度はその経緯について聞かせてくれる?
西川 私は元々UXデザインをやりたかったんです。でもそんな授業ってないじゃないですか。それで一番近いのはゲームデザインだと考えたんですね。
村上 UXデザインという言い方はしてないけど「コトのデザイン」という意味ではゲームはUXに直結してるね。あとは空間演出デザイン学科のコミュニティデザインとか、こども芸術学科の知育玩具制作の授業もUXデザインに当たるのかな。
西川 そうですね。これは私の勝手な考えなんですけど、UIデザインが積み重なってUXになってると思うんですよ。UIという2D素材が重なってUXという立体物になっていくイメージですね。ということは、ゲームデザインを学ぶならまず先にUIデザインを学ばなきゃいけないんじゃないかと考えて、最初にグラフィックデザインのゼミに入りました。最初からUXをやりたいと言っても、何も持ってないと話にならないですし。
村上 卒業制作の作品を見てると、UIデザインあってこそのUXデザインだなという感じがするよね。段階を経て順当に学んできた成果が出てると感じたよ。
西川 グラフィックゼミのとき、WeBaseというホステルの館内サインを作るプロジェクトに参加して、その時UIデザインってカッコいいとか可愛いデザインというようにビジュアルだけで語れるものではなくて、相手あってこそのデザインであるということを痛感しました。どうしても自分の味が出てしまうので、まずは人さまの事を考えるという基本を押さえた上で自分の持ち味を出していければそれでいいと感じました。先にビジュアルを美しくしても伝わらなかったら意味がないので。UIこそデザインの基本かなと感じました。
村上 色んなゲームが出てるけど、UIデザインがマズいゲームって、まず遊べない。ていうか遊ぶ気にもならない。ビジュアルに凝りすぎててタップできる場所がどこか分からないとか…。
西川 何をしたらいいか分からないゲームって最近多いですよね。
村上 アクションゲームを作るとなったら、1/60フレームで表示される情報からコンマ何秒で何の情報を視認して、どんな操作を促すかを一瞬で行わないといけないからUIデザインはとても重要だね。ゲームのジャンルによって、画面ごとに情報量も情報の優先度も違うし、視認に必要な時間も違うし、当然操作も違うので、これは勉強するというよりも現場でたくさんゲームを作って経験を積むしかない。
西川 UXという言葉が浸透してきたのもここ最近の話で、UXデザインどころか下手するとUIデザインの意味すら分からない人もまだいると思うんですよね。
村上 西川はUIとUXの研究をしてきたからこそ大手IT企業の就職も果たしたわけで、この制作で得たものは社会に出てから大いに役立ちそうだね。
西川 この会社はUXもやっていて、デザイナーが企画をすることもあるので物凄く楽しみです。
村上 じゃ、ぜひ頑張って。というわけで、西川さんとともにゲーム性やUXデザインについて語ってきましたが、かなり濃い話が引き出せたので、もうええかな(笑)。
ではでは、引っ越し準備で忙しい中お時間いただきありがとうございました。
西川 ありがとうございました。
2019年3月16日 インタビュー
ゼミ通ヒーローズ Vol.02
山中楓とリーダーシップについて語るの巻
今回のゼミ通ヒーローズは、村上ゼミ3年生のリーダーである山中楓さんをピックアップ。
統率力に長けゼミメンバーから高い信頼を得ている彼女の、リーダーシップの秘訣や考え方について掘り下げていこうと思います。
HappyElements合同授業の中でゲームプランナーを務める山中楓さん(大谷高等学校出身)
村上 山中は高校一年生の時から毎回ここのオープンキャンパスに来てたけど、なんでそんなに早い時期からこの学科に来ようと思ったの?
山中 先生とお会いしてからはもう7年目になりますね。京都造形大自体は中学生の頃に春秋座での落語を観に来たのが最初でした。
その時直感的に「私、多分ここに来る」って思ったんですよ。それまでは将来の夢について深く考えていたわけではなく、
この大学に決めて、後からキャラクターデザイン学科を選んだ形になりますね。
入った後はゲームの中身を作りたくて、もうそれしか考えてませんでした。
村上 今は立命館大学と合同でConnectというメンバーの一員としても活動してるよね。
山中 Connectでは企業からいただいたゲームの勉強会などの情報を学生に伝えて、
研究や就活の支援をするという活動をしています。
関西でゲームを研究したい学生をもっと盛り上げたいっていう意図ですね。
村上 大学のキャリアデザインセンターからも企業説明会や求人の情報を送ってくれるけど、
それだけではなく学生同士で独自のルートを作って、
そこで得た情報を関西の大学をまたいでゲームに興味のある学生にシェアする、ということね。
山中 はい、ゲーム会社の人を呼んで講演会やワークショップを開催したり、
大学間でのハッカソンを企画したり、学生同士で勝手に色々楽しくやってますね。
村上 ゲームに関する色んな研究や活動をしてるけど、
3年生の時の学科展(3年生のゼミの成果物展)ではゲームらしくないゲームを作ってたよね。
一日に一回魚が独り言を言うやつ。
山中 「BLUE BLUE BLUE」という作品ですね。あの時はいつもと違って内容をあまり重要視していなくて。
まず自分がプログラミングをやってみたくて、ドット絵の制作は友達に頼みました。
野間先生(ゲームプログラミングの先生)の授業で習ったことを組み合わせてどんなことができるのかを実験的にやってみたかったというのが大きいです。
村上先生からは何度も「これ、何が面白いの?」と言われたように、あえて人を楽しませよう、驚かせようという考え方やゲーム性を一旦捨てて、
自分がやってみたいと思ったことを詰め込んだ形になりました。UNITYでアニメーションを作りたい、時間を取得してリアルタイム処理で進行させてみたい、とか色々ですね。
村上 なんか色んな実験をしてたから、卒業制作を始めるための練習をしてるのかなっていう印象があったね。
山中 それもありますけど、今までみたいに企画一本でやるよりも、社会に出る前に一通りのことをやっておいて、
中の仕組みを理解した上で開発現場でスタッフに指示が出せるようにしたいというのがありますね。
1年生の時は企画と絵しかやってないですし、2年生は脱出ゲームの制作で、あれは私の作品というよりみんなの作品なので、
実質自分のゲームとして完成させたのってあれだけなんですよね。
村上 今更だけど、山中が「ゲーム好き」っていうのに未だに違和感があって…。あまりゲームをやらなさそうなイメージがあったからなんだけど。
山中 そうですよね、よく言われます(笑)。
村上 一番最初にハマったゲームって何だった?
山中 うちは親がゲームに対してあまり良いイメージを持っていなくて、「ゲームをやると頭が悪くなる」とか言うよくあるタイプだったので、
実際にゲームに触れたタイミングはかなり遅かったと思います。祖母からNintendo DSをもらって、「メイドイン・ワリオ」で最初に遊んで面白いと感じました。
村上 ストーリーとかビジュアルがすごいというよりも単純に遊ぶことが面白いと思ったってことね。
山中 はい。でもまだその時は面白いとは思っていても暇つぶし以上の存在ではなかったですね。その後パソコンに触れてYouTubeの存在を知って、
ゲームのトレーラーと出会いました。そこで「バイオハザード2」のトレーラーを見て凄く衝撃を受けてしまって。
村上 「バイオハザード」の一作目が出た時は、ゲーム業界内でも衝撃が走ったね。俯瞰画面かマリオみたなサイドビューしか見慣れていない状態で、
あの奥行きのあるプリレンダリングの画面を見たとき、「こんな画面でどうやってキャラクターを動かすの?」てなって、遊んでるところが想像できなかった。
山中 私も3D画面を見たときは驚きましたね。画面に対して上下左右だけじゃなくて前後の動きがあるっていう。
企業との連携プロジェクトで打ち合わせをする山中さん(左)
村上 卒業したらそんな驚きの歴史を創る仕事に就くわけで。しかも新卒でディレクター。
実はうちの大学から新卒でいきなりディレクター職に就くのは山中が初めてなんだわ。
山中 別にディレクターという職業には全く拘っていなかったんです。プランナーの進化した姿なのかなという程度の認識しかなくて。
でもインターンに行って、そこで「ディレクターとは何ぞや」という話を聞かせていただいて興味を持ちました。
村上 ディレクターはゲームの仕様書を書く仕事ではなく交渉や管理がメインになるけど、そこはもう慣れてるよね。
今現在ゲームゼミの中でもディレクター的な役割りを務めてるし、ゼミ生全体に「山中さんが言うならそれに従います」という風潮もあるしね。
山中 でも上に立ってふんぞり返るのがリーダーではなくて、誰よりも働く人というのがリーダーだと思ってるので、
まずは自分が示して引っ張っていかなきゃいけないという気持ちはありますね。
村上 2年3年とリーダーをやってきたけど、その中で苦労した事は?
山中 ちゃんと話を聞いてくれるメンバーが揃ってたので苦労したことはないです。心がけてやっていたのは、
「最初に教室にいること」「教室をきれいに保つこと」「全員に声をかけること」。
これだけは絶対にやろうと思ってました。他人から山中がどうこう言われるより、ゲームゼミとして悪く言われるのが嫌なんですよね。
ゲームゼミはみんなこうだよねとか、キャラデはこういう特徴があるよねとか。大学自体が悪い印象を持たれるのも嫌ですし。
でも命令や強制だけは絶対にしたくないって思ってるのでまず自分が動きます。
村上 外発的動機付けは反発心しか生まないからね。
山中 でも反発したって仕方がないんですけどね。勉強は嫌いだし先生はウザいし、親もウザければ何でもウザい!みたいな子って結構いて、
でもそれはそれでアングリーコントロールというか精神的に均衡を保ってるのかなって思ってたのでそれ自体に嫌悪感は抱かなかったんですけど、
私は不満を持たずに学校も先生も勉強も好きだった方が学生生活全体が楽しくなると思ってます。
村上 山中の場合はここが組織であることを意識した上で情報共有ができていて、全体が俯瞰できている状態で「自分はこうです」って主張できるから良いよね。
山中 規律を守った上で個性を出していくっていうやり方が大事なんじゃないかと思いますね。
当たり前の事が出来ない人っていうのはダメかなって思います。飛び抜けた天才は何をしても良いみたいな時代は終わったし、技術は益々どんぐりの背比べになっていって、
皆が同じものを同じクォリティで作るようになってきたから「あいつは天才だ」ていう人が減ってきたんじゃないかなと思います。
そうなった時に、上の人から見て「いいな」と思える人っていうのはしっかり当たり前の事が当たり前にできてる人なのではないかなと。
村上 まぁ、自分が学生だった頃に当たり前の事ができてたかと言われるとなかなかお恥ずかしい限りですが…。ところで、山中についてずっと疑問に思ってたことがあるんだけど。
山中 え、なんですか?
村上 時間の使い方。今は実家通いで往復3時間くらいかな?それで課題は全部〆切を守ってキッチリ出してくるし、最近まではアルバイトもしてた。
それで更には超大作RPGなんかをたくさんプレイしてしかもエンディングまで行っているから大体どんなゲームの話題になってもついていける。
そして映画も観てるし本もたくさん読んでる。明らかに世代が違うはずの劇場版シティハンターについても熱く語れるし。なんでそんなにこなせるの?
山中 そうですね、夜はいつもめちゃくちゃ早く寝るので(笑)。ていうか自分で決めた予定の通りに動けばできますよね。
中学生の頃から平日4時間、休日6時間勉強するのが癖になっていて、他の予定も何時から何時まで何をするかを書いていくんですよ。
村上 え?休日に6時間も勉強するの?って、教員がこれを驚くのもどうかと思うけど…。
山中 だって勉強面白いじゃないですか。あれはゲームみたいなもんですよ。で、スケジュールを区切っていって、食事の時間とか色々分単位で書いていくんですよ。
それを守るんですよ。そしたら予定通りに行くんですよ。
村上 ですよ…て、簡単に言うけど。誘惑とかないわけ?
山中 そりゃありますよ。15分だけゲームをやろうと決めて、14分目でめっちゃ良いとこ来た!みたいな。
村上 ミニゲーム的な感じですぐに止められるゲームならいいけど。最近はどんなゲームをやってる?
山中 最近だったら「ドラクエビルダーズ」「ドラクエ」シリーズ全部、「ペルソナ5」、「Fate」、「バイオハザード」「モンスターハンター」とかを最後までやりました。
村上 超大作ばっかりやないか(笑)。特にオープンワールド系のゲームってやめ時がないというか、やめられないように出来てるから時間管理のハードルは高いよね。
自分も2年前、超過密スケジュールの真っ最中に「ゼルダの伝説」に手を出して、30分だけやるつもりが気づいたら朝になってたってことがザラにあって、
生活に支障が出るレベルでハマった経験があるけど、ケジメをつけられるっていうのが山中の強みなんだと思うよ。
山中 私の頭の中には天使と悪魔が住んでおりましてですね(笑)、
頭のこの辺に怖い山中さんがいるんですよ。冬の朝とか、口に出して言うんですね、「起きろ」って。
そしたら起きますね。あんまり山中さんに怒られたくないので。
村上 おっ、古き良き芸大生の展開になってきたぞ(笑)。
山中 はい、山中は凡人なので何もできないんですけど山中さんは天才なので、言うこと聞かなきゃダメなんです。
村上 そういう暗示を自分にかけて厳しくするってこと?
山中 そうです。他の人に理解されないんですけどね。でも私が選んだことを…あ、山中さんが選んだことは間違いがないので信じるんです。
だから今まで生きてこれたんです。元々はゲームクリエーターになるか生物の研究者になるか警察官になるかという3つの進路を考えてたんです。
村上 バラバラですな。
山中 そうなんですけど、迷ったときに山中さんがゲームを選んでくれたのでそれを信じてるんです。私は間違え…あ、山中さんは間違えないので。
村上 ややこしいわ。
山中 なのでこの進路で大丈夫だと思いました。
村上 でも、ゼミリーダーとしてゼミ内の規律を取り締まった点では警察官の山中がいて、前回作った魚のゲームでは生物研究者の山中がいて、
それらをまとめるゲームクリエーターの山中がいて、て感じで本来やりたかった3つの選択肢が綺麗にまとまったね。まったく無駄がない。
山中 はい、無駄が嫌なので、今までは引き算で生きてきたんです。
村上 引き算?
山中 この人のここがちょっと嫌だなと思ったら自分の中からも同じ要素を引き算して、色々そぎ落とした結果が今の山中になったんだと思います。
足し算が苦手なんですね。人の良いところを真似しようとしてもなかなか難しいし。
村上 自己啓発本とか読んでも全く身につかないしね。その本を読んでる自分に浸るだけで。
山中 はい、ただこれはすぐに真似できることではないし。ていうか私、ヘンなんですよ。
村上 ヘンなのは分かってる(笑)。でも基礎がしっかりできてる上でのヘンだから全然OK。
その信頼があるからゼミ生も山中を信じて動いてるんだろうね。
その統率力の高さがゲームゼミの強みなんだと思う。
というわけで、今回はリーダーシップというものについてお話をしてきましたが、これから4年生になって卒業制作が始まるし、
今まで通りチームを束ねて頑張っていって下さい。
山中 はい、ありがとうございました。
2019年3月11日 インタビュー
粟田恭一朗+吉田光希 Part3
ビットサミット会場での吉田光希さん(中央/クラーク記念国際高等学校出身)と粟田恭一朗さん(右/大阪府立交野高等学校出身)
村上
ところで大学四年間で一番の思い出って何?
吉田
色々ありますね。7cmのヒール買って嬉しくて階段でスキップしたらそのまま落ちたとか、
三木先生のパソコンにシャンメリーかけたとか、丹羽先生にうさ耳つけて写真撮ったり。
村上
そういうことじゃなくて…まあいいや。そもそも、どうしてこの大学に入ったの?
吉田
わたしの場合、初恋相手がソニックで、次に好きなのがクロノアで(笑)、とにかくゲームが好きで小学生のころからゲームを創る人になりたいと思ってたんです。
でも中学の頃はソフトボールのピッチャーをやっていて、地元の淡路島で一位になってスポーツ推薦で高校に入ったんです。
その頃はゲームで遊ぶ時間もなくて、絵も描けなくて。そんなときに大会とか周りの期待へのプレッシャーに耐え切れなくなって、
突然イップスでボールが投げられなくなったんですね。もう怖くて怖くて。
スポーツ推薦で入った高校なのにスポーツができなくなったから学校にも行けず、
友達にも顔を合わせられなくなって半年間引きこもってしまいました。
今となってはその鬱々とこもっていた時間が大事だったのかなとも思うんですけど、その時に久しぶりにソニックを引っ張り出して遊んでるうちに小学生のころの夢を思い出したんです。
でもスポーツ推薦で入った高校にはもう戻りにくくて、親に頭を下げて通信制の高校に転校させてもらいました。
週に三日通って、それ以外の時間はゲームをしたり他の人の絵を見たり、余裕をもって考え事をしてるうちに、ゲームの世界へ行きたいと再認識して、
その時に社会の先生がこのキャラクタ―デザイン学科を勧めてくれました。ここならゲームのことが学べると教えてくれて。
で、オープンキャンパスに行って出会ったのが村上先生でした。
村上
おーっと(笑)
吉田
色々話を聞いていただいて、やりたいこととか考えてることが一致して、あとは学生スタッフだった先輩たちがみんな元気で楽しそうで
、とにかく対応が丁寧で、それでここに来たいと思ったんです。
そのときデッサンを始めてまだ5か月くらいだったんですけど、他の高校生に比べて有り余ってる時間をどう使おうかと考えて色彩検定をとったりして過ごしてました。
粟田
やっぱ、みっちゃんすごいな!
吉田
大学に入ってゲームゼミに入れていただけたのも嬉しいんですけど、オープンキャンパスのスタッフに選んでいただけたのも凄く嬉しかったです。
自分を救ってくれた場所に自分がいて、何となくわたしと同じ境遇の子がここに入ってきてくれたら嬉しいな、て思いながら高校生の相談を受けてました。そんな感じ!(笑)
山吉
ええ話やなー。
粟田
もう先生泣きそうやんか。
村上
いやー、これヤバいな(笑)。で、粟田は?
粟田
元々は他の芸大に行こうと思ってたんですよ。でも京都造形の人が高校で説明会をやってくれて、その後突然親に連れられて学校見学に行くことになりました。
それが7月のことで、そのままAO入試のエントリーをしました。
実は絵がうまい人っていうのは特別な才能があると思ってたんです。でも友達のお姉ちゃんがとても絵がうまくて、
こんな身近な人でも絵が描けるなら自分でもワンチャンいけるんじゃないかと(笑)。
吉田
ポジティブやな(笑)。
粟田
でも絵を描くということを共有できる友達もいなくて一人で絵を描いてるうちにこれがとても恥ずかしい行為なんじゃないかと思えてきたんですね。
少なくとも男子で絵を描く人は周りには一人もいなかったから。だから隠れてこっそり描いてました。
それで入試を受けたら、絵を描くことを恥ずかしくないと思う人がこんなにたくさんいる、と思って衝撃でした。
ただ高校時代は何か明確な理由があるわけでもなく何となく学校に行きたくなくなって、家でひきこもってた時期がありました。
当時は朝が来るのが嫌でしたね。日が昇ると学校に行かなきゃいけないから。別にいじめられたわけでもなく、
単に「なんで行かなきゃいけないんだろう」と思った時から急に行けなくなってしまいました。
本当にダメなやつで、「今頃みんな学校に行ってるんやろなー」とか言いながら家でヒルナンデス見て食べるご飯が世界一おいしかったです(笑)。
吉田
わかるわかる!!平日の昼間にマクド行って補導されたことあるけど(笑)。
粟田
それを家族からは「バカンス」と呼ばれて、ずる賢く欠席日数を計算して二学期から学校に行ってしれっと卒業しやがったと思われてます(笑)。
当時の先生からも「あんたが卒業できると思ってなかったわ」とか言われて。でもやっぱり二学期から学校に通えるようになったのは、この大学があったからです。
高校の卒業資格がないとせっかく合格したこの大学に行くことができなくなってしまうので、それで何が何でも頑張ろうと思いました。
吉田
こういうのって自分の中で勝手に気持ちが切り替わるものであって、誰かにアドバイスもらっても何ともならんもんな。
粟田
うん、そういう時はどんな凄い人にどんな名言を言われても全く何も響かんな。説得されればされるほど気持ちが離れていく。ほっといてくれとしか言いようがない。
吉田
でもこの引きこもりの経験がオープンキャンパススタッフとしての自分を優しくさせたな(笑)。どんな境遇の高校生が来ても全然大丈夫!
山吉
ええ話やなー。
村上
苦労した時期もあって、受賞もできて大手のゲーム会社に就職も決まって、本当に良かったね。
やっぱり色んなことを乗り越えられたのって、ゲーム的な思考とか笑いの力なんだろうね。
粟田
それでもさすがに就活のときは気持ちの余裕が全くなくて、何社受けても落ちて…。
企業の方に失礼のないようにしなきゃいけないとか、ここでヘマをすると来年この会社を受けようとする後輩にも迷惑がかかる、と考えてしんどくなりました。
それでラストチャンスとして受けようと思った会社に対しては、村上先生から「無理にカッコ良い事を言おうとしないで、
捨て身で楽しいと思えることを話して楽しんでこい」て言われて、その通りにしたら本当に受かりました。
おりこうさんより楽しい人を採用しようとする傾向があるんですかね。
吉田
どうせなら全てを楽しんだ方が良いので、わたしは面接に行くときは必ず「ショートコント、面接」て心の中で言ってからドアをノックするようにしてました。
そしたら面接中に起きる全てのことが楽しくなるんですよ。失敗しても後から笑いのネタにできるし。
村上
天才やな(笑)。
吉田
あとは就職試験を「出来の悪いギャルゲー」と呼ぶことにしてます。
村上・粟田・山吉
なんじゃそら(爆笑)
吉田
たまに「思わせぶりなこと言っといてその返し何なん!?」ていうコントみたいなやりとりがあって、多少理不尽なことを言われても仕様バグだと思うと笑えるので。
村上
その発想自体が面白い。苦境をゲームとして楽しもうとする姿勢が人生を明るくしてるように見えるね。次から次へと変なネタが飛び出してくるし。
吉田
ぶっちゃけ何も考えてないんで(笑)
村上
考えてなくてもこれだけ言葉が出てくるってことは地頭が良いんだろうね。
勉強云々じゃなくて、生きる力があるというか、世渡りが上手いというか。因数分解はできるけど人の気持ちが分からないやつとか一杯いるからね。
それよりはバカでいいから面白さについてちゃんと語れるやつの方が一緒に仕事をしたいと思う。
というわけで、かれこれ60分話したけど、まだまだ出てきそうだしキリがないのでこの辺で。
2019年3月4日 インタビュー
粟田恭一朗+吉田光希 Part2
卒展講評会での粟田恭一朗さん(大阪府立交野高等学校出身)と
吉田光希さん(クラーク記念国際高等学校出身)
村上
ちょっと話は変わるけど、一年生の頃にやっていた「発想構想演習」の授業でも、わりと二人は目立ってたよね。
吉田
わー懐かしい(笑)。
村上
このお題からよくこんなアイデアをひねり出したな、と毎回驚かされた記憶があるんだけど、そもそも発想の原点って何?なんであんなに次から次へと面白いアイデアが浮かんでくるの?
粟田
例えば、横断歩道を渡る時に白い線を外さないように歩くとか、あれって白線の上にいるのが楽しいんじゃなくて、白線以外は危険だと思ってたからだと思うんです。もしかしたらものすごく高い所にあって白線だけが足場になってるとか、黒いところを踏むとサメが出てきて食われるとか。子供の時からそういう気持ちで道を歩いてたんですよ。「こうだったらいいな、面白いな」と思いながら周りの景色を観察してます。
今でも思うことなんですけど、曲がり角を曲がったときに突然クジラが飛び出して来たらどうしようとか。でもそれって絶対楽しいと思うんですよ。
吉田
捕鯨しようぜ(笑)。
粟田
捕まえてもいいし、上に乗ってもいいし、一緒に泳いでもいいし。
吉田
食おうぜ(笑)。
粟田
食うんかい(笑)。でも今この空間でこんなことが起きたら面白いな、ワクワクするな、ということを勝手に妄想して「うひー!楽しい!」ってなります。
村上
空想好きが高じて今に至るって感じね。で、吉田はどうよ。
吉田
わたしは大喜利が好きなんです。特に連想ゲームですね。ある物事とある物事の共通点を見つけてつなげるのが楽しいのかも知れないです。
村上
大喜利が好きっていうのは、話しててすごくよく分かる。吉田は言葉遊びが好きだから、謎かけなんか得意なんじゃないかな。一つのお題に対して同時に二つの発想が瞬間的に出てくるっていうか。
吉田
確かに、絵が同時に二つ出てきますね。
村上
その絵をこう組み合わせたら面白くなるだろうというのが、理屈じゃなくて感覚で分かってるんだろうね。
吉田
小学生のときから「マザーグース」とか「世界のブラックジョーク集」とか好きでした。
粟田
わかる。卒制のキャプションも含めて、普段書いてる文章も、まるで歌ってるみたいな文章が多くて、ダジャレだったり韻を踏んでたりと、リズムと遊び心があるんですよね。
村上
自分の人生を決めるポートフォリオなのに物凄く遊びが満載だったしね。
吉田
ただ単にポートフォリオを作ってるのが楽しかったから、人生を決めるなんて意識もなかったけど。
村上
何事もすべて遊びに変えてしまうというのは二人に共通してるね。あんな緊張感一杯の合評でもプレッシャーを感じていないように見えるどころか、この状況すらもゲーム感覚で、地の底から笑いがこみ上げて楽しんでるように見える。
吉田
笑っていただけたのは良かったよね(笑)。
粟田
笑われてたんじゃなくて良かった(笑)。
村上
実はそこも気になってたんだけど、なんでいつも笑ってるの?(笑)
粟田・吉田
(爆笑)
粟田
単に楽しいからだと思います。
村上
すごい苦境に立たされてるのに、それでもいつも笑ってるよね。
粟田
笑ってると落ち着くんですよ。
村上
メンタルは強い方だと思う?
粟田
いえ、全然。クソタコナメクジですよ。
村上
防御策としての笑顔ってこと?でもそれが刷り込まれて暗示がかかってるのかもね。
吉田
笑顔という名のドラッグですね。ていうか、笑ってると褒めてくれる人が多くなるんですよ、大学って。小岩先生(音楽プロデュースの先生)みたいに笑ってると周りを明るく楽しくさせますよね。
村上
あの人いつも笑ってるもんね。
吉田
就活の面接でも「キミ、全然緊張してないね。そんなにヘラヘラしてる人あんまりいないよ」て言われます。
村上
それくらい笑わなくなった人が増えてきたってことなんじゃないかな。「ポジティブになりなさい」という言葉が強制的で恐怖にしか感じられなくなってるような気がする。
吉田
確かに、強制されることが多いとしんどいですね。正直ほっといてくれって思います。
村上
うちの大学は学生の面倒見が良い方だと思うんだけど、あれってもしかして学生からしたらプレッシャーだったりするのかな。
粟田
そうは思わないです。「言われてるうちが花」って言いますけど、あれこれ注意されてるうちに直せるところは直しておこうと思いますし。
吉田
わたしは構ってもらえて嬉しいって思います。名前を呼ばれるだけで「わーい!」てなります(笑)。
村上
承認欲求が強いのかな?それとも単に寂しいだけ?
粟田
基本的に自分に自信がないから、誰かに何かを言ってもらえるのが嬉しいんですよ。
村上
褒めて伸びるタイプ?
粟田・吉田
完全にそうですね(笑)。
(Part3に続く)
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