日本画コース

どこに、どのように絵を描く……? 横断するなかでこだわりに出会う、「石膏下地」の授業【文芸表現 学科学生によるレポート】

違うジャンルを学んでいても、芸術大学でものづくりを楽しむ気持ちは同じ。このシリーズでは、美術工芸学科の取り組みの現場に文芸表現学科の学生たちが潜入し、その魅力や「つくることのおもしろさ」に触れていきます。

 

こんにちは、文芸表現学科3年生の中村朗子です。

蒸し暑い京都の梅雨に、つい部屋に引きこもりがちになってしまいますが、そんな中でひとつのものに捉われずに広く世界を見ることの大切さを思い出させてくれる、日本画コース2年生の授業にお邪魔しました。

 


 

人類は古来から、なにがなんでも絵を描いてきた

 

日本画コースでは1年生で日本画の基礎を、2年生ではそれ以上の多種多様な方法を試していくそう。

今回はもともと西洋絵画で使われていた石膏下地を学ぶ2年生の授業にお邪魔しました。

 

石膏は、プランクトンや生き物の骨が海底に堆積し、長い年月をかけて堆積し出来たもの。

イタリアなどの西洋で豊富に取れ、近代以降に輸入を通して日本に取り入れられたものです。

その石膏を土台となるパネルの上に塗り、マチエールを作ったり絵の具の発色を良くしたりするものが石膏下地です。

 

 

「人類と一緒に初めから紙が存在したわけではないから、昔はあるもののなかから自分たちで選んで使っていた」という言葉が印象的でした。

 

紙が登場する前、西洋でも東洋でも壁や絹、木の板などに試行錯誤して人類はなにがなんでも絵を描いてきました。

あるもののなかで何を使うのか、昔から繰り返されてきた選択を学ぶ、ワクワクと緊張感がある授業です。

 

ジャンルを横断することで見えてくるものは「固定概念」

 

自分になにが出来るのかを知って選べる状態にしておくことが重要だと高畑先生は語ります。

 

▲石膏下地を実演で作っていく様子

 

「今回の授業で石膏下地を二度とやりたくないと思っても大丈夫」

試してみてやってみなければわからない、ただ自分が欲しいと思った時にすぐ取り出せるようにしておいてほしい、と理科の実験のように石膏下地の技法が実演されました。

 

学生はメモをとったり映像に収めたりと、思い思いの方法で「すぐ取り出せる引き出し」をつくっていきます。

 

▲メモをとる学生たち

 

手数を増やしておくことは武器を増やすことでもあり、ジャンルに囚われずに技法を横断し、自分を自由にすることで独自性が生まれていくそうです。

 

「つくるための時間」をたくさん確保してくれる授業

 

日本国内外の技法材料を学び、実践を通して比べることで、日本画とは何なのかを考えるというのが今回の授業のテーマ。

 

なにが日本画なのか、なにが日本画ではないのか。日本画の素材や技法でなければ日本画ではないのか。さまざまな問いをめぐる手探りと実践の時間が、そこには流れていました。

 

古くは、権力者などの富裕層が画家に絵画を注文し制作されるものでした。厳格な徒弟制度の中で技法は秘匿され作家性が求められなかった時代があったといいます。

 

しかし、明治維新で西洋の文化が入ってくる際に,「西洋画」のつい概念として「日本画」という言葉が生まれました。

そのため、それ以前の日本の絵画を「日本絵画」と呼び、明治以降に生まれた日本の伝統的な技法を使った新たな絵画を「日本画」と呼ぶようになりました。

戦後の地涌主義思想の影響を受けて「日本画」も様々に変化しています。

 

技術だけではその自由の波を乗りこなせない、興味関心を持って考え、変わり続ける。まさに横断の発想です。

 

今回の授業で驚いたのは、自由な時間が多いことでした。

作品を作るために時間を無駄にせず効率よく使う練習をしています。

 

「制作の準備をしたり、参考にする作品を調べたり、つくるための時間にしてください」という先生の言葉に学生たちは一斉に動き出します。

 

学生が普段どんなものを見て作品づくりに活かしているのか、そこにも横断が息付いていました。

 

「自分の軸で考えないと絵が完成しなくなる」

 

日本画だけではなく西洋画集や浮世絵の本の数々が並べられ、なかには映像作品から着想を得ているという学生の姿もあります。

映画作品の色が格好良い、と話す学生の絵を見せてもらいました。

 

▲学生が制作した作品

 

日本画でよく使用されている岩絵具と、デザインの分野で使われているアクリルガッシュを混ぜて描いたのだとか。

 

画面の明るさと暗さのバランス、そして寒色と暖色をどう使うのかという部分にこだわりがあるらしく、その画面構成のバランスの意識は確かに映像的です。

 

ジャンルに捉われず多様な道を確保しておき、好きなものを抱きしめたままつくることは、そのまま作り手の背骨となり姿勢を支えてくれる御守りになるに違いありません。

 

好きなものを選ぶために、大学で技術と知識を学んでいます。

「自分の軸で考えないと絵が完成しなくなる」という高畑先生の言葉に、授業で余白のある、自分で考えて行動する時間が確保されていることの意味を考えさせられました。

 

 

取材記事の執筆者

文芸表現学科3年生

中村朗子(なかむら・うららこ)

福岡女学院高校出身

 

大学2年の頃から、自分自身という流動的で偏りもある「ものごとを受けとめる器」を用いて、だからこそ、「全体重を乗せて書ける、社会的な出来事への考え方」を発表してきた。

傷やユーモアにまで踏み込む、勇気のある言葉選びが特徴的だ。
その姿勢はこれまで記してきたノンフィクション作品のタイトル、「どうせ人生幸せなんだから」「自分の顔はどうあがいても一つしかないけれど、この世には人類がこんなにも溢れているし、しかも全員パーツが違うなんてこんなに素晴らしいことはない」などにも反映されてきた。

現時点では、装飾(広義のファッション)やフェミニズムについて記しているところ。人を元気づけ、いまの時代に対応してアップデートできるような言葉を探している

 

 

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