- 2014年11月25日
- 日常風景
卒制ブログ11/24より「流刑芝居 第十二弾!」
終幕から一夜開けて
昨日の公演をもって私ども流刑芝居の卒業制作公演「エフェメラ・わが愛その後のコックサッカーブルース恐怖の政治劇二幕」は終幕いたしました。
長かったようで短かったようで、でもよくよく考えてみると前半の記憶があんまりなかったり、昨日の飲み会の記憶もあんまりなかったり、思いだそうとすると辛かった記憶が走馬灯のように蘇って、それがなんだか心地よかったりする嵐のような半年間でございました。
両日とも200名近い数のお客様に御来場いただき、こんな嬉しいことはないと流刑芝居一同感無量でございます。本当にありがとうございました!!感謝感激雨霰!わっー!!
さて、ここからは少し落ち着いて、私なりに舞台について書かせていただこうかと思います。
舞台って一体何のためにあるのでしょう。
この情報社会で娯楽のありふれている現代に舞台という文化はどのようにして存在しているのでしょう。
作品をただ上演したいのであれば映画をとればいいし、物語をえがきたいのであれば小説をかけばいい。
こんなに回りくどく、コストパフォーマンスの悪いものをなんで我々はやってるんだろう。
この疑問は、私と座長である石井歩とがこの流刑芝居を立ち上げたときに最初にもった疑問であり
、今も尚追い求めている問題であります。
それについて明確な答があるわけではありませんが、なんとなく言葉にするならば、
舞台とは社会を写し出す鏡だからなのではないかと思うのです。
社会の一部分を切り取りそれを写し出すことができるからこそ、舞台には価値があり、
現代まで続いてきたのではないかと思うのです。
そこには思想は勿論、文化、政治、宗教等を内封し、
その中で生きている登場人物はその時代を本当に生きるていると言えるのではないでしょうか。
それ故に、舞台とは膨大な歴史書であり、学問なのだと思います。
そんな一面を少しでも本公演で出せていたら嬉しく思います。
長々と失礼いたしました。
最後になりましたが御来場いただきました皆様、この企画に関わって下さった皆様、
本当にありがとうございました。
皆様のお陰で公演まで漕ぎ着けられたと思っております。
特に後輩の面々には色々迷惑を掛けました。
特に私は演出助手のみずほには感謝してもしきれないくらいだと思っています。本当にありがとう。
色々ありましたが本当に楽しい半年間でした。こんな感じ締めくくりに入っとりますが、
流刑芝居はこれで解散するわけではありません。
むしろ、私は次回作の執筆を今日開始したりしております。
そして五期生の卒業公演もまだまだ折り返し地点。
来月には佐藤有華率いる器の公演が控えております。
楽しみだな~
ではでは。
流刑芝居 演出 山本善之