- 2016年6月17日
- 日常風景
【教員紹介】第10弾:岡田先生
「情報デザイン学科をもっともっと知ってもらいたい!」ということではじまった、
インタビュー企画の第10弾!!
おしゃれでさわやかな優しいお兄さん?いえいえ、エッジの効いたデザイナーです!
今回は、“しなやかな感性が光るグラフィックデザイナーの新星“
岡田将充(おかだまさみつ)先生のご紹介です。
主な授業: イラストコース1年次「観察・思考・発想力基礎」
イラストコース3年次「総合演習 -ビジュアライズ-」
29歳という若さでこの春から専任になられた岡田先生は、情デを卒業した先輩でもあるのです!
坊主頭で過ごした高校時代から、制作に明け暮れた大学時代、
デザイナーとして活躍されている現在まで、たくさん語っていただきました。
岡田先生の意外な一面も明らかとなったインタビューをどうぞお楽しみください!!
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話し手|情報デザイン学科 専任講師 岡田 将充 先生
インタビュアー|イラストレーションコース 2年生 遠藤 真裕子さん(写真 左)
情報デザインコース 2年生 青柳 美穂さん (写真 右)
◎ こだわりの丸メガネは、ハリーか、新渡戸か、レオナールか…!
遠藤(以下、遠):早速ですが、いつから丸メガネをかけ始めたんですか?
岡田(以下、岡):えっとね、丸メガネにしたのは大学3年生かな。20歳のときに丸メガネデビューしました。だから8年目だね。
遠:先輩だあ!(遠藤さんもふだんから丸メガネをかけています)もともとメガネをかけてたんですか?
岡:そうそう!高校の時から目は悪かったんだけど。黒板は目を細めればなんとなく見えるやん?でも大学ってホワイトボードだから全然見えなくて、それでメガネデビューしたの。最初にかけたのは頭がよさそうに見える横に長いやつ。
遠:知的な感じのやつ。
岡:大学1年のときはメガネに合わせてネクタイなんか締めてたんだよ。
青柳(以下、青):え~~!?
岡:だけど、3年生になったときに変わりたいって思って。どこを変えるか、ってなった時に、メガネって顔の面積占めてるから結構変わるかなって思って。で、丸メガネにしたら、次は髪型がしっくりこなくなっちゃってね。
青:あ!昔ロン毛だったんですよね?
岡:そう!ロン毛が全然合わなくなってマッシュにした。それからずっとマッシュ。
遠:メガネのブランドにこだわりはありますか?
岡:最初に買った丸メガネは、そこまでこだわりはなかってん。次の次くらいからこだわりが出てきて。今はイギリスのブランドだよ。
青:どこのブランドですか?
岡:「オリバーゴールドスミス」って知ってる?イギリスの老舗で、もう90年くらいつづいてるのかな。ジョンレノンがかけてた丸メガネもオリバーゴールドスミスだよ!
青・遠:へ~~!
岡:それで、いま青柳に貸してるやつが「オリバーピープルズ」っていうブランド。「オリバーピープルズ」はアメリカのブランドで、これは1987年にデザインされたやつやねん。僕が生まれたのが1987年!だから同い年なんよ。
青・遠:え~~!!
岡:みんなは制作でカッターとか使うでしょ?経験あると思うんやけど、直線を切るのはわりと簡単にできるけど、曲線って美しく切るのが難しいよね。それと同じで、丸メガネって技術力がすごく詰まってる。丸メガネはこだわれる要素がデザイン的にも多いねん。追及するとおもしろい。素材とか鼻パッドとか。
遠:丸メガネかけてる人って、個性的でぱっと見、普通の人じゃないな!って感じがします(笑)
岡:結構な確率で言われるのはハリーポッター(笑)
青・遠:あ~(笑)
遠:私、新渡戸稲造(にとべいなぞう)て言われたことあります(笑)
岡:新渡戸ね!(笑)僕が一番多いのは、藤田嗣治(ふじたつぐはる)!
青:うわ~~!似てる!!!(笑)
◎ 赤靴下にまつわる噂の真相
青:先生は赤い靴下しか持ってないと聞いたのですが…。
岡:それどこで入手した情報なの(笑)おしい!正確には今年の4月までは赤靴下しか持ってなかったです。
青:なぜ今年の4月まで?
岡:今年の4月から方針を変えたから。それまで僕のトレードカラーは赤って決めてたのね。だから赤い靴下しか履かないって。3年間くらいずっと毎日赤い靴下を履いていたけど、4月から変えたんだよ。
遠:3年もやってたんですか!(笑)
岡:最近はね、服に合わせた色。例えば上着と靴下が合ってるとか、どっかがどっかに合ってる色の靴下を合わせるって方針です。
青:ほお~~。
岡:だから家に靴下の色が豊富にあって。たくさん揃えてます!
青:どこで買うんですか?
岡:おすすめなのは「ファルケ」の靴下。大事な日とかプレゼンの日とか、そういうときにファルケの靴下履いてるよ。
遠:靴下変えると気が引き締まるの、わかります。私、プレゼンのときとか金色の靴下よく履きます!
岡:金色!?(笑)
遠:金!のラメが入ってる靴下。何回も履きすぎてなんかにごってきてるけど(笑)見えないところで、よし!がんばるぞ!みたいなの好きです。
岡:大事やね!そのこだわり。
↑ 今回の取材ではたまたま3人とも持っていた、赤靴下&ナイキのエアリフトでおそろいに。
◎ 丸坊主、バスケ、マッチ棒。
遠:先生の学生時代のことを教えてください。
岡:僕はね、工業高校出身なんですよ。
遠:えっ!!!
岡:丸坊主やったんよ。ずっと。
青・遠:え~~~~~!?!?
岡:僕、小学校から高校まで坊主だったんです。スポーツマンでね。こう見えてずっとバスケットボール一筋で。
青:モテるやつだ。
岡:いや、全然モテなかった。僕、ひょろっとしてるじゃないですか。それでいて坊主だったから、マッチ棒みたいだった(笑)
青・遠:(爆笑)
岡:しかも部活のきまりとかじゃなくて、スラムダンクの桜木花道に憧れてまんまと坊主にした系。
青:かわいい…。
岡:工業高校に進学したのは、簡単に言うと「お勉強」ができなかったんですよ。学校の成績が悪くて行ける高校が限られてたの(笑)少ない選択肢から工業高校に行くか、と。別にやりたいことがあって工業高校に進学したわけじゃないから、なんとなく三年間過ごして。ただ、そんな中でおもしろかったのが製図。僕、船を作ってたんですよ。
青・遠: へ~~!!!
岡:多少デザインの仕事にもつながってるところがあるなって思います。
◎ 「世間が僕を受け入れてないんだ、僕を歌手にしようとしてないんだ!」
遠:高校卒業後の進路はどうやって決めたんですか?
岡:工業高校って基本的にはみんな就職していく。だけど僕は働きたくなかったし、卒業した後、工業に関わって生きていきたいわけでもなかった。どうしようかなと思って。それで、前から興味があった歌手になろうと思ったの。
青・遠:え~~!?!?!?
青:バンドとかやってたんですか??
岡:バンドと言える活動はやってなかったけど。友達と集まって公園で歌ったりとか(笑)
遠:先生の担当は?ギター?ボーカル??
岡:ギターは、指が短くてダメだった(笑)すごい下手くそで、どうやっても音がにごる(笑)これは向いてないと思ってボーカルに専念したの。
でも親には芸能界は不安定だ!って理由で反対され、バイト禁止の高校ではレッスン代も自分で稼げないから、独学でボイストレーニングをしてました。腹式呼吸とか発声法とか、毎日の生活の中に取り入れてたんだよ。歌手になることを結構本気で夢みて。
遠:へ~!
岡:デモテープを作って、親に内緒でいろんなレコード会社に送ってみたんですよ。だけど、どこからも、何の連絡もなかった。
遠:うわ~、悲しい(笑)
岡:これは向いてないってことかと。世間が僕を受け入れてないんだ、僕を歌手にしようとしてないんだ!と(笑)
青:世間が(笑)
岡:当時は行動力もなくて、歌手になる夢もそこであきらめちゃって。じゃあどうしよう?と悩んでさ。当時はほんまに好きなことがなかった。
青・遠:う~ん。
岡:で、いろいろ方向転換して、たどり着いたのが芸大。当時はもっと楽な世界だと思ってたの、芸大とか美術系がね。好きな絵だけ描いていられるんだろうなぁくらいの気持ちで受験した。そんなだったから、見事に入試も落ちまくったんです。AO入試も推薦入試も「一般前期」も全部落ちてしまった(笑)
遠:スーっと、楽々と入られたんじゃないかと思ってました。
岡:高校の卒業式の時は、クラスで僕だけが進路決まってなくて。
遠:めっちゃツラい(笑)
岡:もうどうにでもなれ!って気持ちで肩の力が抜けたのか、最後の最後、「一般後期」でやっと受かったの。すべり込みでぎりぎりでね。
でも、入学できたはいいけど、目標があって芸大に来たわけじゃなかったから、当初はもうすごいダメなやつで、「お前は最下位で入学したんだぞ。70人クラスの70番目なんだよ」って、親に言われて。「だから遊び呆けてたらダメなんだよ」って。素直にそうやなと思った。ずっと70番で学年が上がっていくようでは意味がないな、と。そこからスイッチが入ったんです。その時から、勉強せな!上に行かな!と思って、自分なりに一生懸命頑張りました。
青:情報デザイン学科を選んだのはなぜなんですか?
岡:なんとなくグラフィックデザインかなって。高校時代に製図をしてたし、歌手を目指していたというのもあったから、超ベタな理由やねんけど、CDジャケットとか作れたらいいなあ、くらいの感じで当時のコミュニケーションデザインコース(現在の「情報デザインコース」)を受けて。
↑先生の作品をプロジェクション。前に立つと作品の中に入り込んだような不思議な気持ちに。
◎ ひたすら制作に明け暮れた、大学時代。
遠:スイッチが入ってから、どんな生活をされてたんですか??
岡:とにかく作品をつくってたよ。大学2年生の時から、同級生や先輩たちとBACADESIGNというユニットで活動してた。今もつづいてるけどね。現代アートっぽいこともやってみたり。あと個人制作では、授業課題以外でいっぱいグラフィックをつくってた。展覧会も何回もやったしね。学生時代だけで7回はやったんじゃないかな。
青・遠:お~!すごい!
岡:最近はメンバーがそれぞれ仕事してるから、なかなか活動できてないけど、ずっとつづいてるよ。
遠:いいですね!学科は関係なく集まってたんですか?
岡:スタートはコミュニケーションデザインコースのメンバーだけだったけど、徐々に、やりたいことによって別のジャンルの人を入れたりとか。臨機応変にメンバーもかわるって感じです。
遠:じゃあ作品の形態もその時々によって違ったんですね。
岡:印象深いのはギャラリーにピザ屋さんが会期中毎日、配達をしてくれるっていう作品をメンバーと考えてね。
青・遠:え~!
岡:グループ展やってんけど、ギャラリーの展示台の上に某ピザ屋さんのメニューだけが置いてある。それだけが作品かと思った人もいただろうけど、会期中はドミノピザの人が毎日ナチュラル~にギャラリーの中に入ってきて、展示台にピザを置いて帰っていくっていう作品。タイミングが良い人はその光景も観れる。
青・遠:(笑)
遠:それはどんな意図があってやってたんですか?
岡:ギャラリーの展示台の上に置かれたピザって、食べ物のピザなのか、それとも作品になってしまうのか。見る人によって、その価値観ってどう変わるんだろう?っていう実験的な作品展示だったかな。
遠:へ~!
岡:でもね、結果的には結構食べられたんだよ。
青・遠:(笑)
◎ 卒業後の進路のこと。フリーランスで働くということ。
青:先生はフリーランスのデザイナーとしてお仕事されてますよね。
岡:僕は4年生の時に、フリーランスになろうと決意したんだ。就活しているクラスメイトと、していなかった自分を比較した時に、みんなすごいなと思って。こんな風に自分はできない、これから同じ土俵で戦っても自分は力を発揮できないんじゃないか、って思うタイミングがあって。
当時、関西でフリーランスで活動してる人って、身近な所ではほとんどいなかったの。30代とかで独立してる人はいたけど、20代でフリーランスって人はいなかった。
だから発想を転換して、ライバルが少ないならその隙間ってねらえるんちゃうか?って思ったのがきっかけだった。
最初の2年間は本当に苦労して、まともに稼げなかったんだけど、地道にコツコツと、とにかく頑張って意地だけでつづけてた。転機はフリーランス3年目の25歳の時、『月刊 MdN』の「アンダー30新世代のデザイナー」という特集でその10組の中の1組に選んでもらったこと。それで、京都や東京のクライアント、編集者の方が「京都に若くて一人でがんばってる奴がいるぞ~!」って。そのあたりから軌道に乗ったというか。自分の判断は間違ってなかったと思った瞬間やった。
青:東京の方が仕事があるし、やっぱり中心やから東京に行った方がいいよって、周りにずっと言われてきたので、京都で働くことが強みになるっていうのは発見でした。
岡:うん。やりようはいっぱいある!東京も確かに魅力的だよ。ただ一番よくないのが、なんかその、なんていうんやろ。根拠のない無駄なこだわり?(笑)
青:あ~〜。
岡:東京を目指すのはもちろん悪いことじゃないけど、なんで東京で働きたいのかって理由がちゃんとないと、行っても難しいやろなとは思う。
遠:たしかに「ただ行きたい」だけだと、見失って埋もれちゃいそう。
岡:東京は東京の、関西は関西の良いところもむずかしいところもいっぱいある。どっちが正しいっていうことはないけどね。
遠:なるほど…。
岡:あとね、自分でやってきて今感じるのは、一度企業に就職して仕事の仕組みを勉強してから独立しても遅くはなかったなぁ、って。
遠:会社でしか学べないこともありますよね、たぶん。
岡:あるある。あると思う!僕はここまで独学で思うように仕事してきたから、会社で働くことで得れたこともあっただろうなって、ちょっと興味はあるんだけど。
でもこういうことって、絶対的にどっちがいいとかの話ではないやん? 最終的に自分がやりたい仕事を、楽しいって実感できる環境で出来ているのが一番いいでしょ。自分がやったと言える仕事があると良いよね!
◎ 「デザイナー」の目線、「先生」の目線。
青:最後に、今のイラストレーションコースについて、先生ではなくデザイナーとしての立場から見てどう思われますか?
岡:デザイナーとしては、学生の作品を、一緒に仕事ができるか、グラフィックデザインの中で通用するイラストを描いてるかどうか、っていう目線で見ているところがある。
自分の好きなものばかり描くんじゃなく、学んだスキル、表現をどういう風に社会の中で役立てようとしてるか、それを意識できているか。メディアに合わせて絵を描き分けられるか、いろんな構図で描けるか。人物だけじゃなくて、雑貨や建物は描けるか、とかね。いろんな引き出しを持っているイラストレーターになってほしいなって思う。
そいういうことが社会で仕事する上ではとても大事。で、それができて作風だと思うのね。自分のテイストをどういう風に出そうかとか、コンセプトを掘り下げ考えることももちろん大事なんだけど、いろんな案件に応えられるバリエーションは欲しい。これがデザイナーとしての視点です。
デザイナーとして学生の作品を見た時に、足りていない部分を感じたら、そういうところを補える授業を組み立てなくては!と思うのが先生モードかな。
遠:なるほど…!
岡:あと、みんなに伝えたいのは「お客さん」じゃないからね、大学生って。大学は自分から学ぶところだから。自分でやりたいことを見つけて、教えてもらいたい先生のとこに行って教えてもらうといいんだよ。授業以外でどれだけ自分で積極的にやるか。みんなに対してそんなことを思う。まだどこか与えられて当たり前みたいなところがあるよね。
遠:大学に甘えすぎるのはよくないってことですかね。
岡:甘えていいんだけど!もっとうまく大学を使ったらいいんです。やりたいことをやったらいいんです。遠慮しなくていい。今のうちに失敗を積み重ねなさい!
青・遠:はい!今しか出来ないことをどんどんやっていこうと思います!!!
記事/遠藤 真裕子、青柳 美穂 写真/常 程(情報デザインコース4年生) 編集/小笠原 瞳
《 岡田先生に聞いた! 20歳のときに読んでおきたかった本 3選 》
「デザインすること、考えること」 五十嵐威暢 著(朝日出版社 、1996年)
「みえないかたち 感覚をデザインする」 吉岡徳仁 著(アクセス・パブリッシング 、2009年)
「マイ仏教」 みうらじゅん 著(新潮社 、2011年)
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ほのぼのとしたムードの中、岡田先生の意外な過去を知ることができた今回のインタビュー。
さらに先生のファンになった方も多いのでは!?
優しいお兄さんのような存在でありつつ、ときおりあらわれる鋭い一言に、在校生のみなさんもよい刺激をもらえたのではないでしょうか?
岡田先生、ありがとうございました!
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スタッフ:小笠原
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