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アートライティングコース 綾仁 千鶴子 【学科賞】

若かりし頃の夢だった芸術大学への進学。アートライティングに可能性を感じ「書くこと」による表現を探求しようと決めた。最終年度の夏を迎えたが卒業制作の核心が見いだせない。では身体を動かしてみようとまちを歩くうちに、書くことや生きることに奮闘する自らの姿をそのまま描くという着想を得た。文章が形になる過程で、これまでの記憶が昇華され、新たな生を与えられるような体験をした。このまちの風景の美しさ、大切な居場所、さまざまな人の言葉に支えられたこと……どれも「書くこと」によって捉えなおすことができた。
この作品が、生きづらさや孤独を抱える人の一助となることを願うとともに、今後も「書くこと」を通して表現を続けていきたい。


島根県

「書くこと」のチカラ――言葉の贈り物

【本文】
 目が覚めると、霧のたちこめる朝だった。水蒸気を頬に感じながら、いつもの通勤路を自転車で走る。松江城のぐるりを取り囲む堀川に差し掛かる。宇賀橋から左手を眺めると、北堀橋とかすむ背景のコントラストが水墨画のようだ。霧が消えたら、今朝はきっと晴れるだろう。広がる青空を想像してペダルをこいだ。

 大学進学を機に島根県松江市に移住してから30年が過ぎた。その間、アートやまちづくりの市民活動に積極的に関わってきた。活動の間は「ヨソモノ」の自分を意識せずに、自分の考えを述べ、創造的な活動に浸ることができた。それは、まごうかたなき「ヨソモノ」の自分にとって、このまちで「居場所」を探す旅のようなものだったのかもしれない。
2021年以降の2、3年は厳しい時期だった。健康を損ねて休職し、外出を控えるうちに人との関わりが激減し、コロナ禍による市民活動の休止やなじみの店の閉店に失意を覚え、喪失感を抱えながら日々を過ごした。
この先どう生きて行けばよいのだろう、と思いつめる中でヴィクトール・フランクルの著書『夜と霧』の言葉に出会った。
 偶然つけたテレビから朗読が流れる。フランクルの思想と人生をテーマにした特集番組で『夜と霧』の一文が朗読されているところだった(注1)。心を動かされ、さっそく図書館で本を借りて読むことにした。
 『夜と霧』は、ユダヤ人の精神科医フランクルが、第二次世界大戦でナチス・ドイツ軍が設けた強制収容所における人々の行動や心情について、そして人が生きる意味について自らの経験をもとに記したものだ。この作品が世界中で読み継がれている理由は、収容所での体験記にとどまらず、普遍的な問いである「生きる意味」について書かれているためであろう。フランクルが提唱する「ロゴセラピー」は、まさに「意味」を軸とする心理治療法(注2)である。
 作品中、最も衝撃を受けたのは、「生きる意味」を「コペルニクス的」に転回させるという記述である。天動説から地動説へ発想を転換するように、「生きる意味」を180度方向転換させること。「わたしたちが生きることからなにを期待するかではなく、むしろひたすら、生きることがわたしたちからなにを期待しているかが問題なのだ。」(注3)つまり、生きる意味は自己の外側にあり、与えられるものだという受け身的な発想から、わたしたちは、生から、生きる意味を問いかけられている主体だと、主客を反転するのである。「生きるとはつまり、生きることの問いに正しく答える義務、生きることが各人に課す課題を果たす義務、時々刻々の要請を充たす義務を引き受けることにほかならない。」(注4)とフランクルは述べる。その言葉にはっとした。与えられた生をどう生きるか、それがわたしたちの「生きる意味」なのだ。
 フランクルは、こういった問いかけへの応答を「意味の実現」と呼び、どんな人でも意味のあることをしたいという「意味への意志」(注5)があると言う。先述した番組では、フランクルが暮らした部屋にある「苦しむ男」の像(炎とともにある男性の像)が映されていた(注6)朝起きてすぐ見えるところにこの像が置かれていたことから、彼が痛みや苦しみとともに生きることの意味を考え続けていたことが分かる。 
 改めて『夜と霧』を読むと、自らを含む被収容者の痛みや苦しみを描きながら、怒りや憎しみなど、負の感情を増幅させる意図はみられず、むしろ被収容者が監視者や現場監督から受けた善意(例えば、彼らが取り置いていたパンのひとかけら)について書かれている。

 ふと思い立ち、これまでにわたしを受け止めてくれた「居場所」(存在するもの/または跡地)をたどることにした。場所は、様々な想い出の残る「松江大橋」の周辺だ。単なる「センチメンタル・ジャーニー(感傷旅行)」に終わるかもしれない。けれど、過去と現在を比較して喪失感を感じているなら、過去に関わる場所を訪ねることで、閉ざしていた心を開くヒントが見つかるかもしれないと思ったのである。

 松江の市街地を東西に流れる大橋川は、宍道湖と中海をつなぐ位置にある。大橋川に架かる橋のひとつ、新大橋の北詰から西に向かって川沿いを歩く。水面を覗くと水は澄んでいて、足を入れたくなる衝動に駆られる。風によってさざ波が起こり、また新たな波が生まれては流れていく。いくら眺めても見飽きることのない、自然の繊細な営み。ふっと鷺が飛来し、ツ、ツ、ツとブレーキをかけながら着水する。その向こうには、首を出してゆったりと泳ぐ鷺の姿がある。川沿いの柳の多くは、いつの間にか若い樹に代替わりしていた。
 いつぶりだろう、川沿いに店を構える「objects」の扉を開くのは。民藝の品々が並ぶ、モダンなつくりの店内に井草の香りが漂う。須浪隆貴さん(岡山)による井草の道具が並んでいるせいだ。迷った末に買い物かごを予約して店を出ると、右手に見える「kagoya bar」や、小泉八雲ゆかりの宿「大橋館」(八雲の滞在当時は「富田旅館」)、眼鏡店「GLASS VALLEY」跡地を通り過ぎ、大橋北詰の「PUENTE」「BAR E.A.D」の表札を見遣って南へ、松江大橋を渡る。2車線交互通行のこぢんまりとしたこの橋は、大橋川に架かる5つの橋のうち最古であり、幾度も架け替えられたが、洪水や豪雨による水害対策として、大橋川の拡幅とあわせて再度架け替えられる計画だ。そのため、大橋南詰には、住居や店舗が立ち退いた跡の空き地が広がり、一部では遺跡調査が行われている。
 
 目を閉じて、かつての姿を思い浮かべる。橋を渡ると真っ先に目に入るのは、園山書店の2階にあるジャズバー「ぽえむ」のネオンライト。開いた窓からジャズの音色が鳴り響き、さながらニューオーリンズ(松江市の姉妹都市)のまちなかのようだ。大学時代、ジャズ通の先生の案内で初めて訪れた時の緊張とときめき。オレンジ色の照明に照らされて音楽談義を楽しむ大人に憧れた。隣の「CAFE BAR E.A.D」は蔵を改装したカフェで、リペアされた家具やレコードの並ぶ2階の窓から、大橋川と柳の木を眺めるのが好きだった。けれど今、どちらの建物もなくなってしまった。

 そして、現在。橋を渡った左側には、桜の名所でもある「源助公園」が残されている。江戸時代、大橋は洪水により破損と修理を繰り返したため、足軽の「源助」が人柱に建てられたという逸話がある(注7)。ここには、源助の慰霊碑とともに、1937年の架橋工事の際に事故で命を落とした深田清技師の慰霊碑が建つ(注8)。この桜と慰霊碑が、歴史の語り部として今後も残ることを願う。気にかかるのは、大橋の南詰に建っていたお店や住まいをめぐる「場所の記憶」が、橋の架け替えとともに薄れていくことである。

 「場所の記憶」といえば、「藤忠ビルプロジェクト」に参加した体験は忘れ難い。この道をまっすぐ進むと天神町商店街と駅前通りが交差する。交差点に建つランドマーク、1928年建築の「藤忠ビル」の取り壊しを前に、10人の仲間と3か月(2001年10月から12月まで)にわたり開催したお別れイベントが、「藤忠ビルプロジェクト」だ。実行委員会は、アーティスト、美術館の学芸員とスタッフ、大学教員、まちづくりの専門家などで構成され、準備期間を含めた約半年間、濃密な時間をともにした。時には美術館の普及活動と連動し、時には地元の商店街や有志の方とともに、廃材を使ったアートやフロッタージュのワークショップ、ダンスや映画上映、お琴の演奏会やお茶席にスペインバルなど、ビルの空間全体を使って多彩な企画が行われた。世代を問わず、ビルにゆかりのある人から初めての人まで、あらゆる人々がこの場所を訪れ、想像を超える賑わいをみせた。わたしはここで、アートプロジェクトを運営する苦労を知るとともに、アイデアを形にすることで、レトロな場所に新たな光が与えられて人が集うことに感動した。藤忠ビルは、仲間との大切な「居場所」であった。2001年12月31日の大みそかにこのプロジェクトは幕を下ろした。
 
 「藤忠ビルプロジェクト」は、建物の取り壊しを前提としており、なくなることの是非を問うものではない。また、公共事業である大橋川の拡幅や松江大橋の架け替えとは違う種類のことがらだ。とはいえ、象徴的な場所がなくなることで、その場所にまつわる記憶が薄れていく点は共通している。わたしにとっては、かつて存在した「居場所」が、ともに時間を過ごした人たちと想い出を語ることなく失われてしまった点で大きく異なる。いわゆる「喪の仕事」をしないまま現在に至ったということだ。

 月日は流れ、まちも変わりゆくと頭では理解しているつもりでも、当時を思い出すと切なさが胸を満たす。(……みんな、いなくなってしまった。)
 ふと、金子光晴の詩「かつこう」が、胸中に去来する(以下、抄)。(注9) 

  僕の短い生涯の
  ながい時間をふりかえる。
  うとうとしかつた愛情と
  うらぎりの多かつた時を。
  
  別れたこひびとたちも
  ばらばらになつた友も
  みんな、この霧のなかに散つて
  霧のはてのどこかにゐるのだらう。

  いまはもう、さがしやうもない。
  はてからはてへ
  みつみつとこめる霧。
  とりかへせない淋しさだけが
  非常なはやさで流されてゐる。

  霧の大海のあつちこつちで、
  よびかはす心と心のやうに、
  かつこうがないてゐる。
  かつこうがないてゐる。

 高校の卒業式の日、国語を担当していた野澤先生から卒業生へのはなむけとして配られたプリントに、この詩が印刷されていた。当日、野澤先生の姿はなく、文章だけが手紙のように渡された。当時出会った文学作品を引用しながら、彼の青年期を振り返りつつ卒業生の前途を激励するもので、「さまざまな苦難が君たちにおとずれますように」と結ばれるところに先生らしさを感じた。彼の授業で文学の楽しみを知ったこともあり、この詩の情景描写やもの悲しさに惹きつけられるとともに、何か大切な意味が含まれていると感じ、卒業後もこの紙片を引き出しに入れて、時折読み返していた。
 そのため、諳(そら)んじることはできないものの、この詩は心に残っていた。プリントを探したが見つからないので、記憶を頼りに図書館で原典を探し出した。声に出して、繰り返し朗読する。ひとつひとつの言葉が、すんなりと理解できる。「詩は諳んじるものだと知った」と、プリントに書かれていた言葉を思い出した。
 2024年、わたしは50歳になった。87歳という日本女性の平均寿命(注10)を想定すると折り返し地点を過ぎたところ、生涯の「まだ半分」だと言える。けれど、孤独の中では一日さえ「ながい時間」だ。そして、過去に対する後悔の念。かつてこの地で学んだ友、この地を離れたあの人はどうしているのだろう。先の見えない霧の中で、あてもなく鳴くかっこうの気持ちに自身を重ねる。一方で、愛情をうとましく感じたり、思いがけない裏切りを体験して、霧に隠れるように関係を手放した相手もいたことを思い出す。……ともあれ、今はもう「探しようもない」のだ。自責の念が、詩の言葉によって少し軽くなる。高校を卒業後、約30年を経て、詩に託された野澤先生の想いがわたしに届き、支えられていることの不思議さ。時を越えて、すでにこの世にいない作者(金子光晴)からの言葉が、野澤先生を通じてわたしにつながっている。

 その日は朝から雨だった。
 松江大橋を渡って白潟本町を進み、「出雲ビル」向かいの「STIC(スティック)ビル」を通り過ぎて左折、昼食は「Pilvi(ピルビ)」のサンドイッチと決めていた。ふとカウンターあたりで聞き覚えのある越野明香里さんの声がして振り向く。近所で古民家を改修したゲストハウス「yohaku/余白」の建設中だと言う。訪れると、店主や支援者(みな若い!)が壁の漆喰塗りを始めるところだったので、飛び入りで参加することになった。建築士の越野さんは「マツエイエムスビ」のメンバーとして、空き家の所有者と起業者の橋渡しから改修までを手掛けている。作業前の自己紹介で「学生時代に、綾仁さんが『やりたいことをすればいい』と活動を応援してくれたお陰で今がある」と、嬉しい言葉をいただいた。彼女が建築を志す大学生の頃(10年以上前だ)、同じ専攻の学生とともに手作りの明かり(ディスプレイ)を商店街に展示する企画があり、わたしは行政としてサポート業務を担当していた。
 こんな風に、仕事で報われたと感じる機会は多くない。彼女がまちや人と真摯に関わってきた延長線上に現在があり、それが新たな場づくりにつながっていることに感慨を覚えた。

 ゲストハウス「yohaku」は、立ち上げにあたり、クラウドファンディング(注11)サイト「READY FOR」で支援金を募集していたが、壁塗りに参加した時は既に目標額の100万円を達成し、次なる目標額300万円を目指していた(注12)。
 サイト上には、このクラウドファンディングの発案者・青山航平さんの考えるゲストハウスの姿や、発案に至る経緯が書かれている。彼が勤めていた「IMAGINE.COFFEE」(松江市伊勢宮町にある自家焙煎コーヒー店)で得た出会い、松江市内にある島根県立大学・島根大学の学生との関わり、準備段階で行った企画やイベント出店を通じた交流など、オープンを期待させる内容だ。メンバーについては、海外へと向いていた青山さんの気持ちを、ゲストハウス運営に転換させた大塚佳史さんのひとことや、同じくメンバーの岩本晃典さん(当時は就職活動中)との出会いについて描かれる。岩本さんはその後松江に移住し、青山さんと一緒に読書会を開催したり、大学教員としてyohakuに大学生が関わる機会を作っている。「3人のバランス」がいいと青山さんは言う(注13)。
 プロジェクトの将来像については「宿泊、朝食、学習の場といった誰もが立ち寄れるようなコンテンツを提供する」場所であり、「いつでも戻って来れる拠点にしたい。または逃げ出したい時の避難所(シェルター)のようだったり。」「どんな時でも誰かに寄り添える空間でありたいと思っています」とある。それは、彼が東京で抱いた葛藤や孤独、松江で感じた豊かさから生まれた言葉なのだろう。古い建物の活用や大学とのつながりに関しては、先の「藤忠ビルプロジェクト」との共通性を感じずにはいられない(このプロジェクトでは、交通社会実験、ビルの測量・図面作成、HPのデザインなどで大学生が活躍した)。青山さんによると、オープン予定は2025年1月1日(注14)。奇しくも、「藤忠ビルプロジェクト」最終日(12月31日)の翌日だ。

 yohakuの建設現場で、メンバーや支援者、大学生と一緒に室内の壁を塗る。ドロドロの漆喰をすくってコテ板に載せてもらい、コテで壁に広げていく。ザラザラしていて思うように広がらない。次こそはとコテで漆喰をすくい、壁に塗り広げる。少しずつコツを覚えると、楽しくなってくる。 
 ひょんなきっかけで参加したものの、いつしか夢中になっていた。新しい場所の空気、若い人たちの醸し出すエネルギーが心地よく、疲れを感じることなく夕方を迎えた。入れたてのコーヒーとサンドイッチ(お店で提供する朝食の試作)で休憩。かすかな達成感と今後への期待を抱いて帰路についた。

 変わりつつあるまちを実際に歩くと、感じるのは喪失の悲しみだけではなかった。未来に向けて、若者たちはそれぞれのスタイルでまちを形づくっている。そして、彼/彼女がつくりだす空気感は、なんだか心地よい。わたしは、かつて「居場所」で過ごしていた頃の気持ちを思い出していた。
時代は流れ、まちは変わり、住む人や関わる人は変わるけれど、全てが消えてしまうとは限らない。「想い」と言ってよいだろうか。そこにはきっと、通底する「なにか」がある。それを信じたい。

 野澤先生からの言葉が、忘れられないものとしてわたしの中に積み重なっている。金子の詩やフランクルが残した言葉は、血肉となり忘れることはないだろう。過去からの言葉、亡き人の言葉がわたしに連なり、わたしの一部になっている。この文章を綴ることで、場所と出会い、人と出会い、言葉と出会った。それらに癒され、励まされて、わたしは今日も生きている。「書くこと」が生きる力をくれた。
 「書くこと」を通じて、なにかを残し未来に伝えることが、わたしにもできるだろうか。いつの間にか、視点が過去から現在、そして未来を向いていることに気が付いた。



【概要】
○意図と目的
 うつ病の当事者が自らの体験を文章として発表することは、未だ一般的ではない。うつ病になり、この苦しみから解放されたい、誰かと気持ちを共有したいと切望した経験から、個人的な体験記を卒業制作としてまとめた。この作品が生きづらさや孤独を抱える人の一助となることを願う。

○簡潔な内容
 本作品は、「言葉」との出会いを経て、喪失感から解放へと向かうわたし(筆者)の心の動きを松江のまちの風景描写とともに卒業制作としてまとめたものである。
2021年に健康を損ねて休職し、「居場所」のない喪失感を抱えて過ごした。ヴィクトール・フランクル著『夜と霧』との出会いをきっかけに、自分にとっての「生きる意味」と向き合い、想い出の場所を何度も歩く過程で、恩師に贈られた詩(金子光晴の「かつこう」)を再読し、その言葉に救われる。また、ゲストハウスをつくる若者と出会い、時代は流れても、変わらない「想い」にふれる。それらの出会いによって、過去に向けられていた視点が、過去から現在、そして未来へと転回した。では、「書くこと」を通じてわたしは何を伝えられるだろう。

○全体の章立て
・序 松江の霧の朝を、心象風景と重ねて描く。
・「居場所」の喪失 2021年から「居場所」をなくした喪失感を抱えて過ごした。
・ヴィクトール・フランクル『夜と霧』との出会い 「生きる意味」は、与えられた生をどう生きるかにある、との言葉に衝撃を受ける。
・「居場所」をたどる旅 過去や孤独と向き合うため「松江大橋」周辺を歩き「居場所」を訪ねる。
・金子光晴「かつこう」 高校時代に野澤先生から贈られた詩の言葉が今、心に響く。
・まちと心の変化 新しくできるゲストハウスの壁塗りに参加。時代は変わっても、「想い」は変わらないのかもしれない。わたしの視点が過去から現在、未来へと転回する。
・まとめ 過去からの言葉が、わたしを支えている。「書くこと」を通じてなにかを残し、未来に伝えることが、わたしにもできるだろうか。



【注釈】※著者名は刊行物の表記に従った。
注1:2024年4月から9月まで6回シリーズで放映された、NHKの番組。作家・小野正嗣と日本ロゴセラピスト協会会長・勝田茅生の対談を柱として、『夜と霧』をはじめとするフランクルの著作からの引用、彼の生い立ちから収容所時代、戦後の活動までの紹介、関係者へのインタビューや記録映像などで構成される。番組ホームページでは各回の内容がテキストで公開されている。シリーズ「ヴィクトール・フランクル」、「こころの時代~宗教・人生~」、NHK。https://www.nhk.jp/p/ts/X83KJR6973/blog/bl/peNqP4lG9Z/(2024年11月3日最終閲覧)
注2::勝田茅生「ご挨拶」、日本ロゴセラピーゼミナール。
https://japan-logotherapy.com/message.html(2024年11月20日最終閲覧)
注3:ヴィクトール・E・フランクル(池田香代子訳)『夜と霧 新版』みすず書房、2002年、p.129。
注4:同書、p.130。
注5:注1の番組(第1回)における小野正嗣と勝田茅生の対談中、勝田の発言より。「それ(筆者補足:『意味』のあることをしたいという意志)はどんな人間にもあるんだってフランクルは考え、それを『意味への意志』とよんだ。」「『夜と霧』の著者の人生と思想から探る(1)『日曜生まれの子』その光と影 後編」「こころの時代〜宗教・人生〜その言葉が道をひらく」、NHK。https://www.nhk.jp/p/ts/X83KJR6973/blog/bl/peNqP4lG9Z/bp/p0xXv3qMP0/(2025年1月15日最終閲覧)
注6:「『夜と霧』の著者の人生と思想から探る(2)『苦悩を生き抜く』」「こころの時代〜宗教・人生〜その言葉が道をひらく」、NHK、2024年5月19日放送。
注7:松江ゆかりの文人、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は著書でこの逸話について書いている。ラフカディオ・ハーン(池田雅之訳)「神々の国の首都」『新編 日本の面影』KADOKAWA、2000年、pp.84-86。源助が人柱とされた場所に「月のない夜には、赤い火の玉がちらつくと言われている」と書く。
注8:2つの慰霊碑については次を参照。安部登「源助柱記念の碑」「深田技師殉難記念の碑」『松江の碑 碑が語る松江の歴史』、松江市歴史まちづくり部まちづくり文化財課史料編纂室、2015年。
注9:金子光晴「かつこう」『金子光晴全集 第五巻』中央公論社、1976年、pp.211-212。
注10:「令和5年簡易生命表の概況」報道発表資料(2024年7月26日)、厚生労働省ホームページ。https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/life/life23/dl/life23-14.pdf(2025年1月5日最終閲覧)
注11: クラウドファンディングとは、「群衆(crowd)と資金調達(funding)を組み合わせた造語で、インターネットを通して自分の活動や夢を発信することで、想いに共感した人や活動を応援したいと思ってくれる人から資金を募るしくみ」である。(「はじめてのクラウドファンディング」、READYFOR株式会社。https://readyfor.jp/crowdfunding/?topbanner(2024年11月28日最終閲覧)
注12:青山航平「松江市で『旅人』と『地元』をつなぐゲストハウスをつくる!」2024年10月1日 公開、 クラウドファンディングREADYFOR。
https://readyfor.jp/projects/143530?fbclid=PAZXh0bgNhZW0CMTEAAaYosC1D41mhL8uyONBKkcfkmwXWwrjE-waLmm0400rXQYwevlrcFjItTwg_aem_YzIAtACULImERGSnkWzV7A(2025年1月6日最終閲覧)
※なお、募集は2024年11月15日で終了している。 
注13:2024年11月24日、クラウドファンディングのリターン(返礼品)である「野菜の収穫とスパイス料理づくり」に参加後、青山さんにお話を伺った。
注14:予告どおり、2025年1月1日にyohakuはオープンした。

【参考文献】
注釈に記したもののほか、執筆に際して参照した文献およびWEBサイトを記す。精神疾患を含む病気や障害についての体験談、喪失体験とケア、死者と言葉の関係(利他や民藝の思想における)、松江の建築や都市計画、書くこと・読むことと文人に関するものなど。著者名は刊行物の表記に従った。

・ヴィクトール・E・フランクル(霜山徳爾 訳)『フランクル著作集1 夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』、みすず書房、1961年。
・V・E・フランクル(山田邦男・松田美佳訳)『それでも人生にイエスと言う』春秋社、1993年。
・V・E・フランクル(山田邦男訳)『フランクル回想録 20世紀を生きて』春秋社、1998年。
・藤忠ビル実行委員会編「さよなら、昭和のモダン建築。藤忠ビルプロジェクト その活動の記録」藤忠ビル実行委員会、2002年。
・スーザン・ソンタグ(北條文緒訳)『他者の苦痛へのまなざし』みすず書房、2003年。
・諸富祥彦『NHK「100分de名著」ブックス フランクル 夜と霧』NHK出版、2013年。
・ポーリン・ボス(中島聡美・石井千賀子監訳)『あいまいな喪失とトラウマからの回復 家族とコミュニティのレジリエンス』誠信書房、2015年。
・若松英輔『霊性の哲学』角川選書、2015年。
・島薗進『ともに悲嘆を生きる グリーフケアの歴史と文化』朝日新聞出版、2019年。
・若松英輔『悲しみの秘義』文春文庫、2019年。
・齋藤陽道ほか『病と障害と、傍らにあった本。』里山社、2020年。
・伊藤亜紗編『利他とは何か』集英社新書、2021年。
・中島岳志『思いがけず利他』ミシマ社、2021年。
・山口智子編『喪失のこころと支援 悲嘆のナラティブとレジリエンス』遠見書房、2023年。
・坂口恭平『躁鬱大学 気分の波で悩んでいるのは、あなただけではありません』新潮文庫、2023年。
・若松英輔「NHK宗教の時間 柳宗悦 美は人間を救いうるのか(上)(下)」、NHK出版、2024年。
・太田明日香『燃え尽きるまで働かない 書くことについてのノートvol.2』夜学舎、2024年。

【WEBサイト】
・「松江市登録歴史的建造物 第1号 出雲ビル」、松江市登録歴史的建造物一覧、松江市ホームページ。https://www.city.matsue.lg.jp/material/files/group/32/1izumobiru.pdf(2024年10月20日最終閲覧)
・「大橋川周辺白潟地区水辺空間とまちづくりの基本計画 概要版」、大橋川周辺まちづくり基本計画、島根県ホームページ。 https://www.pref.shimane.lg.jp/infra/river/hiikawa/ohashi/kihonnkeikaku.data/shirakata_gaiyou.pdf(2024年10月23日最終閲覧)
・「宍道湖・大橋川かわまちづくり計画」、松江市ホームページ。https://www.city.matsue.lg.jp/material/files/group/94/kawamatidukuri-keikaku.pdf(2024年11月28日最終閲覧)
・マツエイエムスビ(Facebookサイト)https://www.facebook.com/matsue.iemusubi(2024年11月28日最終閲覧) 
・マツエイエムスビ(instagramサイト)https://www.instagram.com/matsue_iemusubi/(2025年1月16日最終閲覧) 
・「小泉八雲の生涯」、小泉八雲記念館ホームページ。https://www.hearn-museum-matsue.jp/hearn.html(2025年1月15日最終閲覧)

綾仁 千鶴子 【学科賞】

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