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珠光 ― なぜ不完全な世界に美を求めたのか ―

歴史遺産コース 前田 克

 本研究に、このテーマを選択した背景には、現代社会が、仕事やスポーツの結果のみならず、人格に対してまで、完全完璧を過度に期待し、欠点のないことを善とし、間違いを犯したことを、ハラスメントや集団で誹謗中傷する風潮への違和感を感じるなか、意図的に「不完全な美」を拠り所にした精神性を検証することは、現代の価値観を見つめ直す機会になり得ると考えた。
 その切り口として、茶の湯を芸道へと昇華させたとされる珠光(一四二三〜一五〇二)に焦点を当てた。一次史料が乏しく謎に包まれているからこそ、茶の湯の成立に、精神性がどのように関わったか、和歌・連歌・能に共通する思想の概念、美意識の全体像を捉え、俯瞰して「不完全な美」を検証することは意義があると考えた。
 珠光の精神性を読み解くための鍵「雲間の月」は、兼好の『徒然草』にあるように、「不具なることこそよけれ」と敢えて完璧に整えず、改善の余地を残す姿勢は、変化を受け入れ、今を生き切るための知恵でもあり、人生の儚さから、この瞬間を生き切るためには想像力が必要と説く。
 珠光が「雲間の月」と表現した不完全を美とする価値観は、亭主と客、ともに心の働き、すなわち想像力であり、完璧が想像を阻害するのに対し、不完全は心を動かし、相手を関与させることであった。
 そのうえで、珠光が茶席に持ち込んだ核心は、唐物や和物といった道具に執着することではなく、「心の下地」といわれる互いの配慮に重心を置いた点にある。
 珠光のいう「心の下地」が意味するものは、相手への敬意である。その行動は常に先を読み、相手を不快にさせないための配慮であった。それは、亭主と客が互いに「察し合う」ことを理想とする想像力を発揮し、茶会を共に組み立て、創造する技法だった。
 珠光は『珠光心の文』の中で、初心者への配慮、我執にとらわれないこと、唐物和物の区別なき道具の使用、そして「枯れる」といった幽玄の境地へ到達するには、心の下地、すなわち、相手を思いやり、自己のあるべき姿を追求する修行を継続する必要があると説いた。また、道具の不足を嘆く心も、自己の煩悩と向き合う契機と捉えるべきだと教える。
 互いに相手に不快な思いをさせないことを配慮する姿勢は、戦国時代において、倫理的、文化的意義を提示可能であり、現代においても完璧主義を見つめ直し、不完全を肯定し、多様な文化的な意義を提案できると考える。

前田 克

歴史遺産コース

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