近世甲府の町年寄世襲についての一考察
町年寄選任の変化の過程からみえるもの
歴史遺産コース 秋山 美希子
甲斐といって真っ先に頭に浮かぶのは、武田信玄であろう。NHKの大河ドラマにも数多く登場する戦国時代を代表する武将のひとりである。その武田氏は天正十年(1582)、織田信長との天目山の戦いに敗れ滅亡した。つまり少なくともこれ以降の甲斐とは、武田氏の治世ではなかったのである。しかし不思議なことに「山梨と言えば武田信玄」なのである。はたして近世の甲斐とは、実際のところ誰の手によってどのように治められていたのだろうか。このモヤモヤを解消するべく、甲斐の近世(江戸時代)を研究対象に決めた。
江戸時代の甲斐は、徳川家の所領あるいは幕府の直轄地とされていた。特に享保九年(1724)の甲府勤番支配の創置は、現在の山梨県の文化や経済への影響は少なくない。甲府勤番は四、五年で赴任者が替わるため、在地の町役人の果たす役割は大きかった。本研究は、町役人のトップである町年寄の選任方法に江戸と同様の世襲制度が持ち込まれようとした時、町人によって起こされた二回の箱訴を中心に史料の翻刻を行い、制度の変更を町人側の視点で読み解いたものである。
したがって、史料の翻刻が研究の肝であり最大の難関であった。辞書を引き一文字、一単語が読めた時の喜びは久しぶりの感覚だった。現代とは違う表現や言い回し、解釈にも出会うことが出来た。そしてシラバスや教材、スクーリング時の先生方のご指導に導かれて、なんとか卒研を仕上げることができた。
最後に、角田朋彦先生にはお忙しい中、多くのアドバイス、ご指導、激励を賜わりましたことを心から感謝申し上げます。誠にありがとうございました。
秋山 美希子
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