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自伝的エッセイ集の執筆・編集・制作

(大学院)文芸領域 福本敦子

作品名:『一〇〇本目のメグスリ』
 本制作物は、「自伝的エッセイ集の執筆、編集、制作」と題して取り組んだ成果である。筆者は本学大学院芸術専攻(通信教育)文芸領域のクリティカル・ライティングゼミにおいて、様々な視点、つまりは書籍における書き手のみならず編集あるいは読者の視点からの「書く行為」について研鑽を積んだ。その結果、自身でエッセイを執筆したのち、その原稿を編集の立場として俯瞰し、そして、読み手の立場としても再考するというすべての過程をもって本修了制作の最終成果物と捉えるに至った。
 書き手の立場としてエッセイを選択した理由は、本大学院のゼミでの実践的な学びを経て、筆者は自身のことを思うままに言語化したいと考えるに至ったことにあり、まさにそのジャンルはエッセイをおいて他にないと確信したからである。また、書き上げた原稿を自分自身で編集の立場に立って校正および文字組版をおこなうこととしたのは、一旦書き手の立場から離れ、原稿を視覚的に一層読みやすい形に整える作業を自らおこなうことによって、成果物をただ一個人によって創作された唯一無二の芸術作品と捉えたかったことによる。例えば一枚の絵画作品は、そのカンバスに画家一人の人生すべてが凝縮し、発露されうるであろう。同様に、筆者は本制作物にそのような芸術的価値をも追求したいと考えたのである。
 文学ジャンルとしてのエッセイについては、すでに世間に名の知れた人が書くものとの認識が一般的であり、それが読者にとっても「意味のあること」とされる。筆者自身、最初は無名な自分がエッセイを書くことに対し、明確な「意味」を見出し得なかった。ただ言えることは、本大学院の学びを通じてエッセイというジャンルにおける自身の可能性を信じたい気持ち、すなわち綴りたいという熱意が湧いているという事実のみであったのである。
 有名無名にかかわらず、他人の人生経験を垣間見ることは自身の人生の視野を広げ、より彩り豊かにするだろう。そして、一個人が自らの手で自らの人生を書き、それを自ら書籍としてまとめるという一連の行為は、たとえAIによって多くの人に役立つ文章が大量生産されようとも、それが確固たる熱意によるものである限りは一つの文学ジャンルとして生き残るのではなかろうか。少なくとも筆者自身はその信念をもって、本修了制作に取り組んだ。

福本敦子

(大学院)文芸領域

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