実存主義における可傷性と暴力性について
(大学院)文芸領域 安藤直之 (阿壇幸之)
児童養護施設に勤務していた僕は不安症を理由に退職した。不安はどこから来るのか、どこへ向かうのか、僕にはわからなかった。僕の手は自分の感覚とは異なる他人の手のように感じていた。
電話が鳴り、僕はKと会うことになった。中学生になったKは学校でも素行が悪く、たびたび問題を起こしていた。Kが何かトラブルを起こすたびに僕は学校へと足を運んだ。僕が施設の勤務を辞してから、Kは繁華街にまで出入りするようになっていた。繁華街では殺人事件が起こっていた。僕はKと事件との因果関係を調べようと繁華街に向かう。
繁華街には不穏な老人がいた。老人は僕に対して街の様子を教えた。小柄な女性が事件の犯人と聞かされた。しかし、僕の中で不安が募った。
それから僕は日常を過ごした。当たり前のように(古い)友人とコーヒーを啜り、夜間警備の職務にあたった。しかしながら、僕は不安から完全に解き放たれることは無かった。夜間警備の同僚からある新聞記事を見せられる。件の繁華街で起こった殺人事件に関するものだった。そこでの犯人像はKに酷似していた。
再び電話が鳴り、児童養護施設の施設長が殺されたことが知らされる。僕はKと会うために繁華街に向かった。Kは饒舌だった。人間の存在を、人間の自由をKは語った。
人間は、生来自由な存在である。自分の未来を自身の選択によって導くことができる。しかし、自由は、単純に縛るものから解き放たれた状態を意味するのではなく、同時に責任を伴うものである。ある選択をするということは、自分に対してだけではなく、社会全体に対しての責任を取らなければならない。こうした責任を伴う自由は、私たちに不安というものを感じさせる。
誰でも人を殺せる自由がある。その残酷な事実をほとんどの人間は見て見ぬふりして生活している。僕は過去に虫を残虐に殺していた。Kを見た時、その記憶を想起させていた。不安がどこから来るのか。それが全て明かされた時、僕はKに殺された。
安藤直之 阿壇幸之
(大学院)文芸領域
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