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信州上田の二人の美術教師

100年前と現代に共通する思い

アートライティングコース 村田 蕗子

 近代日本の美術教育に大きな変革をもたらした芸術家で筆者の地元長野県上田市ゆかりの人物でもある山本鼎(やまもとかなえ)の文献資料と、45年前から現在まで長野県で公立中学校の美術科教員として教育現場に立ち続けている筆者の父へのインタビューについて交互に記述した。約100年前と現在の美術教育を比較し照らし合わせることで、美術教育が担っていることや作品制作の目的などについて考えた。山本の文献を参照しつつ筆者の父へのインタビューを交えることで、筆者独自の視点から美術教育について述べることを目指した。
 山本は印刷物として普及していた版画を芸術の域にまで昇華させた「創作版画」を確立し版画家以外にも画家や運動家、文筆家として幅広く活動した人物である。また、当時日本の小学校で行われていたお手本を模写させる臨画教育を否定し、自由画教育運動で子どもの自由な制作を推奨したことでも知られる。一方、筆者の父は定年退職から7年経った今でも非常勤講師として中学生に美術を教えており、校長などの管理職には一度も就かずに一貫してみずからの手で授業を受けもってきた。
 山本には版画家、画家、運動家、文筆家などいくつもの顔があるが、美術教育に関わる内容に絞って言及するために、教育者としての側面に焦点を当てた。とくに、筆者の父との比較のために、どのように授業を行い生徒たちに声をかけたのかなど、実際の教育現場(山本がみずから教鞭をとった東京の自由学園)での活動を取り上げた。
 山本と筆者の父の間には100年もの隔たりがあるにもかかわらず、両者の理念には共通点が多い。生徒たちが自由に制作するにはむしろしっかり教える必要があると感じていたこと、そのために授業で説明を繰り返してきたこと、見るという行為の重要性を認識していたこと、そして制作それ自体は美術教育の本当の目的ではないと考えたことなどである。美術教育をとおして生徒たちの人間性を育むことを目指した両者は、それぞれの時代に苦労しながら生徒たちと向き合ってきた。
 卒業制作で美術教育に携わる人物に迫ることで、大学での筆者自身の学びを振り返る機会にもなった。自身が現在美術教育を受け、その集大成として取り組む卒業制作で、改めて美術教育というものに向き合うことができた。

全体の章立て
・美術の先生たちを訪ねる
・山本の自由画教育の実態
・父の授業の様子
・美術教育の目的
・制作の向こう側
・自身の制作に立ち返る

村田 蕗子

アートライティングコース

1990年生まれ、長野県出身、新潟県在住。長野県上田市で子ども時代を過ごしたことで山本鼎という芸術家に興味をもち、長年公立中学校で美術科の教員をしている父親がいて、京都芸術大学で学んでいる最中の今の自分だから書けることがあるかもしれないと思い、卒業制作でこのようなテーマを選ぶことになった。現在は、東京の自由学園で山本の部下だった彫刻家の石井鶴三と筆者の曾祖父との往復書簡が祖父母宅にあるかもしれないという話を聞き興味をもっている。

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