春秋座だけの特別なコンサート。登紀子さんに感謝!

5月 01日, 2014年
カテゴリー : 過去の公演 

「登紀子さん、ぜひ春秋座でコンサートをやりましょう」

名古屋の「ほろ酔いコンサート」の楽屋で加藤登紀子さんへお願いしたのが2011年の暮れ。あっという間に月日が経った。今月24日、ついにコンサートが実現する。

幼少期を上賀茂で育った登紀子さん。賀茂川や上賀茂神社の境内が遊び場で、御薗橋から見える比叡山が大変好きだったという。その比叡山の山麓に連なる瓜生山もきっと視野の中だったと想像すると、毎日眺めていたその瓜生山の麓には、今は我が大学と京都芸術劇場・春秋座が建っている。なんと、ここで登紀子さんのコンサートを行うことになるなんて、なにか不思議なえにしを感じざるを得ない。

2012年暮れ、登紀子さんに会いに、京都の「ほろ酔いコンサート」が行われる甲部歌舞練場へうかがう。春秋座での開催時機とか、テーマなどの話をしたかった。結果、準備期間にゆとりを持たせて、再来年の2014年陽春ということでほぼ決定。「やはり、シャンソンでいきませんか?」色々考えた末、やはりそこにたどり着くのは当然のことなので素直に聞いてみた。なぜなら、シャンソンは、登紀子さんの音楽の原点。そして、シャンソンといえばディット・ピアフといのも自然の成り行き。ピアフが亡くなったのは1963年で、登紀子さんのデビュー直前のこと。歌ばかりではなく、生き方にも大きな影響を受けたといわれる。「ピアフともう一つおもしろい話があるのよ。それはね、デートリヒが大きく関わっているの」登紀子さんから聞かされたピアフとデートリヒとの関係に興味が沸いた。シャンソンの神と讃えられているピアフと、ドイツ生まれで後にハリウッドの銀幕スターになったマレーナ・デートリヒが、同じ時代に、それも深い友情で結ばれていたとはまったく知らなかった。登紀子さんと別れ際に、来年夏、東京オーチャードホールで「ピアフをやるから観に来て」と言われ、なるほど、それが春秋座での参考になるのだと。

2013年7月26日、オーチャードホールのコンサートタイトルに「生きるための歌─愛の讃歌 没後50年エディット・ピアフに捧ぐ」とあり、並々ならぬ登紀子さんの思い入れを感じた。しかし当日は見逃してしまった。のっぺきならぬ用事と重なり悔しい限りである。あとから事務所のスタッフにコンサートの様子をうかがうと、登紀子さんは、「ほとんどピアフその人に化身して、ピアフを歌うというよりピアフその人を生きていた」とのこと。しかし、その中にデートリヒは出てこなかったし、構成も1部はお馴染みのレパートリーからのコーナーで、2部がこのピアフ特集だった。

2013年も押し迫り、また「ほろ酔い」の季節がやってきた。できれば会場で春秋座のことをお客に知らせたい。その数日前に、登紀子さんのプロデューサーが春秋座までやって来て、コンサートの全貌が明らかとなった。きっとオーチャードのパターンだと思いきや、「全編をピアフでやりたいの」と登紀子さんの言葉が伝えられた。それもデートリヒが語り部となり、ピアフの歌を、時にはデートリヒの歌も交えてピアフの世界を描いていく。2人を演じるのは加藤登紀子、全曲の訳詞も自身が行う。その上、なんと本邦初となるピアフの未発表曲までもこの春秋座で初披露するという、驚きのビッグニュースに胸が躍った。早速早チラシを作成して、なんとか「ほろ酔い」会場に間に合わせることができた。おまけにステージ上で「春秋座で来年の春、コンサートを行います」と登紀子さんが呼びかけ、客席が「わあー」とどよめいたのが忘れられない。

いよいよ実現に向けて動き出した。年が明け2月にキエフで記者会見を行う。キエフはご存知、登紀子さんのお父様が開業し、現在お兄様が切り盛りしておられるロシアレストラン。会見も上々で、KBSの夕方のニュースに放送される。その後、新聞各紙、情報雑誌等にも徐々に掲載され、ムードは盛り上がってきた。

登紀子さんが長年温めてきたエディット・ピアフの世界。今までどこも行っていないこの集大成を春秋座で初演するなんて夢のようだ。全編をピアフに、デートリヒに憑依した登紀子さんが縦横無尽に情熱的に歌いまくる。加藤登紀子にもどるのは、やっとアンコールになって、そして、「百万本のバラ」などを聴くことができるのだろう。などと光景に思いをはせ、震える興奮を抑えながら、当日を心待ちにしている。

舘野佳嗣
(舞台芸術研究センター プロデューサー)