アートプロデュースコース

【特別講義レポート】『声のミュゼオロジー』今村信隆先生

IMG_8476

11月23日の特別講義は、本学資格支援センター専任講師の今村信隆先生をお招きし『声のミュゼオロジー』というタイトルのもと、“ミュージアムでお静かにと言われるのはなぜか”を考える内容でご講義いただきました。

 

美術館に入ると「静粛にお願いします」と書かれた表示をたびたび見かけますよね。

日本では、しゃべり声は厳禁で静かにみることが鑑賞マナーとされてきました。

そのためか、美術館のイメージについて、あるアンケート調査では、「落ち着く」「ゆっくりとした時間を過ごせる」といった反面「堅苦しい」「暗い」という感想も多くを占めていたそうです。

一方、欧米では来館者同士がしゃべりながら鑑賞することは美術館での日常的な風景です。なぜ日本では「美術館では静かにする」とされているのでしょうか。

 

今回は「国内外の歴史」と「わかる(≠知る)とは何か」の二つの観点からこの疑問に迫っていきました。

日本でもかつては、笑い声も混ざってワイワイと話しながら鑑賞がされていたことが伺える記録があることや、300年以上も前に、作品の見方について、知識を通してだけでなく他者との会話しながら鑑賞することが大切だと唱えていた人がいたということなど、驚きのある興味深い話をたくさんしていただきました。

 

美術館は作品を目の前にして、じっくりとその良さを味わえる場所です。

作品を「知った」からといって、作品が「わかった」ということには必ずしもなりません。

今村先生のお話にもありましたが、「わかる」の方法が、理論的なもの以外にもさまざまあるように、作品を深く味わうのにも、目と頭を使うだけではなく、五感全体を使ったり、他にもまだまだ様々な方法があるのではないか、その可能性を考えさせられる講義でした。

 

 

学生の感想より抜粋

 

わかると知るはちがうというお話があって、確かに情報を知るだけよりもみんなと話していく中でたどり着いたものを体感したほうが楽しいよなぁと思いました。「美しい」を強制することはできないけど、「美しい」でなくでも何かをその場にいた人たちと共有することはできる。

 

美術館は楽しみ方が「みる」ことに限定されているから堅苦しい場になってしまうのだと思いました。最近はACOPのような鑑賞会をひらく美術館や、声だしOKの映画館が増加してきて「静かな場」がだんだん変わりつつあるというか、昔の感覚に戻りつつあるのかなと思いました。

 

美術館から声をなくすことは、みた人がいたことすらも消しいるように感じました。記述に特化されてきたアートは、もしかしたら作品の魅力をどこか失わせているのかもしれないなと思いました。

 

IMG_8482

asp

 

<251252253254255>